第15話 実家


 莉恵子の母親が働いているお店は、自宅がある公園側ではなく、反対の東口にある。

 東口には大きな商店街があり、そこを中心に町がひろがっている。

 大きなデパートがあって、その裏側には小さな個人経営のお店がたくさんあり、莉恵子の母親がしている店はそこにあった。

 昼は鶏肉を使ったランチ、夜は焼き鳥がメインの飲み屋になる。

 葛西は手土産をガサガサ持ちながら言う。

 

「久しぶりにおじさんが焼く茄子を無限に食べたいです」

「ああ、わかる。焼き鳥屋で食べる野菜ってどうしてあんなに美味しいのかね」

「ネギまを十本くらい食べたいです。俺、今日の夜焼き鳥だって分かってたので、朝からウイダーインしかキメてません」

「あー、お腹すいたね、いっぱい食べよう」


 話しながら商店街を抜けて店に到着して裏口を覗くと、そこにちんまりと座った蘭上が居た。

 変装もしてなくて、会議室で会った時と同じ……真黒なロングTシャツとシンプルなGパンを履き、ぼんやりと座っている。

 連日メディアに出ているのを見ているので、こんな狭い調理場に蘭上が居ると合成のように見えてしまう。

 莉恵子は挨拶しながら中に入った。


「蘭上さん、遅くなりました。大丈夫ですか、母が飲ませてしまってすいません」


 莉恵子が言うと蘭上はふるふると首を振って


「甘酒苦手だったけど、一口飲んだら美味しかった。なんか、栄養感じる」

「それは良かったです。自家製なんですけど、栄養満点で疲労回復に最高ですよ。お待たせしました、お部屋に行きましょうか」

「うん。でもここもすごく好きで見てた。みんなの仕事見てるの、いいね」


 蘭上はそう言って莉恵子の母親が再婚したおじさんの方を見た。

 おじさんは板前さんで、美しい手捌きで刺身を作っていく。

 そして莉恵子たちに気が付いて「お!」と手を拭いて近づいてきた。


「莉恵ちゃん、久しぶり。また疲れた顔しちゃってー。ほらほら、部屋入って。なんかお兄ちゃん、莉恵ちゃんくるまでここに居るっていうからさ」

「おひさしぶりです!」

「じゃあ何? とりあえず『お疲れセット』にする?」

「そうですね。それでお願いします」

「了解ー!」


 おじさんはニカッと笑って作業に戻った。

 おじさんと莉恵子の母親は、莉恵子が小学校四年生の時に再婚した。

 莉恵子が高校を卒業するまでは「若い女の子とおじさんが一緒に住むとか、ハレンチだ!!」と言い、ひとりで暮らしていた。

 そして莉恵子が大学進学したタイミングで、母親と居酒屋の近くに部屋を借りた。

 父親が死んで二年程度で再婚すると言われた時は、正直イヤだったけど、頑なに実家に立ち寄らず、距離を取ってくれたおじさんに感謝している。

 だからこそ今、ここまでの信頼関係があるのだと思う。


 この建物は細長く七階建てで、完全予約制の個室は六階にある。

 昔はおじさんがひとりで寝泊まりしていた部屋を個室にしたのだ。

 一部屋しかなくて、プライバシーは完璧に守られるし、トイレも何ならお風呂もある。

 入るともう部屋は温かくてこたつの上にお通しの白和えが置いてあった。

 蘭上を一番奥に通すと、蘭上はスススとこたつに吸い寄せられるように入っていった。

 そしてパアアと笑顔をみせる。


「すごい。噂どおり、温かい」

「会社でも話してたんですけど、こたつはもう珍しいものになりましたね」

「うん。昔の漫画とかで見てた。あったかい。すごい。俺ビール飲む」

「了解です。食事をそれほど食べられないということで、湯豆腐でどうでしょうか。裏のお豆腐専門店から仕入れてる美味しい豆腐なんです」

「とうふ、好き」


 蘭上がパアアと表情を明るくしたので、それを注文した。

 この湯豆腐や鶏肉メインのコースは、莉恵子が働きすぎてぶっ倒れた時に作られた通称『お疲れコース』で、胃にやさしいものが多い。疲れている時に突然牛肉の脂を摂取すると、さらに疲れてしまうのだ。

 そして莉恵子たちもビールを頼んだ。お母さんが「六階まで何度も行きたくないわ!」と言い出したので、この店のためにiPadで注文できるシステムを発注した。

 各テーブルにiPadを置いて、そこから注文できる。

 注文聞くためだけに何度も移動するのは面倒すぎるし、インターフォンを何度か鳴らされるのはスタッフも大変そうだった。

 でもこのシステムにしてから、商品を運ぶだけになったので、かなり楽になったと聞いた。


「失礼しますー。準備させていただきますね」

「お母さん、よろしくですー」

「あらまあ、莉恵子、またバカみたいに痩せたわね。はい莉恵子はビールじゃなくて甘酒」

「うう……ビールが飲みたいです……」

「次は昆布茶にしなさい。関節楽になるから」

「ビール……」


 お母さんは莉恵子の注文など通さない。

 顔色と体調を見て、勝手に食事を持ってくるので、ここにきてビールは飲めない。

 飲みたい……。お母さんは莉恵子を完全に無視して蘭上の前にビールを置く。


「蘭上くん、お待たせしました。湯豆腐の準備もさせていただきますね」

「甘酒、おいしかったです」

「ビールより昆布茶のがよいわよ? ビールは体を冷やすから」

「もうお母さん、いいから!!」


 お母さんは弱っている人を放置できない……よく言えばやさしい人、悪く言うと超絶おせっかいだ。常連さんのためにスペシャルメニューを考えるなんて日常茶飯事だし、お金がなさそうな人に残り物をつめてお弁当として持たせたりする。

