第29話 莉恵子と紅音


「初めまして、大場莉恵子です」

「細島紅音です、よろしくお願いします」


 入社式が終わると、横にいた女の子が話しかけてきた。サラサラと長い髪の毛に好奇心で輝いている瞳。

 話を聞くと映像会社にしては珍しい経済学部卒だった。映像会社に就職する人は基本的に美大や専門学校卒が多い。

 その中で莉恵子は


「クリエイターとしての才能がないことはもう分かってるの。でもみんなで映像を作るのが大好きなの。よろしくね。細島さんはすごく独自の世界観があるのね。面白い」


 そう言ってほほ笑んだ。

 紅音は子どもの頃から映画が好きで、この業界を選んだ。いつかオリジナル映画を作りたい……夢をもって入社した。

 でも新人に与えられる仕事の九割は企業案件だ。挨拶をちゃんとしましょう、この機材はこう使います、この経路を通って見学してください……。

 気にしてみないと分からないが、世の中は映像で説明されていることが多い。

 オリジナルの映像が作りたくて就職したのに、挨拶運動の映像……? そんなのつまらなくて、みんなすぐにやめていった。

 でも莉恵子はどんな仕事も楽しそうに関わって、人脈を広げていった。


「どんな小さな仕事でも、そこには人がいるからね。『面白い人だな』って思ってもらえれば次に繋がるよ」


 莉恵子の言うことは納得がいくことが多く、イヤになっていた紅音の気持ちが少し楽になった。

 三年ほど小さな仕事を続けていたら、オリジナルの仕事依頼が入ってきた。

 ふたりで今まで考えていたことをフルに出して企画書を作った。

「紅音すごくカッコイイね!!」

 莉恵子は世界観を褒めてくれた。

 企画は通らなかったが、確かな自信を得た。

 オリジナルの映像を依頼してきた人は「以前企業PVでお二人とお仕事して……気持ちが良い方だと思ったので」と言ってくれた。

 

「やっぱり小さな仕事は大きな仕事を呼ぶね!」

「そうだねえ」


 それをきっかけに、莉恵子と一緒に色んなプレゼンに積極的に参加するようになった。

 独自の世界観が評価され始めたのはこの頃だった。

 企画を考えるのが楽しくて、時間も忘れて一緒に仕事した。そして数年後……小野寺が入社してきた。

 

「よろしくお願いします!」


 そう言って見せてくれた今までしてきた仕事に、紅音は驚愕した。

 新しい世界観とそれに裏付けされた力強い絵。何より……企画が面白い。

 同じ設定で企画を考えても、小野寺が採用されることが増えてきた。


 心の真ん中がドロドロとしてくるのが分かった。

 負けたくない、負けたくない、私は企画がやりたくてここにきたんだ。

 どうしても小野寺に勝ちたい。莉恵子と仕事をするのは私なんだ。


 そして大きなプレゼンが近づいてきた。小野寺の案を見たら、勝てる気がしなかった。

 吐いて泣いて、焦り、狂い、何かを求めて会社のアーカイブを漁った。そして見つけた。

 十年以上前にうちの会社で使われたアイデアが面白かったのに、没案になっていた。

 私はそれを引っ張り出して、他の物と融合することを考えた。世界に新しいものなど存在しない。

 闇医者が出ていたらブラックジャックのパクリなのか? 魔法少女だって何だって『元のアイデアに足されたものだ』。

 そしてすべてを足して作り上げたものはグチャグチャだったけど、力技で仕上げた。

 企画が同じでも、デザインを変えれば別物になる!!

 

「紅音、すごい! 今までになく面白いよ」

「細島さん。すごいですね!!」


 その結果莉恵子と小野寺に絶賛されて、その企画は『私の作品が』無事に通った。

 そして気が付いてしまったのだ……自分の企画を考える才能のなさに。

 もう自分の頭で考えることはやめた。つねにアンテナをはり、面白いものを自分の色に染め上げることに集中した。

 小野寺に勝つため、そして莉恵子に認めてほしくて……。

 

 冷たい空気が吹き抜けて首をすくめて、目を閉じた。

「……でももうおしまい」

 紅音は荷物を肩に掛けなおしながら言った。

 尊敬する神代監督にあそこまでハッキリ言われると思わなかった。もう会場にいることさえ無意味だ。

 一緒に仕事がしてみたかった。でも私の能力では……無理なんだ。分かってた……でも認めたくなかったんだ。


「紅音!!」

「……莉恵子」


 会場から逃げ出した紅音を、莉恵子が追ってきていた。

 誰よりも莉恵子に求められたいのに、莉恵子の元からパクったのは『莉恵子が気に入って使っている小野寺のアイデアを、私ならこんなに素晴らしく仕上げられる』と見せたかったからだ。

