第31話 触れ合う心
莉恵子はみんなと別れて制作部の建物に入った。
実はせっかく通ったのにお話ししないで帰るのは少しさみしいな……と思っていたので、神代からの連絡はうれしかった。
もっと話したい。プレゼン内容、どうだったか聞きたい!
ワクワクしながら制作部を覗くが全く人がいない。
プレゼンが終わったので、みんなおつかれさまモードで帰宅済みのようだ。
探して歩いてると入り口からヒョイと神代が顔を出した。
「莉恵子、こっち。おつかれ」
「おつかれさまです!」
神代の長い指がひょいひょいと莉恵子を呼ぶ。
その茶色のふわふわとした髪の毛が揺れてるのを見るだけで心臓がドキドキとうるさいけど、平気な顔して部屋に入る。
このスタジオは作品を持っている期間、監督には個室が与えらえることが多く、神代も持っている。
部屋の中心にソファーがあって、小さな冷蔵庫が置いてある。そこには付箋紙やメモがたくさんはってある。
『〇さんからの差し入れ入ってます』『エナジー入れときます』『煎餅どうぞ』
制作会社あるあるだが、とにかく差し入れが届いて、それが保管されていく。
神代は莉恵子をソファーに座らせて、冷凍庫からハーゲンダッツを出してくれた。そしてコーヒーも横に置く。
「おつかれさま。まずはちゃんと仕事相手として話をしよう。プレゼン……莉恵子と仕事がしたいと言ったけど『これが莉恵子だ』と意識して選んだわけじゃない。あの作品はアイドルの女の子ふたりから『これをやりたいんです』って強烈なプッシュがあったんだ。俺のそのふたりが演じるなら面白いことになると思った。だから選んだ」
「はい」
コネで探したわけではない……とはっきり伝えてくれる言葉をかみしめた。
結局コネで選んでも苦しくなるのは監督本人なのだ。
面白ければ犯罪者とでも仕事したい神代がコネで選ぶはずがないと莉恵子は知っていたが。
なにより女の子ふたりが気に入ってくれたのがうれしい。
気持ちが乗らないと良い作品にはならない。どのふたりだろう……ものすごくワクワクするし、小野寺に伝えて……はやくコンテを書き直して……と思っていたら、神代がものすごく優しい瞳で莉恵子を見ていることに気が付いた。
「企画自体を揉む必要があるし、前途多難だとは思うけど……俺が一番『制作者と話したい』と思ったプレゼンを出してくれたのが莉恵子でうれしかった。楽しみだよ、本当に」
「ありがとうございます、がんばります!」
莉恵子は頭をさげた。
神代は少しずれた眼鏡を顔に戻しつつ、コーヒーを一口飲んだ。そして口を開く。
「ここからは監督とプロデューサーじゃなくて、昔から知り合いの神代と莉恵子……で話をしてもいいかな」
「じゃあ私も、アイスを食べていいですか?」
「別にプロデューサーの時もアイス食べてるだろ」
「食べてますけど、気楽さが違いますよ。ハーゲンダッツのバニラ味が一番好きなんですよねえ」
莉恵子はハーゲンダッツの蓋をあけて食べ始めた。う~ん。疲れた身体に甘さがしみわたる。
神代は机の上に山ほど置いてある差し入れの煎餅を一枚カリッと食べた。
「あのプレゼンを見て思ったんだけど……あの星を飲んだ女の子……あれって莉恵子だよな」
「!!」
思わずスプーンを入れたまま神代のほうを見る。やっぱり神代に嘘はつけないようだ。
口からスプーンを出しながら小さく頷く。
「……いや……そうはっきり言われると……否定したくなりますが、そうですね。あの子には私の気持ちが……乗ってます」
「よいしょ」
そう言って神代は右足をソファーに持ち上げて、莉恵子の右足側に持ってきた。
つまりソファーの上で神代に後ろから抱っこされている状態だ。
「?!?!」
緊張で一気に身体が硬くなる。
神代は莉恵子のお腹の上で手を組んで、頭の上で話し始めた。
「小学校の時はよくこうして椅子にされたのになあ」
「あ、の。今は。全然、違うと思うんですけ、ど」
「そうだな、違うな。でもちょっと話聞いて」
「は、い」
声が直接降りてきて、どうしよう、心臓の音が神代に聞こえてしまう。
神代はそんなこと気にせずに話を続ける。
「俺、ずっと気が付いてなかったよ。莉恵子は英嗣さんが倒れた時の、第一発見者なんだよな」
「……はい」
「それでお母さんを探しに行ったけど、丁度買い物中だった」
「はい」
「どうしたらいいのか分からなくて、近所を走りまわったけど誰もいなくて、やっぱり部屋にいた方が良いんじゃないかって戻って……それでも何もできなくて……俺に電話してきたんだよな」
「……そうです」
「莉恵子が何もできなかったのは仕方がないことだよ。莉恵子はあの時、最善のことをした。大丈夫だ」
「っ……」
神代の言葉に身体が震えてくる。
ずっと、ずっと、ずっと思っていた。目の前でお父さんが倒れているのを見た時、何もできなかった。
どうしたらいいのか分からないけど、脈っていうのがあるのは知っていた。だから胸もとに耳を寄せた。
でも心臓がどこにあるのか分からなかったんだ。何度も声をかけて揺らす。わからない。
お母さんを叫んで呼んだけど、いなくて、家にひとりだった。
靴も履かずに飛び出した足の裏の痛みを今も覚えている。となりのおばあちゃん、いつもいるのにいない。
ひとりで分からなくて、電話の前に書いてある神代の番号にかけたんだ。
