第23話 再び始まる戦いと命


 撮影が始まった。

 こたつでモゾモゾしていた蘭上だったが、衣装を着てカメラの前に立った瞬間に別人になった。

 まさにメディアで見ている蘭上……莉恵子は素晴らしくて見惚れた。

 身体に響くとかではない、どちらかというと子どものような細い声なのに、まっすぐに澄んでいて、聞いていて楽なのだ。

 なにより素晴らしいと思ったのが、カメラに対する嗅覚だ。こう動いたらこう写っている……それをちゃんと理解している。

 無駄な動きが少なく、撮影監督が欲しい絵を最速で積み上げていく。

 ……すごいなあ。

 莉恵子はクリエイター的な才能はまったくないので、素直に尊敬する。

 

 しかし……暇だ。正直眠い。

 撮影が見渡せる良い位置に席を設置してもらったが、実は撮影が始まると莉恵子はやることがなくなるのだ。

 撮影まで『持ってくる』のがメインワーク、無事に始まればそれが最高! つまり暇だと思える今は最高の状態だ。

 むしろ撮影時にバタバタする状態ではプロデューサー失格。莉恵子は合格。はあ、良かった。

 しかし現場を離れるわけにはいかないので、撮影を見守ってます! 私仕事してます! という表情をしつつ、他のメールを処理する。

 最近は都内の会社から遠く離れてもネットワークが完全に整備されていて「ロケなので」といって他の仕事をしない……という選択肢が消えたことを心底悲しく思う。

 数年前中国に撮影に行くことになり、葛西と「中国! いやあSNSオールNGの国ですかあ……こりゃ仕事できませんなあ」と飲みに行く場所をピックアップしていたら、電話番号に直接メールが入るようになった。小籠包を投げつけてやりたい。


 メールボックスを見ていると、いつも作業を依頼しているCGスタジオの制作さんからメールがきていた。

 内容は八割『ホットケーキの話』だ。

 この制作さんと莉恵子は自称ホットケーキ部を作っていて、おいしそうな店を見つけては教えあっている。

 先日神代と行った美術館のホットケーキを写メ付きで送ったので、その返信がきていた。

 やっぱり浅草はホットケーキの聖地……近いうちに行かねば。

 撮影を見ながらものすごく真剣な表情をしているが、心のなかでよだれをたらしている。

 読み進めると最後に追記が書いてあった。どうやら本当に伝えたかったのはこれだ。


『紅音さんも神代さんのプレゼン、出すらしいですよ。この前こっち来た時にさぐり入れてました。こっちは完全にオフレコにしたので大丈夫だと思います。撮影さんにも伝えておきました』


 莉恵子はため息をついて、背もたれに身体を預けた。

 やっぱり来るか。

 

