第22話 恋と梅酒とチョコミント


 玄関で物音が響いた。時計を確認する二十時……あら、本当に莉恵子が帰ってきたのね、と芽依は思った。

 明日は日曜日だし、帰ってこないのも想定していたけれど……。

 玄関をガタガタと動かそうとしているけど、当然だけど鍵をしめている。

 鍵を探そうとしているのが、ガラス戸の向こうでワタワタ動いている影が見える。

 芽依は鍵をあけて玄関を開いた。


「おかえり」

「芽依! ただいま! あのね、超久しぶりに手を繫いじゃったあああ~~」


 莉恵子は頬を真っ赤にしていて、なんなら目も充血している。

 興奮状態なのがかわいくて、芽依は玄関で笑ってしまった。でもその内容は「手を繫いだ」なのか。

 前から思っていたけど莉恵子の恋愛レベルは小学生だ。

 でも面白いので、話を聞くことにする。


「はい、まずコート脱いで?」

「マニキュアしといてよかったああああ! やっぱサロン通おうかな。そんな時間ないよお~~~」

「はい、靴脱いで、手を洗ってから話そう?」

「お酒飲みながら話したいよお」

「軽く食べる? 鍋ならできるわよ」

「食べるー!」


 莉恵子はやっと靴を脱いで洗面所に向かった。

 芽依は切っておいた野菜セットを野菜室から取り出した。急に何か食べたいと言われても即対応できるように一人前ずつ野菜を切って入れてあるのだ。

 これは雨宮家にいた時から作っていたセットで、冷凍庫に肉団子を入れておけば即鍋が作れる。

 洗面所で手を洗った莉恵子が台所に来た。


「うわぁぁ……やっぱり台所寒いね。台所用のガスファンヒーター買ったから明日届くと思う。ケーブルも一緒に入ってるから使って。ガス栓は……そこの奥だ」

「え? 台所用に買ってくれたの?」


 どこの家でも台所は寒い。

 雨宮家も台所は寒かったが、自分のためだけに部屋を暖めるのはもったいない気がして、コンロの火などで手を温めていた。

 莉恵子は冷蔵庫からビールを取り出して飲みながら口を開いた。


「今まで台所使って無かったから、設置して無かったの。私が寒いんだもん、芽依も寒いでしょ」

「……ありがとう。助かるわ」

「もったいないとか考えないでどんどん使ってね。体調崩したら病院通ったり、色々止まったりしてコスパ悪いんだもん。空調大切だよ」

「こうして台所に来てくれるのもうれしい。いつもひとりで食事作ってたから」

「違うよー、芽依のストーカーだよー。神代さんの話を聞いてほしいんだよお~~聞いて聞いて聞いてええ……」


 莉恵子はビールを飲みながらモダモダ暴れた。

 台所は芽依にとって戦場で、常に何かを同時にする場所だった。

 だからこんな風に今日のことを話しながら料理するのは初めてで、それがうれしかった。

 

