第16話 足元を見てから


「すごい、本当にシンクに本が入ってる!」


 誰もいない台所で芽依は叫んだ。

 台所を埋め尽くす段ボールをすべて開けて、やっとシンクにたどり着いた。

 そこで目にしたのは、シンクのサイズに合わせてキッチリとハマっている本たちだった。

 「片付けは私がするから!」という莉恵子の言葉を信じて? 芽依は本の山をせっせと莉恵子の部屋に運ぶ。

 本当なら二階の書斎にもって行き、キレ~~~~イに並べたい。

 芽依は本をきれいに並べるのが大好きで、なんなら『あいうえお』順に並べたい。でもそうやってなんでもやることがその人のためにならない……ということまで頭が回らなかった。

 自分で整頓しないと『整頓した人に聞かないとある場所がわからない』のだ。

 拓司が保険証の場所を聞いてきたのは衝撃的だった。

 そもそもあの場所を指定したのは拓司だったのに!


「自分でやらさないとダメね」


 芽依はよいしょ、と本を運んだ。

 すると本の隙間からパラリ……と写真が落ちてきた。それは芽依と莉恵子が通った高校の文化祭で撮った写真だった。

 

「なつかしい」


 芽依は写真に見入った。高校一年生の時の柊(ひいらぎ)先生と一緒に仮装をしたみんなで写っている。

 柊先生は親身になって芽依の家庭のことを心配してくれて「家が不安定なら、ちゃんと手に職を持ったほうがいい」と教えてくれた。

 普通の進学校で、多くの資格を取ったのは柊先生がすすめてくれたからだ。

 その時に取った簿記の資格で不動産会社の仕事もすぐに採用された。

 大学に入ったら教員免許も取っておけ! とか……。


「あ、そうだった。私、教員免許も持ってるのよね」


 小学校教師になるための教員資格認定試験も合格して、資格を持っていた。

 柊先生に言われてとりあえず取ったというのが本音だけど……。


「よいしょ、と」


 芽依はその写真をこたつの上に移動させて本の移動を再開した。

 正直、まだ『幸せな家庭』に対する夢は諦めきれない。今は何も考えられないけど、また『自分だけの家族』というものを作りたいと強く思う。

 だけど……もう仕事は手放したくない。結婚してから『この生活は違う』とうっすら気が付いていたが離婚に踏み切れなかったのは立場が不安定だったことも大きい。だったら夢だった教師をしてみる……?

 でももう何年間勉強から離れてるのよ?! そんなの無理でしょう。

 でも……そういえば小学校の先生に憧れてたのよねえ……。

 芽依はどんどん本を片付けて、段ボールをビリビリ開けながら考えた。


「調味料入れ、出てきたーー!」


 莉恵子はどうやら『やる気だけは』本当にあったようで、家を片付けるためのグッズは色々出てくる。

 それに段ボールを開けると色々出てくるのも、宝探しみたいで楽しい。

 芽依はバリバリと段ボールを開けて台所を片付け続けた。

 するとこたつのテーブルに置き去りのスマホにポンと通知が入った。

 見ると……結桜だった。悩んだ結果、ブロックを解除してLINEをしていた。

 

