第19話 死守すべきものは


「うーん、あんまり派手にはしたくないかなあ

「でもこっちだと、さすがに地味ですよね」


 蘭上のプロモーションビデオに使う衣装会議が始まった。

 目の前には六十枚以上の衣装案が並べられていて、演出の沼田やデザインの小野寺が蘭上と話し合いながら細部を詰めていく。

 葛西がその場でログを書き、別室にいる衣装プランナーたちが次案を練る。

 莉恵子は二部屋を行き来しながら、アイデアを詰めていく。

 衣装デザイナーたちは全員主張が強く「俺が」「私が」のディベート大会になるので莉恵子が情報をまとめて伝えているのだ。

 そうしないとアーティストはみんな疲れてしまう。これは経験だ。

 ここで使用が決まった衣装は、そのままライブやテレビでも使われるし、ジャケ絵にもなる。

 最近はグッズ展開も豊富で、衣装をつけたアニメキャラからアクキーも出るので提案する人たちの熱意が違う。

 

「背景が基本的にモノトーンなので、あまり色味が強いものは悪目立ちすると思われます」

 小野寺はその場で反応が良いものを合成して出していく。

「うーん。でもそれはそれでいい気がする」

 蘭上はモニターをぼんやり見ながら言う。

「じゃあ、身体の部分をマスクで抜いて映像を合成する方向性で行きますか」

「うーん。それだと……せっかく決めたマントがなあ。これは結構好きなんだけど」

「ではマントのみ残した状態にしますか」

「うーん……わかんない」


 蘭上は机に突っ伏したまま動かなくなった。

 小野寺も沼田も葛西も……なんなら社長も私のほうをクイと見る。

 いやいや、見られても困るんだけど。莉恵子は視線を感じながらとりあえず打っていたメールだけ返して立ち上がった。

 さっきから思ってたけど……


「蘭上さん。顔色が悪いですよね」

「え? 蘭上、体調悪いの?」


 社長が慌てて立ち上がる。莉恵子はそれを制した。


「体調不良じゃなくて……体温計ありますか?」


 スタッフがすぐに体温計を持ってきたので、蘭上にはかってもらうと35.5度と出た。

 この会議室は恐ろしく暑くて莉恵子は上に着ていたセーターも脱いで半そでだ。

 みんな汗かいてるのに、蘭上だけ指先が白いなあ……と思っていたのだ。


「めちゃくちゃ体温が低いですよね。すごくだるそう。いつもより指先が白くて辛そうだなって思ってました」

「だから頭が回らないのかな。熱はないの分かってたから、ワガママかと思った」

「低体温って熱があるより辛いんですよ。はいとりあえず首を温めましょうか。私のですいませんが……」


 莉恵子はポケットに入れてあったシルクのネックウォーマーを蘭上にかけた。


「……あったかい」

「部屋が暑くても体温は関係ないですからね。背中の真ん中にホッカイロはって……と。今から制作に半纏届けさせますね。あと一度窓を空けてください。部屋が熱すぎて酸欠になります。蘭上さんコーヒーは身体を冷やすので、番茶にして……はいこれ、大豆のお菓子にしましょう。おばあちゃんの知恵袋みたいですいません」

