第33話 初心者にそれはちょっと……あの……


「会社にノートPC忘れてきたから、ついでに取りに行ってくるー」

「気を付けて」


 授業参観を一緒に見たあと、莉恵子は電車に乗って会社に行った。

 話して頭を整頓したかったけど、仕方ない。

 自転車に乗り、家に帰ろうとしてふと思いついた。


 久しぶりに莉恵子のお母さんがいる居酒屋にお手伝いに行こうかな。


 莉恵子の家に住み始めてから一度だけ挨拶に行ったけど、ゆっくりと話すことはできなかった。

 あの店は基本的に人手が足りなくて、忙しい。だから普通レベルの料理の腕を持っている芽依は、調理場で重宝される。

 だからお母さんとゆっくり話したい時は、調理場で野菜の下処理をする。

 これが一番だ。

 

 LINEをすると『来てくれるなら大歓迎。ちょうど今日バイトが休んでて大変なの~~』とすぐに返ってきた。

 家にいても暇だし、何よりただ手を動かして気持ちを見つめなおしたい気分だった。


「……もう料理は趣味ね」


 芽依は自転車に乗り、家を通過。莉恵子の母が仕事している居酒屋へ向かった。

 今日は風が冷たくなくて、でも匂いは冬で、そんな空気が気持ちがいい。

 公園を自転車で抜けて行くと、日差しを浴びて丸まっている猫が目に入った。可愛い。

 それを横目で見ながら自転車を漕いだ。

 雨宮家を出てきた時、莉恵子とふたりでこの公園を歩いてきたことを思い出す。 

 まっくらで月と莉恵子の声だけが優しかった。

 

 居酒屋について自転車を裏口に停める。

 空き瓶が雑多に詰まれていたので、それを表通りに出す。

 汚れたものは、外の水道で軽く洗って……と。

 作業していると、勝手口から莉恵子のお母さんが顔をのぞかせた。


「芽依ちゃん、きてくれてありがとうー!」

「瓶ここまで出したほうがいいですよね」

「助かるー! もう外に積み上げるのも限界で。夜まで居られる? 芋剥いてほしいんだけど」

「大丈夫ですよ」


 芽依は入り口付近に溜まっていたビール瓶も運びながら答えた。

 ああ、やっぱりこういう地味な作業……それに家事の延長線のような仕事を続けていると脳が休まる。

 勝手口から入ると、中で作業をしているおじさんが手を止めて挨拶してくれた。


「芽依ちゃん、おつかれー! よろしくね」

「おじさん。お邪魔します」

「すまないねえ、夜ごはん期待しててよ。美味しいの作るからさ!」

「期待してます」


 芽依はほほ笑んで里芋を剥き始めた。

 ここで数時間働くと、美味しい賄いが出てくる。

 何より芽依はここで働く人たちを後ろからゆっくり見ているのが好きだった。

 おじさんの包丁さばきは美しいし、お母さんはそれを見守りながら、先を読んでテキパキと動く。おじさんの下で修行している人たちは三人……みんな若くてものすごくやる気がある。新しいバイトが入ったのかな。めちゃくちゃ若くない……あれ? なんかどっかで見たことあるような……。

 ものすごく肌が白い……何よりちょっとまって、その姿勢でそれを……


「ちょっと、あの、その手、そこに置くと、めちゃくちゃ危なくないですか?!」


 芽依はすぐ横で里芋を剥いていた男の子に声をかけた。

 男の子はキョトンとして


「じゃあどうしたらいいの?」


 と聞いた。ええ? この子、とてもおじさんの所に弟子入りしている料理人さんとは思えないんだけど。

 戸惑っているとお母さんが手が横に来た。


「蘭上くん。これはね、上と一番下はまな板の上で切ろうか。固いから手に持ってやると危ないの」

「ん。分かった」


 そう言って男の子は包丁を手にまな板の前に立った。

 横顔を見て理解した。蘭上……蘭上だ!! 芽依はやっと分かった。

 芸能人に詳しくない芽依も、歌い手の蘭上の名前は知っている。

 テレビに良く出ているし、結桜も大ファンだったはず。それがどうして莉恵子の家の居酒屋で里芋を剥いているのだろう。

 そしてうわああ……手元が怖い、たまらない、おそろしい、泣きそう。

 おじさんが毎日研いでいるピカピカの包丁で、里芋を切っているが……ふらふらしていて怖い!!