「神代さん、芽依のこと覚えてたよ。生徒会長って」

「え、私会ったことあるの?」

「あるんだな~。芽依は覚えてないと思うけど、あるんだな~」

「居酒屋ででしょ? あそこ人の出入りが激しすぎて覚えてないわよ」

「何度も会ったことあるんだな~。一番印象的なのは、あれだよ、小学校の時の劇でさあ……」

「鍋できたから、こたつに行きましょ」

「はーい!」


 私たちはこたつに入って鍋をつつきながら、今日あったことを話した。

 莉恵子からもじもじと語られる恋の話は本当に甘酸っぱくて、二十九歳でこんなかわいい恋愛ってありなの?! と思うほど聞いていてドキドキしてしまった。

 莉恵子はデザートにアイスを食べながら言った。


「このままがいい。恋愛なんてして、家に帰ったら神代さんいたら、死んじゃう……なんかしたら……死んじゃう……緊張して無理……」

「莉恵子さん、今どき小学生でもキスしてますけど?」

「はああ?! 前から思ってたけど芽依ちんはハレンチさんだよね!」


 叫ぶ莉恵子と鍋をシンクに運んで、ふたりで洗った。 

 いやいや、二十九歳でこれはかわいすぎるし、子どもすぎる。

 芽依は少しだけ神代に同情した。でも聞いてるぶんには最高に楽しいし、良しとしよう。







「じゃあ行ってきます」

「三日間ね。了解」

「色々届くかもしれないけど、部屋投げ込んでおいて」

「はいはい」


 苦笑する芽依に見送られて、まだ暗い道を莉恵子は歩き始めた。

 今日から三日間、千葉の廃校でロケが始まる。

 神代と出かける前は、疲れで脳が死んでいくのを感じていたけど、あれ以来スイッチオン! ものすごい量の仕事を一気に進めることができた。

 やっぱり人間休まないとダメ。無理して働いても結局頭回ってないし、効率悪すぎる。

 蘭上からは相変わらずLINEがきている。先日ついに莉恵子のお母さんとツーショット写真を送ってきて爆笑してしまった。

 どうやら週に一度顔を出して湯豆腐を食べてるらしい。お母さんはやせ細った美少年を太らせるのが大好きだから仕方ない。

 そう考えると……莉恵子は横で運転している葛西を見た。


「葛西は身体がしっかりしてるよね」

「身体?! なんですか、急に」


 運転していたのに莉恵子のほうを見るのでヒラヒラと手を動かして前を見るように促した。

 うちのチームは基本的に運転はすべて葛西に任せている。

 ものすごく丁寧な運転で、乗っていて気持ちがいい。

 それは本人のやさしい性格の表れだと知っている。疲れたら運転は荒くなると思うけど、葛西はいつも丁寧だ。


「運転いつも上手。ありがとう、疲れてるのに」

「いえ! これくらいしか自慢できることがないので」

「今週も全然帰れなかったのに、体力とかメンタル安定しててすごいなと思ってさ」

「俺、時間見つけてフットサルしてるんです。大学の時からずっとなんですけど」

「ああ~。そんなこと言ってたね」

「今度大会あるんですけど、見に来ませんか?」

「いいよね、フットサル。切り替えが早くて見てて楽しそう。絵的に派手だから、アイドルの企画に使えないかな」

「サッカーはボールが足元だから、カメラに向いてないんだよ。顔が命のアイドルには難しいかなあ」


 後部座席で眠っていた演出の沼田が起きて口を開いた。

 クリエイターふたりは今日のロケ直前までひたすら作業をしていたので、ほぼ眠ったままの状態で車に乗せて転送してきた。

 莉恵子は振り向いて挨拶する。


「おはようございます!」

「おはよー。俺は好きだけどね、ショーパン女子」

「じゃあ手元にボールがあるラクロスとかどうですか?」

「ああ~~ラクロス女子は服装がかわいいよね。でもあれ、スポーツとして難しすぎない?」

「そこは燃える球を投げあうドッジボールじゃないですか?」


 同じく眠っていた小野寺が起きだして口を開いた。


「おはようー!」

「おはようございます。自分の胸元から生み出した闘志みたいなものをボールにして、目の前におる女の子に投げつけるんですよ。そしてスパークからの炎からの爆発! 燃やし尽くす!!」

