第32話 本当の気持ちは?


「うん……大丈夫そうね」


 芽依は教員採用試験の過去問題を解き、丸打ちをしていた。

 内容は昔から変わっていないようで安心した。知識より一般常識のが多いのだ。

 むしろ『教師とはこうあるべき』というような感覚をテストで確認されるようなものが多く、優等生として生きてきた芽依には余裕だった。

 さっき確認したらもう実施要領が出ていて、どうやら提出するのは願書のみ……良かった。

 場所によっては小論文もあるはずなので、その場合追加の勉強が必要だった。


「小論文なんて、もう数年書いてないもんね……」


 芽依は呟いた。

 でも公立は年に一度しかチャンスがなくて、落ちたら来年まで待たなきゃいけない。

 その場合私立も考えるべきだ。その時は小論文あるだろうなあ。芽依はため息をついた。

 はやく生活を安定させてこの家を出たほうが良いとは思っている。

 大人なのにいつまでも友達の家に転がり込んでいるわけにはいかない。

 ちゃんとした仕事について、はやく自立したい。そうしないと結桜に会いに行けない。

 

 再び勉強を開始すると、スマホに通知が入った。

 それは雨宮家にいた時のママ友だった。噂好きの彼女は頼んでもいないのに、定期的に情報をくれる。

 もう雨宮家のことは知りたくない、どうでもいいと心底思っているが、結桜のことだけは気がかりだった。


『やっほー! 三学期終わったよ。結桜ちゃん三学期は一度も来なかった』

「そっか……佐都子ちゃんがLINEすると返信はあるかんじ?」

『普通に話してるよ。夜もずっと繋いでる。でも学校は行きたくないっていうか、部屋から出たくないみたいね』

「ひょっとして家に出入りする人が増えた? 結桜、そういうのに弱いから」

『もう離婚したから言っちゃうけどさあ、雨宮家に妊婦さんいるよ。めっちゃ金髪で、髪の毛ふわんふわんした女の子。相当若いねあれは』

「……やっぱりそうだったのね。色々ありがとう」

『いやもうただの好奇心? 話題沸騰よ、雨宮家』


 芽依は苦笑しながらLINEを終わらせて、スマホを机に投げた。カン……と高い音が響く。

 金髪でふわんふわんした女の子……ねえ。

 拓司は芽依が髪の毛を染めることを嫌がった。

「俺は真っ黒な髪の毛が好きなんだ。せっかく日本人に生まれて美しい髪の毛を持っているのになんで染めるんだ」

 その言葉を信じて、ずっと真っ黒のおかっぱだ。

 なのに新しい方は金髪でふわんふわんした女の子……ねえ。

 それにパッと見て妊婦さんと分かるということは、妊娠してかなり経過してるのだろう。

 芽依はスマホを指先でクルクル回して遊んだ。

 ……めっちゃイライラする。

 その衝動のまま、廊下に飛び出してこたつの部屋で寝ている莉恵子の布団にもぐり込んだ。

 莉恵子はモゾモゾ動いて芽依にしがみついてきた。


「……芽依~~おはよう~~。もう朝?」

「もう9時よ」

「はっや!!!! まだ9時なの? 休みなのに早朝すぎる……おやすみなさい」

「莉恵子お~~~聞いてよ。拓司さんやっぱり他の女の人を妊娠させてた。雨宮家に妊婦いるって」

「ええ……目が覚めた。芽依、大丈夫?」

「金髪のふわんふわんした髪の毛の女の子だって」

「ああ、全然違うのよね。良かったじゃん」

「何が良かったのよ?!」


 布団の中で思わず叫ぶ芽依に莉恵子はモゾモゾくっついて言った。


「なんか同じような人だと自分と何が違うんだろうって更にイライラしない? 聞く限り、拓司さんが選んだのは、芽依とは全然違うタイプだったんでしょ。じゃあ趣味が変わったのよ。もう前の拓司さんじゃない。別人」

「そう、ね……そうとも言えるか」

「人って自分とちょっとだけ違う人と比べるのが一番イライラするんだって。遠いなら、もう好きにしてくれたら良くない? でもそれは理屈で納得できないのは『気持ち』だよね。私は芽依を放出してくれた拓司さんに感謝してるレベルだけどさ……お歳暮おくりたい……臭い缶詰でいいですか……? 美味しいらしいですよ……?」


 臭い缶詰……シュールストレミング? そんなものが雨宮家のリビングの真ん中にある絵を想像したら、少しだけ面白かった。

 力が抜けた芽依にしがみついて、莉恵子は再び眠ろうとしている。

 芽依は基本的に夜十二時までに眠り、朝六時に起きる。そして朝の二時間を勉強に回す。

 その時間帯が一番頭が回りやすく、明晰な気がするからだ。

 でも……こうして莉恵子の体温とお布団……眠くなる……。



 