 神代の仕事はかなり大きく、業界でも「そうかな」という話をかなり聞くようになった。でもみんな……紅音を警戒していた。

 莉恵子は自らパクられたことを言って回ったわけではないが、悪い噂が広がる速度はすさまじい。

 企画の管理が更に厳重になり、A社の仕事をしてるからそっちは受けられない……という人たちも出てきた。

 スタッフの囲い込みだ。これはスタッフにもお金が入らなくなるし、正直誰も得しない。

 持っていたペンをカチリと押す。

 あんな力技でねじ伏せられるのは一回きりだ。もう次はパクられても叩きつけるしかないと思う。

 だって神代にぶつけるものなのだ。今回はもう逃げ道など準備しない。


「……なんかダメだった?」

 考え事をしていた莉恵子の目の前に蘭上がいた。慌てて姿勢を戻す。

「いえいえ、最高です、めっちゃカッコイイです」

「見てないでしょ。今、ねこの被り物するシーン撮ってたんだけど」

「カッコイイねこって話です」

「見てて」

「はい」


 莉恵子はカクカクと頷いた。かなり離れた場所にいるから気が付かれてないと思ったけど別の仕事をするのはやめよう。

 ていうか朝ごはん食べてないんだよなあ。

 撮影が終わったら食堂に行って何を食べようかな。やっぱり刺身、いや焼き魚……


「大場さん、見てる?」

「見てます見てます!」


 子どもはいないけど、ひょっとしてこんな感じだろうか。大変すぎる。

 でも莉恵子が視線を送ると蘭上は乾いた風のように柔らかくほほ笑んで、撮影を開始した。

 その広げられた指先と細い歌声に耳を澄ませる。うん、確かに見てないともったいないかも知れない。





「え……ええ……これ転覆したりしない?」

「あはははは、おにいちゃん、失礼だなあ。俺の腕を信用してくれよ」

「うわ……うわああ……」


 蘭上は調子が良かったようで、社長曰く「いつもの二倍の速度」で撮影を進めていた。

 今日の撮り分は午前中に終わり、昼には時間が出来た。

 莉恵子は「出来たら良いな」と思い、準備していた釣りに蘭上を誘うことにした。

 蘭上は「え、なにそれ」と興味深々だったが、今は柱にしがみついて叫んでいる。


「ああ……ああああ……あああ足元が揺れる……」

「そりゃ移動してるからねえ、あははは!!」


 漁師のおじさんは蘭上が有名人だということは知らない。

 ただ美形のお兄さんが、愉快な人たちに連れられて来た……程度の印象で楽しそうに話しかける。

 ちなみに莉恵子と葛西は、このおじさんと船に乗るのは五回目……わりとロケで船に乗るので慣れている。


「ぴええええん、めちゃくちゃ揺れます、これ何がどうなっておええええ……!!」

 初めて漁船に乗ったという小野寺ちゃんは床に座り込んでマキエを吐いている。

 今日はわりと海が荒れているから直前に食べるのはやめておけと言われていたのに、さっきたこ焼きを食べていたからだ。

「イサキ釣ったるぜえええ~~~!!」

 演出の沼田が一番ノリノリで一番前に立って風を受けている。

「もう今日朝ごはんから食べ損ねて。これが朝ごはんですよ」

 結構揺れてる船なのに、莉恵子の横でおにぎりを食べ始めた葛西が一番太い気がする。

 さすがの莉恵子もこの船でおにぎりはアウトだ。


 ポイントに到着して蘭上は渡された船竿を持ってチョコンと座る。

 冬とはいえ海上の紫外線は強烈だ。病気は完全に治っているとはいえ、撮影中に日焼けしたら怒られるので、全身スキーウエアのようなものを準備してきた。

 大きな帽子をかぶって、一見エスキモーがライフジャケットを着ている状態だ。

 日焼け止めスプレーもかけまくってきたので、これで大丈夫だと思われる。

 蘭上は静かに待っていたが……横でおじさんが口を出す。


「今の。もう食べられたわ」

「え? なにが? 何に? どのように?」

「餌が、魚に、さっきの瞬間に! だよ」

「え?」


 言われて蘭上が船竿も持ち上げると……先っぽには何もなかった。


「ぜんぜんわからなかった」

「集中してごらん。よく見るんだ。本当に一瞬だ。これは生きるための戦いなんだからな」

「はい」


 完全に楽しくなってきている漁船のおじさんと蘭上はふたりで「今! 遅い!」と楽しそうに釣りを始めた。

 このおじさん、実は脚本の本も何冊か出している有名な作家さんだ。

 父親の古い友人で、今は釣りしかしていない釣りマニア。

 だから信用していて……座って見ていると眠くなってくる……海の上で眠るのはとても気持ちが良い……大好きだ。

 ふと気が付くと目の前に目をランランと輝かせた蘭上が来て魚をみせてくれた。

 魚はビチビチと派手に動いている。どうやら釣れたらしい。

 蘭上の目がランランと輝いていて、楽しんで貰えて良かったと、こっそり安堵した。

 「魚なんて生臭くてやだ」と言われる可能性はゼロじゃないと思っていた。

 蘭上は前に「学校に憧れている」と言っていた。それはつまり、修学旅行とかその手の物も全部行っていないのだろう。

 だからなんとなく、年齢は離れてるけど皆で騒げたら……と思ったのだ。

 再びうとうとしはじめると葛西と沼田が騒ぐ声が聞こえてきた。

 みんなの声を聞きながら眠るのが、わりと好きだ。




「莉恵子さん見てください、すっごいダンスですよ!!」


 結局食べられる分だけ……ということで三匹の魚を釣って戻った。

 おじさんの家で捌いて宿に持ち帰ろうとしているのだが、小野寺ちゃんは生きている魚に振り回されっぱなしだ。

 逃げまとう魚をキャーキャー言いながら追い回している。


「逃げろ魚、海はすぐそこだ!!」

「命すごい、パワーすごい」

「きゃああ蘭上さん、魚が机の下に!!」

「魚。魚大丈夫、おいしく食べてあげる。魚、出てこいで。こわくないよ」


 蘭上と小野寺は年齢が近いので話も合うらしく、ふたりで逃げる魚を追い回して遊んでいる。


「あー、鱗取るの、ほんと気持ちがいい。この感触すごい、最高に楽しい」

 

 大騒ぎする小野寺の横で沼田は無言で鱗を取っている。

 莉恵子の視界にスッ……と白い湯気が見えた。


「莉恵子さん、白いご飯どうぞ」

「葛西~~~、あんたほんと分かってるね。私の部下にならない?」

「なりますッ!! よろしくお願いしますッ!! 刺身醤油です!!」


 莉恵子と葛西はもう捌かれた魚を勝手に食べ始めた。

 んんんん~~~こりこりしてて超おいしい、すごい、次元が違う!!

 ああ、残りは持って帰ってこたつで食べよう~っと!

 

 

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