 いろんな法律に引っ掛かりそうだが、お母さんはやめない。


「この……未来小鉢って、なに?」


 蘭上がiPadでメニューを見ながら言った。

 それはおせっかいのお母さんが始めたメニューで、小鉢の四百円を購入すると、二百円分の小鉢が届く。そして残り二百円は、お金がない学生さんや、食事に困る子供たちの食事代金に回るのだ。そしてその小鉢を食べた人たちが将来お金を稼げるようになった時、未来小鉢を買ってくれたら、永遠に続くのではないか……というお母さんが始めたことだ。

 莉恵子が説明すると蘭上は言った。


「じゃあこの未来小鉢。十個頼む。あ、大場さん、今日おごらないで。社長がお金ポケットにねじこんできたから、たくさんある」

「あらまあ、大富豪! じゃあその値段で何か見繕ってきますね」


 お母さんはビールを置いて湯豆腐をセットすると、にこにこしながら一階におりていった。莉恵子は乾杯の声をかけながら口を開いた。


「すいません、なんか。気を使っていただいて」

「ちがう。いいと思ったから、言った。宣伝したほうがよくない? 俺フォロワー百万だよ」

「助かりますけど、それをすると蘭上さんはもう来られなくなりますよ」

「やっぱり絶対言わない。俺、この店気に入った」

「それはよかったです、湯豆腐どうぞ。すごく甘いんですよ」


 莉恵子がすすめると蘭上は豆腐をひとつ出して、小さくスプーンですくってもぐりと食べた。そしてパアアアとまた顔を輝かせた。


「豆の味がする」

「そうですよね。今朝ゆでてつぶした大豆なんです。これとビールが最高です。この鰹節も今朝削ってて、醤油も特別なものです」

「……おいしい。いいね、俺、これだけでいい」

「よかったです」


 豆腐を食べてビールを飲んで、こたつの天板に顎を置いてポヤーとし始めた蘭上を見て、ここで正解だったと莉恵子は思った。

 横に座っていた葛西は書類を取り出しながら口を開いた。


「じゃあちょっとお仕事のお話させて頂いてもいいですか?」

「お仕事……任せた」

「うちの企画の、どこらが一番気に入って決めていただけたのでしょうか」

「うーん……ぜんぶ」


 こたつの天板に顎を置いて眠りそうになっている蘭上を見て、葛西が困っている。

 莉恵子も豆腐を食べながら口を開く。


「蘭上さんって、基本的にお食事はひとりでされてるんですか?」

「うん? ひとりが多いかな。ていうか、ひとりだから食べない。誰かと一緒の時に、こうして人間ぽいの食べるから、それでいいかなって」

「誰かと食事すると、自分だけでは食べられないもの食べますよね。私、辛いもの苦手なんですけど、詳しい人に『プラオ』っていう炊き込みご飯を教えてもらって。これがもう、すっごく美味しかったんですよ。スパイスを使った炊き込みご飯。でも誰かと一緒じゃないと食べなかったんですよね」

「俺も、うん。そういうのは楽しいと思う。食べるなら、誰かと食べたい。ひとりなら炭酸水でいい」

「わかります」


 話しながら糸口をつかむ。

 どうやら蘭上さんの心に一番響いたのは、距離を取って食事をするシーンだ。

 じゃあ、あそこをメインに再構築したほうがいい。

 とうふを美味しそうに食べながら蘭上が口を開く。


「そういえば気になってたんだけど。プレゼンの時に最初は宇宙なのに途中で学校になってて、最後廃墟じゃん? どうして?」


 ギックウ……。

 たぶん莉恵子と葛西の表情は石のように固まったのだろう、蘭上が興味を持ってふたりのほうを見た。


「意味があるのかなーと思って」

「いえ……意味はないです。ロケ地の問題もあるので、一か所に変更すると思います」

「あ、わかった。どこかのプレゼンとかぶった?」

「ぎくぅ~」


 もう声に出して莉恵子が言うと、蘭上は「ビンゴだ~」と水が流れるように静かにほほ笑んでビールを飲んだ。


「まあ、そうかなと思った。でもいいよ、俺はこれを気に入った。だからそれだけでいい。場所ひとつにするなら、この真っ白な教室でご飯食べたい」

「あ、それいいですね。教室で生活してるとか、どうですか」

「いいな。俺、学校に行ってないから、学校に憧れてるんだ」

「学校に泊まれる施設が千葉にありますよ。ロケそこにしましょうか」

「行きたい。一週間泊まる」

「たぶん社長がキレますね」

「毎日迎えにくればいい。そんでお豆腐もっと食べたい。iPad貸して?」

「はい、どうぞ」


 莉恵子は冷や汗をかきながらiPadを蘭上に渡した。

 まさか本人につっこまれると思わなかった。

 それでもかなり蘭上が求めているものが見えてきた。

 今も作業中の小野寺にリアルタイムで指示を出そうとビールに手を伸ばしたら昆布茶で悲しくなった。

 仕事の話が終わったら実家を抜け出して、駅前の行きつけの立ち飲み屋に移動しよう……そう決めた。

 関節なんて痛くないもん!! 

 

 

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