第10話 中途半端な恋のような何か


「むはぁ……朝から温かいコーヒーとパンが食べられる日がくるなんて……」

「いやいや、電気ポットも、インスタントコーヒーも、全部この山から出てきたでしょ」

「やる気はあった……しかし時間が追い付いてなかった……」


 こたつで飲んで起きた朝。

 莉恵子はマグカップに注がれた美味しいコーヒーを飲んでしみじみと言った。

 こうやって朝こたつでコーヒーを飲んでから会社に行こうという意思はあった。

 それは段ボールの山たちが証明しているのだ。

 しかし時間がね、それを許していなかったのです。

 こたつの天板にドン……と肘をついた芽依が莉恵子を睨んでくる。


「今日私、前の仕事場行って辞める話してくる。帰ってきたら、大掃除開始するからね」

「私なんの用事もないから、掃除を始めとくね。帰ってきたら一緒にしよ! ご飯は適当に買って来よう。ここら辺新しい店が増えたよ」

「了解!」


 簡単な食事を終えて準備を始めた。

 とりあえず芽依に鍵を……と棚をあさると棚の奥からエコバッグのキーフォルダーがくっついた鍵が出てきた。


「芽依、これ。家の鍵」

「ありがとう……って、なんでエコバッグがくっついてるの?」

「買い物行く時楽でしょ?」

「はあ? 買い物に行ってないのに、ぜ~~んぶ通販なのに、どうして買い物行く時に楽って言葉が出てくるの?」

「その気はあるって証明できたでしょ」


 てへ! 莉恵子は笑ってごまかした。

 芽依は呆れながらエコバッグを外して鍵だけ取った。


「借りますね。オーナーよろしくおねがいします」

「こちらこそ、よろしくおねがいします。第二の実家じゃない? 気楽にすごしてよ」

「第二の実家が、こんなことになってるなんてね……」


 芽依は部屋を見渡して遠い目をした。

 莉恵子は「てへ!」と笑ってごまかしたが、思いっきり芽依に指をお腹に差し込まれた。

 いたぁい!!

 一緒に自転車の鍵も渡して、駅でいちばん停めやすい駐輪場も場所もLINEで送った。

 芽依は


「じゃあ辞める話してくるね。昼過ぎには帰るーー!」


 と自転車を運転して消えて行った。

 さてと、掃除しよう! 莉恵子はとりあえず玄関の段ボールから着手した。




「なんていうか……洗剤ばっかり出てくるな……」


 莉恵子は玄関の段ボールを開けながら呟いた。

 同じ衣類用洗剤が延々と出て来るのだ。莉恵子はピンときた。

 Amazon定期便……!! 悪さをしているのはお前だな?! さっそくスマホで確認すると、やはり定期便に入っていた。

 ものすごく忙しかった時に、洗剤が消えて、定期的に送ってくれるサービスに入ったのだ。

 そして入ったことも忘れていて、たまに別のサイトで注文している。

 LOHACO……こんなに洗剤を届けてくれてありがとう、Amazonと丸被りしてる……。

 本当になにも考えてない脳死状態で注文してる現状に頭が痛くなる。

 こりゃあかん、と即定期便を停止。


 そして先日届いた箱を開けると、デザインがマイナーチェンジしている。

 楽しくなって玄関に並べ始めると、なんと同じ洗剤なのに三回もデザインが変わっていた。

 こういうのを見ると逆に興味が出てしまう。

 なになに? なんでデザインを変える必要があったの?

 後ろの表記を見ると、ほんの少し入れているものが違った。はあ~~ん、ひとつでも変わったら変えないとダメなのね。 

 大変だなあ~~。

 莉恵子は洗剤をふたつもってこたつに入って後ろの表記を見比べながらアイスを食べた。

 こたつの周りには、まだ壁のように段ボールがある。


 ……アイスは美味しいが、先がながい。


 でも定期便は止めたので、これで結構きれいになるはず。

 ハッ……として、他にも定期便にしているものがあるのではないか、と見てみたら、出てくる出てくる……ニベアのクリームに使い捨て手袋、大きなゴミ袋にティッシュ箱……。違う、Amazon定期便が悪いのではない、本当に毎回開けないのが悪いのだ。莉恵子は苦笑しながらそれを止めた。

