第25話 青春と甘い指先
次の日も蘭上の調子は良かった。
社長も「こんなにモチベーションが高いのは初めてみた」と嬉しそうだったけど、単純に莉恵子たちと遊びに行きたいのが見ていて分かる。
今朝も撮影が始まる前にトコトコ寄ってきて口を開いた。
「今日もはやく終わったら、あそびにいける?」
それは小学生が『今日学校終わったらザリガニ釣ろうぜ~~』と言い出すのと同じような表情で。
莉恵子は、今日はもう温泉にでも行こう……と思っていたけど、気持ちを入れ替えた。
温泉は帰りに四人で行こう。蘭上が遊びたいと言うなら……。
「今日は車で少し行ったところにある寺に行きましょうか。大きな鐘があって自分で鳴らせるらしいですよ」
「鐘!! ゴーン?」
「座禅ができるらしいですよ」
「正座できない」
「えええ?!」
「がんばる。まず終わらせる」
蘭上はそう宣言。昨日もそれなりに飲んでいたのに、朝六時からバリバリと撮影をこなしている。
逆に昨日の夜は小野寺ちゃんのガールズトークに捕まって「体毛が濃いクマさんみたいな男が好きなんだけど、知り合いにいない」という話を延々聞かされた。
残念だけどクマの知り合いはいない。そして恐ろしく眠い……小野寺ちゃんは若いから元気だ……。
「俺、このカットは逆光で撮ったほうがいいと思う」
「じゃあワンテイク入れときましょうか。たしかにインサートで使えるかもしれない」
蘭上は沼田さんや撮影監督と相談しながら、仕事を進めていく。
プロとしての意識も高く、正直莉恵子は蘭上を見直した。やっぱりちゃんと仕事するからこそ、遊びは楽しいし、こたつで寝るのが気持ちよいのだ。
メイクも気に入ったようで、次の作品からは色んなメイクしてみたいと笑顔で話してくれた。
莉恵子的には今までメイクしてなかったのが驚きだったけど、社長やメイクさんたちが大喜びだったから良かった。
商品展開も増えるだろう。
撮影は順調に進み、結果ロケ期間連続で早あがり、三日間連続で遊びに出かけた。
寺では鐘をつきまくって大興奮、長すぎる階段に心折れた。人生初めてだという座禅……蘭上は誰よりもうまくこなして、なぜか葛西が一番ダメで笑った。
次の日は滝がゴールにある山道を散策した。綺麗な葉っぱを集めてあるく姿は本当に小学生みたいだった。
そしてクランクアップ……あっと言う間に撮影の三日間は終了した。
「蘭上さん、これで撮影終了です。おつかれさまでした!」
「おつかれさまでした!」
大きな拍手と共に花束が渡される。
蘭上は花束を抱えてトコトコと莉恵子のほうに来た。
その表情は完全に落ち込んでいる。さすがの莉恵子も分かっている……もう遊びに行けないのが淋しいのだろう。
蘭上は口を開いた。
「さみしいけど、俺、ちょっとひとりでお金つかって、なにかにふりまされてみる」
「蘭上さん、知ってます? 自分のためだけに生きたいと思うのが青春の始まりなんです」
これは莉恵子の持論だ。逆に誰かのために生きたいと思ったら青春終了。
莉恵子は仕事始めた時に青春が終わったなあ……と感じた。
だから今目を輝かせている蘭上が眩しい。
「じゃあ、俺、青春はじめる」
「いいですね、青春」
莉恵子は自分のためだけに生きる楽しさも知っているが、もう『チーム』で生きる楽しさを知っている。
正直今回仕事をかなぐり捨てて蘭上と遊んだのは『私たちチームを気に入ってもらう』ためだ。
そんなことは蘭上も分かっていると思う。
でも……莉恵子は手を伸ばした。すると蘭上は少し戸惑って手を握り返してきた。
つめたくて細い指先。莉恵子は優しく両手で包む。
「蘭上さんが人気ある理由がわかりました。プロ魂、すばらしいです」
「えへへへ。うれしいな。これは本当の気持ちだって俺わかる。うれしいな」
「そう、これは本当の気持ちです」
「居酒屋はいってもいい?」
「それは母に聞いてください。そしてあの梅酒の残りください」
「残ってないよ。昨日葛西くんが全部飲んだもん」
「あらら、死刑ですね~~~」
蘭上は莉恵子の袖を引っ張ったまま「死刑? 死刑?」と楽しそうについてきた。
接待で遊び回ったとはいえ……やっぱり可愛いなあ……莉恵子は少しだけ淋しく思った。
まあそれを掻き消すほどの仕事がたまったけど。毎日遊び回りすぎた。
「家に帰ったら五秒で寝られる……もう無理だ……」
ロケが終わり会社に戻ったら、机の上が見えないほど書類が置かれていた。
『至急』という付箋紙がお札のようにはってあり、無視もできず帰ってきた身体に鞭打って片付けて会社を出た。
なんだかもう疲れすぎて頭の中心に巨大な棒が刺さっているような状態になっている。
これは本当に疲れた時だけおこる症状で……つまり限界だ。
送るという葛西の申し出をさすがに断って(葛西も限界なはずだ)駅に向かうとポン……とLINEが入った。また仕事か?! と見ると、神代だった。
