第24話 おとなみたいな何かに


 命が手元で動いた。

 摑んだ糸はものすごく細いのに強くて、その下にある命が、大きく動いた。

 俺の手が、振り回された、命に。


 蘭上はビチビチと跳ねる魚から目が離せなかった。

 手が勝手にもっていかれる、動きの大きさに身体がついていかない。

 すごく手元で命が、生きている。


「ほら、ここ置いて。おお、良いアマダイだね~。ほれ、取れた」


 魚釣りのおじさんが口元の針のようなものを取って、魚を渡してくれた。

 すると胸もとでビチチチチッと魚が跳ねた。驚いて思わず魚を海に投げ込んだ。

 おじさんが叫ぶ。


「うおーーーい!! はじめて釣れたのに! お兄ちゃん、いいの?」

「いや……驚いて……でもなんか帰りたいのかなって」

「あっちが家だからな。でもな、魚と人間は長く共存してるんだ。だから食べるならキレイに美味しく。お礼に海をキレイに。それが礼儀だ」

「うん。魚すき。きれいにたべる。でも今は……手元に命がくるのがたのしい」

「じゃあキャッチ&リリースだ。釣るのをメインでする人も多いんだぞ」

「それにする」


 おじさんが次の餌をつけてくれて、渡してくれた。これを海に入れて待つのも、予想以上にたのしい。

 すごくたのしい。こんな時間の使い方ははじめてで、ものすごくワクワクする。


 「釣りをしませんか?」と言われたときは「なんだそれ」と思いながら、生きた魚なんて俺、大丈夫かな……と思った。

 実は猫も犬も……「生きている物」が苦手なのだ。

 いちばん怖いのが「人」で、触れるのが、触れられるのが、しょうじき怖い。

 肌の向こうに見える血管、そこにある意思、なにもわからない、怖い。

 病気で極端に皮膚が弱かったこともあり、先生以外に触れられることはすくなくて助かった。

 今もメイクのために顔に触れさせたりしない。

 人の体温もたぶん苦手だと思う。怖いんだ、全部が、今も。


 だから魚釣りと聞いて警戒してたけど……手元に命がくる感覚はものすごく『面白かった』。


 そして気が付いた……俺って「何もしらないのにビビってるだけ」なのでは?

 何もしらないで、感じないで、年齢だけ重ねたおとなの記号を背負った何かになろうとしてないかな。


 今年で二十一歳になった。正直めちゃくちゃ売れてきて、もうすきな曲を発表できるだけで何も望まないくらいだ。

 お金はもういい。そもそも使い道がない。家もあって部屋もあって、ごはんはみんながたべさせてくれる。

 それ以上にお金って何につかうんだろう。時間の使い方はわかるんだ、あたまの中に浮かんだ音楽や言葉をカタチにしていくだけで溶けて行く。 

 時間は存在しなくて、できあがった音楽だけがそこある。

 だからお金を時間にかえられたら、もっと曲が作れるのに……ってずっと思ってた。

 でもこうして『なにか』してみるとわかる。


 俺の手って、何かに振り回されたり、自分の意思以外で動かされたことが、少ないんじゃないか?

 ぼんやりしていたら、手が自動的に竿を引き上げていた。また手元でビチビチと命が動いている。

 手元で動いてて、すごい。おじさんが近づいてきて持たせてくれる。


「タイミング摑んできたね」

「これ、逃がす前に大場さんに見せてくる」


 蘭上は魚を右手も持って、莉恵子を探した。なんだかものすごく、生きている魚を持っている所を見せたかった。

 探しても莉恵子はいない。あの人、さっきの撮影の時も半分くらい別の仕事をしていた。

 忙しいのはわかるけど、撮影がんばってるんだから、ちゃんとみてほしい。それより魚!!