 でもなんでこんな所にと考えて、思い出した。

 莉恵子が「蘭上さんと打ち合わせで実家の飲む」とか言っていた。

 

 ああ……懐いたのね……お母さんに。

 

 莉恵子のお母さんはとにかく『大変そうな人を問答無用でごり押しで救っていく』所がある。

 子どもの頃、その力に芽依は救われた。じゃあ私と蘭上くんは……一ミリも血が繋がってない姉と弟だわ。

 芽依はそんなことを思った。お母さんは近くにいた芽依を蘭上に紹介した。


「この子、莉恵子と一緒に住んでる芽依ちゃん。子どもの頃からここに出入りしてるの」


 そう紹介されると蘭上は猫のようにピョコンと顔をあげて芽依を見た。

 その目はまんまるで、何より肌が真っ白で、白猫みたいだなあと思った。


「莉恵子さんと。へえ、はじめまして。蘭上です。俺、いま、人生ではじめて芋むいてるんだ」

「あ、えっと……竹中芽依です。はじめまして。人生初、それはいいですね。あー、でもちょっとまな板が平じゃなくて、こっちのがいいですよ」

「そう? じゃあそっちいく」


 もう見ているだけでヒヤヒヤして落ち着かなくて口を出したくて仕方ない。

 お母さんもどうして里芋なんてツルツルして全く初心者向けじゃないものを任せるのだろう。

 料理ってまずレタス切るとか、簡単な作業のほうが良いのでは? 芽依の様子を見て気が付いたお母さんが「こっちで作業しよう?」とテーブルのほうに呼んでくれた。蘭上の手元を気にしつつ、芽依は席を移動した。

 その間にもガターーーンとまな板を落とす音が響いている。あああ……。

 芽依の顔色を見てお母さんはクスクス笑った。


「もう芽依ちゃんは、口出したくて仕方ないわね」

「お母さん……なんで里芋なんですか? あれ初心者には無理ですよね」

「でも煮っころがしを食べてね、美味しかったんですって。だから家で作りたいんですって」

「あー……なるほど……冷凍里芋とか、剥いてるのとか、ありますよね? 何も最初から自分で剥かなくても」

「彼、失敗したほうがいいの。あれでもお父さんが背中で見てるから大丈夫よ」

「そうですか」


 そう言われると芽依は何も言ない。

 だって小学校の頃からここに出入りして、芽依は料理を覚えた。

 何度も手を切ったし、どう考えも剥きすぎなくらいキュウリの皮を剥いて、ほうれん草を茹ですぎてドロドロの何かした。

 ちいさな失敗をたくさんして、今の芽依がいる。

 あの時にみんなに「危ないからやめなさい」って言われたら、きっと料理を好きになってなかった。

 自分で食べたいものを作って、事実上遊んでいたからこそ、好きになったんだ。

 ……彼はいま、好きなことを楽しんでるのね。

 芽依は里芋を切りながら思った。その視界にグイとお母さんが顔を突っ込んでくる。


「ねえねえ芽依。ちょっと聞かせてよ。莉恵子と神代さんに進展があったって風の噂で聞いたんですけどお?」

 お母さんが里芋を高速で剥きながら目を輝かせている。 

 うーん。もちろん進展はあったけど、この状態だと莉恵子はまだ何も話してないのね。

 芽依は顔を近づて口を開く。

「お母さん。それはさすがに私からは言ません」

「え~~~あの子たち、もう四十年くらいグダグダしてるのよ。長過ぎよ」

「お母さん。私たち、まだ二十九です」

「気になる気になる気になる~~。ふたりとも何にも言ってくれないのに、この前ふたりで歩いてるの見たのよね。手つないでた。母親のカンが叫ぶわ。あれは……エッチしたわね」

「あはははは!!!」


 芽依はもう里芋を剥きながら爆笑してしまった。

 この前莉恵子は「後ろから! 抱っこされたの!! もう無理かもしれない!!」と叫んでいた。

 お母さん。あのふたりが結婚するのは本当に四十年後かも知れません。

 芽依は思ったけど、口元をムニュムニュする程度で終わらせておいた。


 そして久しぶりに手伝う居酒屋はとても忙しくて、でも楽しかった。

「見て! できた!!」

 と蘭上が見せてくれた里芋の煮っころがしは、真っ黒で粒みたいな何かだったけど、それでもひとつくれた。

 それは苦くて全然美味しくなくて、蘭上もしょんぼりしていた。

 でも

「今度はもっと上手に作る!!」

 と気合いを入れていた。

 芽依はそれを見ながら思った。

 やっぱり普通の教師よりは、人の気持ちに寄り添いたい。

 色んなジャンルを、頭を固め過ぎずに探してみよう……そう思った。



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