神代と仕事チャンスがあるなら、あの時のどうしよもなかった気持ちをこっそりと昇華したいと思った。
今もお父さんの書斎に入ると倒れていた時のことを思い出す。
何もできなかった無念さを、物語にこめた。
沼田は「アイドルもので人が死ぬ描写はどうなんだ?」と最後まで渋っていた。
結局それさえも意味も持たせたのは……ただ私のしている「作品作り」が未来に繋がってほしいという、ただの願いだ。
莉恵子はクッ……と拳をにぎる。
「何もできなかったことを、今も後悔しています。心臓マッサージなんて知らなかった」
「あの頃小学校一年生だろ。そんなの無理だ」
「無理でもなんでも……!!」
莉恵子は背中を抱っこしてくれている神代のほうを向いて叫ぶ。
「一生頭から、抜けないんです!!」
「だから作ったんだろ。それでいいよ。俺はあれを見て莉恵子の気持ちに気が付いた。そんなにずっと責めてるなんて知らなかったよ」
「っ……!!」
「莉恵子は悪くない。大丈夫だから」
そう言って神代は莉恵子の頭を優しく撫でた。
莉恵子はもう溢れだす涙を止められない。
膝を抱えて丸くなると身体まるごと神代が抱きしめてくれた。
長い腕に身体全部が包まれている。どうしようもなく落ち着いて、莉恵子は肩に頭をすり寄せて泣いた。
神代は何も言わず、優しく抱き寄せてくれていた。
どれくらい経っただろう……泣きすぎて、頭がクラクラしてきた。
目だけ動かして見ると、神代がものすごく優しい瞳で莉恵子のことを見ていた。
近い……!! 頭をさげてモゴモゴと隠れる。
神代はもう一度腕に力を入れて、莉恵子を引き寄せる。
「っ……!!」
よく考えたら、とんでもない密着具合で、ここからどうすればいいのか莉恵子の辞書には無かった。
神代は長い首をおろして、莉恵子の頭に顎を置いたり、長い指でトン……と肩を叩いたりして……どう見ても余裕だ。
ああ、もうどうしたらいいのか分からないけど……抱っこされてるのはめちゃくちゃ気持ちがいい。
神代が莉恵子の頭に顎を置いて話し始める。
「これからさあ、やっと一緒に仕事するだろ?」
「はい」
「俺、めちゃくちゃちゃんと監督として莉恵子の前に立ちたいんだよね」
「あの! 今日のプレゼンの時のコメント……どれもものすごく勉強に……!」
顔をあげると神代の顔がすぐ近くにあって、またモゾゾゾ……と小さくなった。
主張するにはあまりに近い。
神代は再び優しく頭を撫でてくれる。
「うん。俺わりと仕事できるんだよ? いつまでも莉恵子の家に出入りしてた下っ端じゃない。それを見せたいんだ」
「……はい」
「でもさあ、同時に……莉恵子が好きだよ。もう隠さない」
「っ……!!」
「すごく好きだわ。抱きしめてみると……もう正直、抗えない衝動がすごい。このまま家に持ち帰りたい」
「神代さん?!?!」
顔をあげると目の前に神代の優しい瞳が見えた。
「好きだよ、莉恵子。いつからかな、境界線はきっと……家に行かなくなった辺りからだ。好きだから行かなくなった」
「……神代さん、神代さん、あの、私も、私にも言わせてください」
「ダメだ、聞かない。聞いたら持ち帰るよ。問答無用で家に持ち帰って、びっくりするくらい莉恵子を愛す」
「?!??!!?!」
「でも違うんだよな。まずはちゃんと仕事したいんだ。そうしないと英嗣さんに『なにしてるの君? 半人前で、俺の娘に手を出すの? どういうつもり?』って怒られる」
「なんですか、それ」
お父さんの言い方を真似る神代さんにクスリと笑って力が抜けた。それにそっくりだ。
莉恵子はふと思い出して、机の上に置いてあったカバンから紙を取り出す。
「これ……」
「うっわ、ちょっとこれ!! えーーー?! 見つけたんだ。うわぁ……ちょっとまって、仕掛けたことしか覚えてない」
それは先日芽依と見つけた神代が作った宝物……『俺がなんでもひとつだけいう事を聞くお宝の券』だった。
神代はひえええうおおお、なつかしいいと笑いながら折り紙を見ていた。
莉恵子は神代から少し離れて口を開く。
「私、成長したところを神代さんに見てほしい」
「うん」
「だから……仕事が終わったら……この券使って……告白していいですか?」
「えーー……やば……えーーー、莉恵子エッチすぎない? 告白した後……俺に何をさせたいの……?」
「はいいい???? なんで芽依と同じことをいうんですか?!」
叫ぶ莉恵子を神代が再び優しく抱き寄せた。
「そろそろ芽依さんにご挨拶させて頂いてよろしいですか?」
「えー……、なんかイヤです……」
「宝探しまでさせてご迷惑を……ご挨拶しないと」
「要らないです!!」
「近くに引っ越そうかな。俺もうすぐ家更新だし。お母さんのご飯も恋しいし、告白したし、もう近くに戻りたい。莉恵子、車からすんなり降りて帰っていくんだもん。さみしい」
「えっ?!?!」
「持ち帰りたい……はああ……仕事の量がやばい……ここからが大変だ……」
神代はパタンとソファーに転がった。
莉恵子は素顔の神代がうれしくて、ソファーから降りて神代の頬に優しく触れた。
ずっと一緒にすすんでいきたい。
この人と。
神代は目を細めて、優しくほほ笑んだ。
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