 莉恵子は船長室の椅子に座って目を閉じていた。寝ていると子どもみたいだ。

 蘭上は近づいて魚を見せた。


「釣った。生きてる魚」


 莉恵子は「?!」と起きてそれを見てほほ笑んだ。


「おお、それは良かったですね」

「釣ったの。釣った。釣り上げたんだよ。重たくて、振り回されて、生きてて、持ち上げてる」


 莉恵子は「そうですか」とほほ笑んで身体を起こした。

 そして蘭上のほうに手を伸ばしてきた。

 いつもなら逃げ出す、触られるのが怖い。でも右手にもっと強烈な生き物がビチビチと動いていた。

 そしてその生き物は、手元でただ生きているだけ。

 それ以上でもそれ以下でもなかった。

 蘭上は莉恵子の手を受け入れた。

 その手は柔らかくて暖かくて、ただの温度で、それ以上にやさしかった。

 俺の肌の上で、体温がとけてまどろむ。莉恵子はほほ笑んだ。


「顔、ビチャビチャされてめっちゃ濡れてますよ。魚って元気でたのしいですよねえ」

「……うん、たのしい」


 命、たのしい。俺、何もしらなかったんだ。

 あぶない。俺、あぶなかったんだ。

 何もしらずにおとなみたいな何かになって、お金って何につかうの? っていうところだった。

 お金って、なにかを感じるためにつかうんじゃないか? ただの買い物できる何かだと思っていた。

 お金、つかう。もっとふりまわされてみたい。







 これは一体……どうしたものか。

 莉恵子は太ももの上に頭を預けて眠ってしまっている蘭上の処理に困っていた。

 魚釣りから帰ってきて、さあみんなで刺身を食べよう~と蘭上に部屋に来たけれど、当然だけどこたつは四か所しか入れるところがない。

 蘭上、莉恵子、葛西、沼田、小野寺。居るのは五人。

 当然一か所ふたりになる。小野寺ちゃんとイチャイチャするか~~と近づいて行ったら、蘭上が自分の隣をパンパンと叩いた。


「大場さん、俺のとなりにきなさい」


 単独御指名頂き、隣で食べて? 介護して? 面倒みて? いた。

 そして一時間後……蘭上は莉恵子の太ももの上に転がり眠ってしまった。

 朝早くから仕事していたし、午後は予想外の釣りで疲れたのだろう。

 はやく寝てもらうのはありがたいけれど、この状態は困る。

 仕方なく社長にLINEして待つ。明日も撮影があるアーティストをこたつで眠らせるわけにいかない。

 数分後に社長が来た。そして蘭上の顔を見て小さな声で叫んだ。


「?! 蘭上が?! メイクしてる?!」

「あ、そうなんですよ。さっき突然『俺にメイクしてくれ』って言い出して。ね、小野寺ちゃん」

「そうです。もう私たちが持ってるメイク道具フル導入して顔塗りましたよ。いやあ、顔がいいと塗って楽しかったですよね」

「正直最高に楽しかったわ。メイクさんの気持ちわかる。てか。肌がねえ」

「もうレベルが違ってキレイでしたよねえ」

 

 莉恵子と小野寺はふたりで日本酒を飲みながら「はああ~~」とため息をついた。

 蘭上の肌は新雪のように柔らかく、どんな色を置いても馴染むので、最後には歌舞伎役者みたいになってしまった。

 蘭上は自分の顔を鏡で見て「おれ、かわいい」と嬉しそうだった。

 かわいい……? 完全に塗りすぎたけど、嬉しそうだからセーフ!