「……っ、あ~~~~! もう一時間も寝ちゃったじゃない」

「ああ~~~、よく寝た。芽依おはよう」

「もお~~、莉恵子のお布団って魔物でも住んでるのかしら。気持ちよすぎるわ」

「芽依にくっついてると暖かくて最高~~、人と寝るのっていいね」

「神代さんと眠ってみたら?」


 そういうと莉恵子は布団から転がり出て立ち上がった。


「芽依ちんは最近すぐにそうやっていう!!」

「だって近くのマンションに引っ越してくるんでしょ? そりゃもうそうなるでしょ」

「ならないの! まずは仕事なの!!」

「そうね、まずはそうだったわね。まったくめんどくさいわね、二十九才と三十九才にもなって」

「もうパン食べる!」

「スープあるわよ? 食べる?」

「わあい、食べたぁい」


 莉恵子はさっきまで顔を真っ赤にして怒っていたのに、スープを提案すると一瞬で機嫌を直した。

 本当に単純で分かりやすい。芽依も少し早いお昼ご飯にすることにした。

 準備している間に、莉恵子は布団を真ん中でエイヤと折って押し入れに投げ込んだ。

 いつもながらダイナミックな片付けで茫然としてしまう。そもそも布団はかなり重たいはずなのに、莉恵子は基本的に体力がある気がする。

 簡単な食事を準備し終えるころには、こたつは部屋の真ん中に戻ってきた。

 そこにひとつは莉恵子用のスープ、そしてもうひとつは自分用にショートパスタを入れたものを準備した。


「いただきまぁす!」

 食べ始めた莉恵子に向かって芽依は口を開いた。

「それで今日は、付き合ってくれるの?」

 莉恵子はパンをスープに浸しながら

「いくいく。西小学校行くの、めっちゃ久しぶりじゃん。普通に入れるんだね」

「授業参観は親だけのものじゃなくて、地域の人にも解放されてるものだから」

「校舎建て替えしたんでしょ? 楽しみー!」


 莉恵子はパンを食べながら言った。

 今日は莉恵子と芽依の出身小学校で授業参観をしているので見に行くのだ。

 公立小学校の願書を提出するにあたって、とりあえず一度見学……と思った。

 学校のHPを見たら丁度地域民も出入り自由の授業参観があったので、覗いてみることした。

 どこに配属されるか分からないし、最近は校長によってカラーがかなり変わるらしいけど、とりあえず。

 芽依はHPの写真を見せながら言った。


「見て。新しい校舎すごいのよ。廊下に壁がない」

「あー、菅原学園見学行った時も最新はこうだって聞かされた。私立なら分かるけど公立もこうなんだー。えー、すごいねえ」


 ふたりで通った小学校が新しくなっていて正直楽しい。

 準備をして出かけることにした。





 学校に続く道は昔と変わらなくて、莉恵子と「ここの細い場所を無理矢理通った」と笑いながら歩いた。

 校門は新しくなっていて、なぜか大爆笑してしまった。もう別の学校のようだ。

 今日は授業参観なので校門が開放されていて、ワクワクしながら校内に入った。


 中に入ると大きな花壇があった。

 そこに低学年くらいの女の子がひとり、チョコンとすわり、丁寧に花を植えている。

 横に先生が付き添い、作業を優しくサポートしている。

 芽依と莉恵子は「あれ……?」と思ったが、とりあえず昇降口へ入った。

 莉恵子はカバンからスリッパを出しながら口を開いた。


「今って授業時間なんじゃないの? あの子ひとりだったよね」

「そうね……」


 芽依は振り返って花壇をもう一度見て『あったか花壇』と書いてあることに気が付いた。

 この学校には『あったかルーム』という普通には授業を受けにくい子たちが集まっている教室がある。

 そのクラスの子だろうと芽依は説明した。

 莉恵子は「ああ」と納得してスリッパを履いて歩き始めた。


「そういえば、昔もそういう教室あったね。そっかー、先生付き添ってくれるんだね」

「そうね。やっぱりひとりにはできないから」


 階段の窓からもう一度花壇を見ると、ふたりで楽しそうに土を掘っている。

 理解がありそうな先生の優しい視線に心が優しくなる。

 莉恵子は階段を上がりながら言う。


「なんかさあ、あの子は家に帰ったら『今日は花壇でお花植えて楽しかった』って言えるじゃん。それっていいよねえ」

「本当にね。そう思うわ」


 何かひとつでも学校で楽しいことがあれば、通うことができるのだ。

 その気持ち、芽依はよく分かった。


 芽依の両親は、全く家にいなくて、それに気が付いてくれた先生がいた。名まえは田代先生。

 一時期物理的に親が全く家に居らず、提出すべき書類を出せない。そして電話してもいない。集金も持って行けなかった。

 家の状態に気が付いた田代先生が色んな所に連絡してくれて、父親が家にいるようになったのだ。

 田代先生と話したくて学校に向かったことを今も覚えている。


 そう考えると……『あったかルーム』の子に付き添っていた人……もしくは田代先生のような人に自分はなりたいのかも知れない。

 そしてふと気が付いた。

 

 私……本当に教師になりたいのかしら。

 結桜に早く連絡したくて、教師って記号がほしいだけなんじゃない?

 本当は何がしたいの?


 芽依はよく分からなくなってきていた。

 

 

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