「大豆」

「カリカリしてておいしいですよ」

「ほんとだ」


 パアアと蘭上は笑顔になった。かわいい。

 酸素が戻った部屋で、沼田も小野寺もお茶を飲んで一息ついた。

 そして蘭上は制作が持ってきた半纏を見て「?!」と驚いたが、窓が空いている部屋では寒いらしく、それを着た。


「……あったかい」

「差し上げます。頭は寒いほうが回ると思うので」

「うん、ありがとう」


 顔色が戻った蘭上はちゃんと意見を伝えて、衣装は無事決まった。

 うちの会社も基本的にバカみたいに暑くて頭がぼんやりしてしまうので、莉恵子は長い会議になると暖房を切る。

 そしてみんなで半纏を着て窓全開で話したりするので、車には常に新品の半纏が置いてあるのだ。

 吸い込む空気が熱いと頭が回らなくなるし、良いことがない。




 衣装デザインが決まると、その足で発注に行く。

 そのままメイクの方向性とアクセサリ―、それが決まってくるとビジュアル担当が出てきてポスター制作も入ってくる。

 目が回る忙しさとはまさにこのことだ。大手だと細分化されていて、そこまで細かく入る必要はないが、逆にコントロールができなくなる。

 だから忙しいけど全部自分で管理できるこの会社を莉恵子は気に入っている。

 小野寺は車の中でグルグルと絵を描きながらつぶやく。


「いやあ……並行処理しすぎて、頭がパンクし始めました」

「とりあえず衣装発注用の合成終わらせよう。それを出せば色が決まるから、CG会社に行ける。そしたら少し楽になるよお……」

「すぐ撮影始まるけどねえ」

 

 助手席でコンテを書いて沼田が言う。

 運転している葛西が口を開く。


「もう今週は土曜日でないと無理じゃないですか? CGパート用のコンテ出しだけでもしないと月曜動けないですよ」

「うーん、確かにそうかも。ここ二、三週間が勝負かも……」


 莉恵子はよほどのことがないと土日に仕事をしない。思いついて企画を書いたりはするが、集まって仕事はしないと決めている。

 平日鬼のように忙しいのに休日も仕事をすると本当に死にそうになるからだ。

 でも今週は仕方ないか……みんなが暗黙の了解をした……その瞬間莉恵子のスマホにポンと通知が入った。

 それを見て莉恵子は顔をあげた。


「やっぱり土曜日に仕事する奴はクソ。絶対だめ。金曜日までに終わらせよう。土日に仕事したらうちら終わりだよ。このままじゃ死ぬ」

「ちょっと莉恵子さん、この数秒で何があったんですか?! と思うけど、実は私も土曜日はもう用事あって。できれば休みたいです」


 小野寺は苦笑しながら言った。

 そうなのだ。数年前までは土日関係なく仕事していた。その結果葛西は彼女にふられて、沼田は離婚の危機に瀕して、うちは段ボールで溢れて新人は逃げ出した。

 沼田もiPadでコンテを書きながら口を開く。

 

「そうだな、俺も土日は休みたい。なんとか今週中に出すよ。ラフでもいいかな」

「もちろんです!!」


 莉恵子は大きな声で言った。

 そしてLINEを立ち上げてさっき届いた画面を見る。

 相手は神代だった。


『仕事終わったんだ。土曜日、面白そうな展示してるから美術館行かない? 仕事相手じゃなくて前の距離感で。撮影所で話した時楽しかったから』


 莉恵子はニヤつく唇を噛んで返信を始めた。


『土曜日大丈夫です。前に言いませんでした? うちのチームは土日仕事しないんです』

『お。本当にそうなんだね、すごいじゃん。じゃあ土曜日、十時に駅くらいでいい?』

『了解です!』


 返信して膝を抱えてニヤニヤしてしまう。

 前の距離感……前の距離感とは?! 前の距離感って何だろう。ちょっとインターネットでググってみる? 前の距離感。


「でへへ……」

「あ~~~、莉恵子さんデートだ。きっとデートだ。口元ニヤニヤしてる。あー、デートだ。よっしゃ頑張りましょう~~」

「おお~~~??? 大場ちゃんデートなの? じゃあおじさん、コンテ頑張っちゃうぞ~~。おい葛西、高速今のタイミングで降りないと横浜行っちまうぞ」

「あーー、すいません、あーーーー」

「もういいよ、次で降りて、ほら降りたところにラーメン屋さんあったじゃん。そこで夜ごはんにしよ」


 莉恵子はスマホをカバンに落として外を見た。

 楽しみなことがあるだけで、小さなことなんて全部許せてしまう。

 もう明日やろうと思ってたことまで今日しちゃう!!

 巻いていくよ!!

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