 社長は蘭上のメイクを見て、すぐにメイクさんを呼んだ。

 そして寝顔をまじまじと見て口を開く。


「蘭上はさ、今までメイクさせてくれなかったんだよ。俺、はじめてみたよ」

「ええ?! そうだったんですか。もったいない。最高に楽しかったよね、小野寺ちゃん」

「最高でした。蘭上歌舞伎作りたいです」

「歌舞伎全然わかんなーい! でもたぶんカッコイイ~~」


 莉恵子と小野寺が楽しんでいるとメイクさんたちがやってきた。そして蘭上の顔を見て同じく驚愕。

 あっと言う間に数人男性が集まってきて眠っている蘭上をゆっくり布団の上に動かして、メイクを丁寧に落とし始めた。

 申し訳ない、超塗った。寝ると思ってなかったんだ。

 その布団の上に何か……空間が構築されていく。

 どうやら蘭上はこの教室空間にテントのようなものを張って眠っているようだ。

 教室は空調管理が難しい。喉が大切だから、気を使っているのだろう。

 ていうか普通のホテルを予約してなくてごめんなさい。

 バタバタとテントの準備をしている横で、もう酔っている莉恵子たちはお酒を飲み続けた。

 莉恵子の仕事は蘭上の面倒を見ることなので、今日はもう店じまい!

 もう完全に酔っている葛西が刺身をたべて口を開く。


「ていうか、莉恵子さん。聞きましたよ、紅音さん、神代さんの出してくるらしいじゃないですか。大丈夫なんですか? CG会社カブってますよね」

「出来る限りの対応はしたよ」


 葛西はビールの缶をグシャリと潰して叫ぶ。


「甘すぎなんですよ、莉恵子さんは甘い。あれほど見事にパクられて野放しにして……もう全部ブチまけて同じ業界にいられないようにすべきです。甘すぎです」


 葛西はヒートアップしてきたので、莉恵子は制す。

 それにまだ部屋には蘭上のスタッフが作業しているのだ。


「これ……見てほしいんだけど」


 莉恵子はこたつの真ん中にiPadを置いた。そして別の会社から送ってもらった紅音の作品を流した。

 それは莉恵子たちのチームに入って作業していた時と、同じくらい良い出来のものだった。

 葛西はこたつに顎をついて口を開く。


「これは……いいと思いますけど……でもこれもパクりかもしれないんですよね」

「そこなの。わかる? 紅音は一度悪評を広めたことで、何を出しても『そう思われる人に自らなった』のよ」

「自ら首しめたってことだよな。俺も一生仕事したくないもん」


 沼田はお酒を飲みながら言った。横で小野寺も頷いている。

 莉恵子は続ける。


「パクられたと外に向かって叫ぶことはプラスにならない。周りが勝手に紅音を落としていくから、何もしないほうが私たちの評価が上がるのよ。他のひとたちはバカじゃない。葛西は優しいから、どうしても気持ちが引っ張られる。それは全然わるいことじゃないのよ。でもここは、利益と感情と状況を分けよう。イヤだよね、私もパクられたのはいやよ。なにより紅音にねえ」

「……すいませんでした」


 葛西はしょんぼりとしてしまう。

 莉恵子は蘭上が持ってきた高級みかんを勝手に取り出して食べ始めた。


「わりと、葛西のそういうところに救われてるよ。私は立場上言わないようにはしてるから」

「莉恵子さん……俺……俺っ…………飲みすぎて気持ち悪くなってきました……」

「おおおーーーい、葛西行くぞ、ここトイレ遠いんだよ!!」


 葛西が沼田に引きずられて消えて行くのを小野寺と苦笑して見送った。

 朝ごはんもろくに食べずにハイペースで飲むから……あとでキャベジン渡しておこう。

 小野寺もみかんを食べながら口を開く。


「莉恵子さん、私がんばりますから。最高の作りましょうね!」

「がんばろう。あ、31のアイスケーキもあるってよ? 食べちゃう?」

「ええ~~、もう太っちゃいますう~~~困りますう~~~」


 莉恵子と小野寺はふけていく夜にこたつでアイスケーキを食べた。

 しかし気が付いていたが……ここは蘭上の部屋だ。もうそろそろこのこたつを出て、こたつがない自室(教室)に行かなくてはならない。

 ああ辛い……莉恵子はこたつに入りこんだ。

 スマホには芽依から『なんで突然こたつが新品で届いたの?!』とLINEがきている。

 さすがヨドバシエクスプレス便……優秀です。

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