 そして、周辺の段ボールを開けると、やはり同じような商品の海が広がり、こたつで倒れこんだ。


 つかれた。


 でもまあ悪くなるもんじゃないし……とりえあず二階に移動させようと思った。

 あることを芽依に伝えて、上から優先的に使ってもらおう……そう決めて莉恵子は久しぶりに二階に上がった。




 二階は二部屋あるのだが、一部屋は物置、一部屋は亡くなった父親の書斎がそのまま残っている。

 その部屋に莉恵子の本も置いているので、ちょっとした図書館のようになっている。

 久しぶりに換気しようと書斎の窓を開ける。


 父親は働きながら小さな劇団で脚本を書いていた人で、本当に色々な本がある。

 写真集から詩集、純文学から、セーターの作り方まで。それは莉恵子の感性の源になっている。

 父親は映画が好きで、パンフレットを何百冊も取っていた。

 それを面白く見て見て育ったので、莉恵子も映画を見るとパンフレットを必ず買う。

 莉恵子はいつも通り……一冊のパンフレットを手に取った。


 それは尊敬する映画監督、神代勇仁(かみしろゆうじ)が撮った映画のものだ。


 神代は、父親と同じ小さな劇団に所属していた若い演出家だった。

 父親より莉恵子に年齢が近かった神代に子どもの頃よく一緒に遊んでもらった。

 そして父親が亡くなった時は、一緒に泣いてくれた。

 すぐに働きはじめた母親のかわりに映画館に連れて行ってくれたり、本を買ってくれたり……神代は良いお兄さんだった。

 中学生の頃には恋心を確信してたけど、十も下の小娘が相手にされるはずがない……ただ結婚しないでほしいなあ……と見守っていた。


 神代を追って映像業界に入り、まだ一緒に仕事はしていない。

 たまに撮影所やロケ先で会ったりすると「お、莉恵子か~~~!」と頭を撫でてくれる距離感が嬉しくて、仕事も恋も始められないままだ。


 それに莉恵子は『仕事相手とは絶対に恋をしない』と決めている。

 仕事は、意見を戦わせることも多くなるし、そのほうが良いものができることが多い。

 相手を強烈に論破したり、逆に嘘でも褒めたりする。それは考え方のものすごく深くに入りこむ行為で、その行為をしたあとに、はい恋人の空気になりましょう~というのは無理なのだ。これは一度若かった頃に現場で恋愛したからこそ言える。

 絶対に無理。


 神代とは仕事をしたい。

 私だって一人前になったのだと見せつけてから……それから……それから……?


 昨日芽依が言った言葉を思い出す。


『家に呼びたいけど、呼んだらダメで、家を汚い状態にすることで遠ざけている恋の話はいつ聞けますか?』


「鋭すぎる……」


 莉恵子は椅子に座ったまま呟いた。

 別に子どもの頃から片時も忘れずに神代を好きだったわけではない。

 普通の彼氏ができて、たくさん恋愛もしてきた。結婚だって考えた人もいる。

 それでも心のどこか……イヤなことがあるたびに神代と比べた。

 結局ずっと、心の中に何年も住み着いているのだ。


 神代は父親を尊敬していたので、たまに会うと「ご自宅にある書庫に借りたい本があるんだよ。お邪魔してもいい?」と聞いて来る。

 そのたびに「家が超汚くて」と言って逃げてきた。

 でも家がきれいになったら、もう言い訳は……友達と同居してるからにしよ~~っと。


 ……それで何か解決するのだろうか。


 もうこの心が恋なのか尊敬なのかさえ、分からない。

 頭の中がグルグルしてきてパンフレットを机に戻した。

 それに。

 好きだなんて伝えたら、いままで知り合いの父親の娘で、ずっと可愛がってもらってて、仕事も同じような所にいて、それでも普通の女の子よりは近い……という中途半端だけど、気に入っている距離感がぶち壊れて、恋愛関係という単純な言葉になってしまう。

 私と神代さんは、そんなんじゃないもん。

 ちがうもん。


「あー……もうヤダヤダ、もうこのままでいいよ。仕事仕事。やっぱ現状維持最高。いらんいらん、なにもいらん……」


 莉恵子は回転椅子でくるくる回って、そのまま床に倒れこんだ。

 

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