『学校行ってないことに理由なんてないよ。やる気なくなったから家で寝てるだけ』


 芽依はそのメッセージを見て、むしろ心配が増した。

 結桜と子どもの頃の芽依はよく似ているので(いや、もちろん結桜のほうが高飛車だけど、それは環境だと思う)気持ちが理解できた。

 学校で優等生を演じていると、ほんの少しでも思い通りにならないと、簡単に心が折れてしまう。

 それを吐き出す場所が芽依だったのだと理解していたからこそ、ワガママをすべて受け止めていた。

 それに家を出る時に『芽依さんがいないとこの家回らないよ!』と言ってくれたことも気になっていた。


『結桜ちゃんのこと気になって……ごめんね。家はどうかな?』


 すぐに既読になってメッセージが帰ってくる。


『もう関係ないでしょ。関わらないで。クソみたいな男と離婚おめでとうございます』


 そしてヤッタ~~~と派手なスタンプが踊った。

 芽依はそう言われると何も返せず、画面をぼんやり見続けた。

 最初は「ものすごく生意気な子」と思った。口を開けば食事や家事に文句ばかり。

 でも美味しい紅茶お菓子を準備すると「あれよ、あれ、あれが美味しかったのよ!」と怒りながら言う。

 義姉さんが出なかった面談に出た時に、恐ろしいほど優等生を演じていることを知って、苦笑してしまった。

 どうしようもなく気持ちがわかった。


 現時点で見てもらえないのに、優等生じゃなくなったら今以上に見てもらえない。

 がんばり続けないと、今以下になってしまう。

 そんなの怖くて仕方なくて、階段をおりることさえ許されない日々。


 学校で結桜の話を聞いた夜は胸が痛くて眠れなかった。

 やっぱり子どもに罪はない……見捨てられないよ。

 明日、一度会いに行ってみよう。芽依は思った。 




 夜になったので居酒屋に挨拶に行こうと思ったら莉恵子からLINEが入った。

 曰く「お母さんがお酒飲ませてくれないの! 仕事終わったし、実家脱走した」。

 じゃあどこにいるのよ?! と聞いたら駅前の立ち飲み屋で飲んだくれていた。


「芽依ち~~~ん」

「完全に酔ってるじゃない。帰るわよ。お金払ったの?」

「毎月ツケで月末に頂いてます」

「ええ……ツケ? 何かすいません。もう莉恵子、帰るわよ」

「芽依ち~~~ん」

「わかったわかった」


 莉恵子は酔っぱらうと私のことを『芽依ちん』と呼ぶ。変だからやめてほしいと言ってるのに、毎回忘れている。

 まったく困ったものよ。仕方なく駐輪場から自転車を出して荷物を乗せて、ゆっくり歩いて帰ることにした。 

 そして酔ってる莉恵子相手くらいが丁度いいや……と結桜のことを相談してみることにした。

 どうしても昔の自分と同一視してること、心配だから一度連絡して、会おうと思ってること……ぽつぽつと話した。

 そうと言うと莉恵子は白い息を吐きながら言った。


「芽依ちんさあ、芽依ちんのままで行ってもそれはたぶん、受け入れてもらえないよ」

「……どうして?」


 莉恵子は続ける。


「芽依ちんはさあ、結桜ちゃんからしたら、ただの追い出された他人なんだよね。ここに感情を入れない、ここポイント。ポイントだよ。どんな感情があってもさあ、現状ってのは冷静にわけてみないと。感情に判断をゆだねると九割失敗するんだよねえ~~~」

「どういうこと?」


 芽依には莉恵子が何を言っているのかよくわからない。

 たしかにただ追い出された他人だけど、結婚して四年間結桜の面倒を見てきたのは芽依だ。

 それに育ってきた環境も似ていて、誰より結桜の気持ちを理解できるという自負もある。

 今、結桜に一番必要なのは自分だと言い切れる。


「芽依ちんは、たぶんさあ、行ったら『ちゃんと学校にいって、資格とか取って、自分のために力を付けないとダメよ』とか言うっしょ」

「うん、だってその通りじゃない。このまま受験からドロップアウトして偏差値が低い高校に行ったら一生人生をやり直せないわ。家を出ないと不幸になるわ」

「じゃあさあ、幸せな結婚からドロップアウトした芽依ちんは、今不幸なん?」

「え……いや、違うわね。でもそれは結果論よ」

「芽依ちんはさ、放り出されたけど、ちゃんと自立してる人になってから、放り出されても何とかなるって見せないと、たぶん話聞いてもらえないよ。たぶん下に見られて終わり」


 莉恵子は、そんな感じする~~と白い息を吐きながら続ける。


「ネクストステージの芽依ちんになってから、ほら立ちなさいよって言わないと、一緒に沼に沈むだけだよ。こうずるるる~~~ってさ」


 莉恵子にそう言われて、芽依の脳内には結桜に手を伸ばしたものの、何も出来ずに一緒に沈んでいく絵が見えた。

 たしかに……今の芽依には結桜と一緒に食事をするにしても、拓司から渡された慰謝料ですることになるのだ。

 よく考えたらそれは、ものすごく屈辱的だった。

 芽依は思い出した。


「今日シンクの本出したら、柊先生の写真が出てきたわ」

「うっひょ! 超なつかしいんだけど!! くううう、まだ先生してるのかなあ」

「それでね、私、教員免許持ってること思い出したの」

「あ、そういえば資格めっちゃたくさん持ってたね。へえ、そんなのも取ってたの」

「もう何年も勉強なんてしてないし、試験なんて無理だから……って思ったけど、合格したら……結桜ちゃん、会ってくれるかな」

「あ~、それならきっと話聞いてくれると思うよ。だって追い出された芽依じゃないもん。ネクスト芽依ちん、新しいね」


 莉恵子は「ていうか、仕事でご飯食べると食べた気しなくてお腹すいてきた……」としょんぼりとコンビニの前で止まった。

 芽依は莉恵子の肩に手を置いて


「冷凍庫にうどんを入れておきましたが?」

「芽依ちん好きーーー!!」


 莉恵子はニパアアと笑った。

 そうね、ネクストステージ。ちゃんとしてから、背筋伸ばして結桜に会おう。

 だって今、私、全然不幸じゃないもの。

 どうしようもなくたって立ち上がってみせる。

 

 芽依は次の日さっそく本屋に行って、試験に必要な参考書を買ってきた。

 それを写メって、結桜に送った。

 既読になって何も返ってこないけど、まずはここからだ。


 

 

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