 私に任せないのが悪い。正直、それは今も思っている。

 小野寺に企画力では負けてるけど、デザインでは劣っていると思わない。

 それなのに莉恵子は最後の方、紅音を雑に扱った。

 分かってる、莉恵子は企画を話し合うのが好きなんだ。私なんて……でも……莉恵子と仕事するのが本当に好きだった。

 何も言えなくて黙り込む。

 莉恵子はズンズンと前に進んできて、紅音の胸元にドン……と拳をぶつけた。

 そして利恵子はハッキリ言った。


「人の気持ちを踏みにじるのは、もうやめて」


 目の前にいる莉恵子を見ることが出来ない。唇を噛んで目をそらす。

 でもこの子と……ずっと一緒に仕事がしたかったのは本当なのだ。

 ただ自分の才能のなさをさらけ出すことが出来なかった。

 後ろに小野寺も、沼田も、葛西も見える。居たたまれなくて逃げ出そうと踵を返す。

 するとその手を莉恵子が握った。手が冷たい。

 莉恵子が紅音の手首を強く握る。

 そしてクッ……と顔をあげた。

 

「……気が付いたの。紅音を追い詰めたのは私ね。心のどこかで……紅音より小野寺ちゃんのほうに企画の才能があるって分かってた。でも……紅音が頑張ってたから……言えなかった。それに紅音のデザイナーとしての強みを全然分かって無かった。企画が上手く出来てないことにばかり思って……紅音の良い所まで見失ってた。ちゃんとプロデューサーとして、紅音から企画を取り上げるべきだったんだ。企画を考える才能がないって私が言うべきだった」


 紅音は顔に血がのぼるのを感じた。

 そして莉恵子の手を振りほどく。


「バカにしないで!! 私は出来るわ。そんな同情するなんて、気持ちが悪い。最低よ!!」


 紅音は叫んだ。誰より認めて欲しかった人に悪いことをしたのに、逆に謝られている状態に我慢が出来なかった。

 でも……全部もう、分かっていた。

 クラクラしてきた所……胸元にもう一度莉恵子がドンと殴ってきた。

 それはさっきより強く……間違いなく痛みを与える強さで、何度も何度も。息が出来なくてグッ……と思わず壁に背中を預ける。

 するとその距離ニ十センチ……ものすごく近くに莉恵子の顔があった。

 莉恵子はキッと紅音を睨んだ。


「紅音。今、私がディレクターの紅音を殺したから。もう大丈夫。自分を傷つけるのはやめよう。才能があることと、ないことを、ちゃんと分けよう」

「っ……!!」

「こんなこと続けたら紅音の中が死んじゃう。そんなの単純にもったいないわ。だってデザインセンスはあるんだもん。才能ない所は、ちゃんと手放したほうがいい。私たちに謝罪するなら、それを受け入れてよ」

「そんなの……!!」

「今までどれだけパクってきたのよ。ていうか、もう業界で仕事出来ないわよ。ここまでしたら。バカじゃない?!」

「バカ?! 莉恵子、今バカって言った?!」

「バカよ大バカ。バカすぎてシャレになんない。謝ってるじゃない、才能がない紅音さんに企画を考えろなんて言ってすいませんでしたねえ」

「あんた!!」

 

 紅音はカッとなって莉恵子の頬に手を伸ばす。

 その手をパシッと莉恵子が掴む。そして一緒に仕事してた時のように、優しくほほ笑んだ。


「出会ったばかりの頃は、こうやって軽口叩きあって、最後には殴りあったね。でもお互いに気を使って……言えなくなってた。紅音、もうやめようよ」


 そう言って莉恵子は紅音の手を優しく握ってきた。

 なんでこの子は……こんなにちゃんと人の心に向き合えるのだろう。私は何度も何度も何度も裏切ったのに。

 だからどうしても……莉恵子の視界に入りたかった。

 どうしても莉恵子の一番でいたかったんだ。

 莉恵子に認められていく小野寺に狂うほど嫉妬した。だからパクって作ってみせた。

 私を一番信じて欲しかった。

 でももう……自分の心も辛かった。取引先からどういう目で見られているかも気が付き始めた。

 でも止められなかったんだ。

 紅音は手を振りほどいた。


「……殺すとかキモ。中二じゃん。手を繋ぐのもやめてよ」

「ごめん、ていうか紅音が殴ろうとしてきたんじゃん。こわ」

「あんたが煽るからでしょ」

「わざとです~~。わざとなんです~~~」


 莉恵子は紅音の肩に、ドンとぶつかってきた。

 痛い。痛い、ぜんぶ、痛い。

 全部痛くて、泣けてくるわ。

 最低。やっぱりこの女きらいだわ。

 大きらい。



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