え?! 莉恵子は立ち止まって即開いた。すると
『お嬢さま、送りましょうか?』
と書いてあった。
へ? 顔をあげて左右を見ると、会社の前に車が止まっていて、その中に神代がいた。
莉恵子は慌てて乱れていた髪の毛を手櫛で整える。
「私、今、ボロボロで、ちょっと……!!」
完全に予想外の遭遇に、もはや挙動不審、荷物抱えて右往左往してしまった。
神代は車をおりて莉恵子のほうにきた。
会社に戻った時点でコンタクトも取っててめがねにしてるし、メイクも取ってるし……正直はずかしい。
うつむきながら小さな声で「おつかれさまです」と挨拶する。
神代は莉恵子の荷物を車に積みながら口を開く。
「近くのCG会社に打ち合わせに来たついでに覗いたら莉恵子がフラフラと出てくるからさ。乗りなよ、送るよ」
「でもあの、私ボロボロなんですけど……失礼します……」
「高校入試の時もそんな感じだったよ。今更気にしない。めがねの莉恵子がなつかしいよ」
「視力が落ちすぎて、めがねが重たくてコンタクトにしたんです。じゃあすいません、えっと……家までお願いします……」
「ほい、帰ろう」
車に乗り込むと……ものすごく神代の匂いがして莉恵子は「ひええ……」と思った。
莉恵子が高校生の時には神代は車を持ってなくて、車に乗せてもらったのは初めてだった。
神代は腕と足がものすごく長いので、運転してると……かっこいい。
「神代さんが運転してるの……はじめて見ます」
「維持費が高いからなあ。結局買ったのは監督はじめてからだもん。莉恵子も運転好きそうだけど」
「好きですけど……乗せてもらうほうが好きです」
こうして助手席にいるのが……という言葉を飲み込む。
「ほい、寒いから」と渡された上着は、もうどうしようもないほど神代の匂いで、莉恵子はそれを抱きしめた。
中学生の時、ものすごく寒かった日に神代がコートを貸してくれて、それが温かくて好きだなあと初めて自覚したのだ。
莉恵子は嬉しくなって上着をモソモソと着た。前もとじたい。腕が長いから腕先まで隠れる。
中学生の時も「腕が隠れる―」って遊んだ。何も変わってないのに……ぜんぜん違う。
横を見ると、信号待ちの中で、恐ろしく優しい目で莉恵子を見ている神代と目があった。
思わず後ずさってめがねが思いっきりズレる。
それを慌てて顔に戻す。
「!! すいません、ちゃんと、着たくて」
「いや、うん。シートベルト、直すね」
「あ、はい」
上着を着たことによりクシャリとなっていたシートベルトを神代が直してくれた。
莉恵子が上着を引っ張ったところに、神代の指先がきて、ふたりの指が触れあって、温度が伝わる。
身体の中心に火が入ったみたいに熱くなって、指先を丸めた。
クラクションで慌てて動き出した車の中で神代は言った。
「莉恵子、指先つめたいな。ポケットの中にホッカイロあるから触ってなよ」
「……はい」
莉恵子は上着のポケットの中の、もう固くなっているホッカイロを、握った。
落ち着かなくて、固くなっている中身を指先でぐりぐりとほぐす。
そして暗い車の中でライトに照らされる甘い輪郭を盗み見た。細くて長い指が、トン……とハンドルを叩いている。
節が大きな指が、昔からものすごく好きだった。そしてスクエアな爪。見てるだけでドキドキする。
三十分ほど走って家に到着した。
「ありがとうございました!」
頭を思いっきり下げたらめがねがズルリとズレて、それを片手で戻した。
車の中から神代が優しくほほ笑んで右手をふいふいと動かして去って行った。
小さくなって行く神代の車を見送った。
「持って行きなよ」と言われて渡されたホッカイロは、指先で散々揉んだのでまた温かくなってきた。
それを頬にあてる。
ふり向くと家に電気がついていて、それだけで嬉しくなった。家に芽依がいる! 話を聞いてほしい。
莉恵子は玄関の鍵を出そうとしたら、玄関がカララッと開いて芽依が顔を出した。
「莉恵子おかえり」
「ただいまー!」
芽依がもう玄関で待っていてくれた。嬉しい!
しかしなにやらイラついているようで、莉恵子の荷物とコートを強引に受け取った。
眉間に皺が入っているぞ……? 芽依はイライラと口を開く。
「もう今日は私も聞いてほしいことがあって待ってた。聞いてよ!」
「お? なになに? 聞くよおおお~~!」
部屋に入ると新品のこたつがセッティングしてあって晩御飯がつくってあった。
滑り込むようにこたつに入った。あ~ん……やっぱり新品のこたつは最高だ。
「莉恵子聞いてよ、学校見学いってきたんだけど、ひっどいのに会ったのよ!!」
芽依は莉恵子の肩をガタガタ揺らす。
なんだ激しいぞ?! お腹すいたぞ?! 食べてもいいのか?!
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