「なんか小野寺ちゃん、爆発多くない? 疲れてる?」

「私、疲れてなんてないです……意味不明なリテイクを燃やし尽くしたくないです……」

「やばい、沼田さん、さっき買ったたこ焼きを小野寺ちゃんにあげてください」

「もうぜんふたへちゃったけど?」

「あーーーーー!!!」

「次のPAで買いましょう、小野寺さん買いますから!!」


 四人で朝の五時からワーワー叫んだ。

 仕事はチームの空気が何より大切だと莉恵子は思っているが、今の四人は最高に楽しい。



 千葉の廃校は高速出口から出るとすぐにある。

 以前使われていた小学校をリノベーションした宿泊施設で、建物自体は本当にそのまま使われている。黒板もロッカーも下駄箱も職員室もそのままだ。

 古いのに新しい雰囲気が、莉恵子はとても好きだ。

 一階には地元でとれた野菜やお土産が所せましと売られていて、給食室は食堂になっている。そこでいただく地元の食事はどれもおいしいし、地域の人たちの集まる場所になっている。今回ロケで使用するにあたり、莉恵子はここの施設を二週間貸し切った。

 もともと県が持っているもので、値段も安いのも魅力だ。

 スタッフの数が尋常ではないので、食事もすべてその食堂にお願いした。

 莉恵子たちは撮影本番の三日間だけ現場に来たが、撮影監督や現場スタッフは一週間以上前から泊まっている。

 校庭が広くて機材も置きやすく好評だし、ここに決めてよかった。

 車を止めて挨拶して回る。


「おはようございます」

「おはようございまーす!」


 もう作業を開始しているスタッフが笑顔で挨拶してくれた。

 ちなみに今は朝六時だ。ロケは基本的に朝早い。太陽がちゃんとある時間帯は、実はとても短い。

 そのまま蘭上がいる部屋に向かう。

 蘭上はリハーサルが始まった二日前からこの学校に来ていると社長に聞いたけど……。

 部屋をノックして入ると、めちゃくちゃ寛いでいる蘭上がいた。


「おはようございます。え、こたつ。持ち込んだんですか?」

「おはよう。これ家に買ったの。それ持ってきた。家の床も畳にしたんだ」

「ああ~~新品の畳ってすごく良い香りですよね」

「すごくいい。ほら、横入って」

「わああ……お邪魔しまぁす……」


 もう撮影が始まると聞いているけど、莉恵子は新品のこたつの誘惑に抗えない。

 ススス……と入って驚愕した。


「ヒーター部分が薄い! そしてなんですか。このマイルドな暖かさ!! 全方向から包み込むような……はあ、最高ですね」

「あはは。大場さん、面白い。みかんどうぞ。これも社長が昨日買ってきた」

「うわぁ重たい……これ、おいしいやつじゃないですか、はぁぁん……ジューシー。これあれですよ、みかんの箱ひっくり返して裏から食べたほうがいいですよ。潰れちゃう」

「そうなの? じゃあそうする。アイスも買ってきた。31のやつ」

「?!?! まさか母に聞きましたか?!」

「好物聞いちゃった。31のアイスケーキ。食べちゃう?」

「朝六時からアイスケーキを?! こたつで?! そんなセレブライフ?!」


 あまりのことにテンションが上がりきってきたけど……背中に視線を感じて振り向く。

 すると葛西と小野寺と沼田と社長と撮影監督とマネージャーと制作三人がじ~~~っとこっちを見ていた。

 莉恵子は姿勢を正す。


「蘭上さん、二十個以上の目に睨まれてませんか」

「視線に負けないの。真面目と戦うんだ」

「ご存知ないかも知れませんが、私仕事は真面目なんです」

「大場さんはチョコミントアイスに梅酒かけるって聞いたから、もってきた」

「はあああ~~、これお母さん情報ですよね?」

「いっぱい聞いちゃった。ロケでお泊まりが楽しみで」

「やだこれ、村田商店の十年物の梅酒じゃないですか。お母さんこれそう簡単に手放さないのに」

「くれた」

「ええ~~~?! 甘すぎる、ズルい~~~」


 我慢できなくなった葛西が莉恵子の服を引っ張りにくるまで、不真面目を満喫してしまった。

 最新のこたつがすべて悪い。あまりに最高だから今日の夜にでもヨドバシエクスクレス便決めようと莉恵子は決めた。

 

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