第8話 家の惨状と莉恵子の恋
芽依は絶句した。
覚悟はしてきたけど、この量の段ボールは想定外だった。
玄関はすべて段ボールで埋まっているし、その先の廊下もみっちり積まれている。
段ボール迷路のように人ひとり通れるスペースがあいていて、そのままリビングに入る。
リビングの中も、これまた人ひとりが通れる道が作ってあって、その先にこたつが見えた。
こたつの机の上はきれいにされている。
布団も染みなどなく、クリーニング……いや、違う、芽依は部屋の隅を見た。
そこにはこたつ布団が投げ捨てられていた。
その視線にきがついた莉恵子がテーブルの上に袋を置きながら言う。
「もう面倒だから一年に一度、こたつの布団を買ってるの。そんで古いのは捨ててる。ね、清潔でしょ? 下も新品、ダニもなし!」
「その汚い布団を捨ててない時点で清潔じゃないよ!」
「芽依が来るって分かってたら、その布団は捨てたけどなあ」
「どこに?」
布団を捨てるのは簡単ではない。どこの自治体もコンビニなどで捨てるための券を買ったり、申し込んだり……。
芽依がいた所は、市役所のサイトで申し込みが必要だったが、トップページからリンクされてないので、探すのが一苦労だった。
片づけが苦手な莉恵子が、そう簡単に捨てられるはずがない。
莉恵子は遠くを見ながら
「倉庫に?」
とほほ笑んだ。
外を見ると大きな倉庫が見えた。
芽依はあの倉庫の中を想像するだけで、背筋がゾクゾクした。
あの倉庫、ぜったいヤバい!!
自分のことをそんなにきれい好きだとは思わないが、届いた段ボールは数日中に捨てる。
単純に邪魔だし、埃がたまってイヤな気持ちになる。
「ていうか、この段ボール、なにが入ってるのよ?」
芽依はこたつのすぐ横にあった未開封の段ボールを開く。
そこには洗剤が入っていた。駅前の薬局で売っている衣料用洗剤だ。
こんなのわざわざ通販で買わなくても、駅に出たついでに買えば良いじゃないかと言うと、莉恵子はこたつにモゾモゾ入りながら苦笑した。
「打ち合わせに行く途中で洗剤買えないじゃん? 基本的にずっと打ち合わせか、会社でチェックか、会議で、本当に買い物に行けないのよねー。休日は九割寝てる。それでこんなことに?」
莉恵子はほい、乾杯しよ? とさっき買ってきたビールを取り出した。
こたつは温かくなってきたし、捨てろ! と言ったけど入るとやはり気持ちがいい。
ビールは本当に美味しくて、膝から下が温かくて、じんわりと心が柔らかくなるのが分かった。
莉恵子はこたつの中から少し温まった布の塊を出してきた。
「ほい。半纏。これも先月買った新品だから大丈夫」
「足元になにかあると思ったら、半纏! しかもこたつで少し温めて!! ていうか、めちゃくちゃ久しぶりに半纏とか見たんだけど」
「これがもう最高よ。帰ってきたらまずビール。そして少し温まった半纏を着て、またビール。あ、ビール用のタンブラーも買ったはず」
莉恵子はメールを確認して、段ボール横のラベルを見た。
そして器用に引き抜いて開封、そこからビール専用のタンブラーを出してきた。
ここまで積み上がっているのに、どこになにがあるのか正確に把握している状況に芽依は驚いた。
「どこになにがあるか、把握してるの?!」
「買った順番に積み上がってるからね。これ、Amazonのセンターと同じシステム導入してるの。Amazonのセンターってね、商品をカテゴリーで置いてないんだって。トラックで届いた順番に大きな箱にどんどん置いて行く。そして、どの棚に商品があるか、登録するの。カテゴリーで移動させて、商品を取りに行く……の二つの導線じゃなくて、ひとつだけの導線にしてるのよね。はー、Amazon天才かな」
莉恵子は気持ち良さそうにウンチクを語るが……芽依は冷静になった。
「じゃあやっぱりここはAmazonのセンターじゃない」
「あ、そんな気がしてきた」
えへへと笑って莉恵子はビールをググググッと飲み、ぷぱあああ……と言ってこたつの天板に顎を置いた。
芽依は天板に肘を置いて、莉恵子と視線を合わせる。
「あのね、莉恵子。私実家ないじゃん」
「無いねえ」
「離婚して消滅したじゃん?」
「待ってました! みたいに消えたねえ」
「まさにその通りなのよねえ……」
芽依の両親は子どものころから芽依に興味がなかった。
幼稚園のお遊戯会から、小学校の授業参観まで、両親が来てくれたことは一度も無い。
三人で食事をとったことなど、両手で数えるほどしかない。
三人揃うと「うれしい!」と思っていたが、一言も話さず、芽依を挟んで会話するふたりに疲れてしまった。
まず母親が帰らなくなり、その後父親とふたりで暮らした。
暮らすといっても、帰ってくると机の上に千円置いてある……そんな状況だった。
芽依が十八歳になるのと同時に「待ってました」と言わんばかりに離婚。
実家という場所は消滅した。
「ひとり暮らしの友達は少ないし、正直生活のめどがたつまで莉恵子の家にお邪魔しようと思ってたんだけど……」
莉恵子はガバッと身体を起こして叫ぶ。
「全然オッケーだよ、部屋なら超あまってるし!!」
身体を起こした莉恵子に、芽依はグイと顔を近づけた。
「ねえ、片づけて良い? 全部あけて、段ボール捨てて、正しい場所にそれを片づけて、この真横に積まれているよく分からない本の山も片づけて、なんだか知らないけど床に置いてあるパソコンを、なにだからしらないけどデスクっぽいのに段ボール積み上がられている机の上に展開して、なんだかしらないけど布団にまみれている椅子を出してもいいの?」
「うわーん、助かる、お願いしますー!」
「任せて。莉恵子は忙しいもんね。私がやっておく。拓司さんも何もしなくてね、洗濯物は部屋に放置、食べたお皿は片づけない、コートは出しっぱなし……全部してあげてたの」
「……いやいや。それはヤバいでしょ。洗濯してもらってて、食事作ってもらってて、それはヤバいでしょ」
「でも言ってもやらないし、私がやったほうが早いんだもん」
芽依が笑いながら言うと、莉恵子はサーッ……と青ざめてこたつの天板に頭をぶつけた。
「?! 莉恵子、大丈夫」
「……全然大丈夫じゃないわ。ごめん」
*****************************
莉恵子は不甲斐なくて、天板に頭を打ち付けていた。
「芽依が掃除をしてくれるなら、ラッキー!」と一瞬思ったが、そんなの拓司さんと変わらないじゃないか……と気が付いたのだ。
私も今、自分のやらないことを芽依に押し付けようとしていた。
はあ……情けない。
莉恵子は顔をあげた。
「あのね、芽依。今、私、楽しいの」
「うん? 私も楽しいけど?」
「友達と一緒にダラダラこたつで話できて、お酒飲めて、超楽しい。私は芽依に家事をしてほしいんじゃなくて、一緒に楽しく住みたいんだよね」
「うん……? でも莉恵子は忙しいし……」
「今まではひとりで住んでたから自分勝手で良かったけど、芽依が一緒に住んでくれるなら、自分のことは自分でちゃんとする。というか、もうそろそろ……片づけて、家も私も、ちゃんとしないとダメだって思ってた。分かってたけど、ずっと逃げてたの。自分の気持ちに蓋をしたくて逃げてきた。でも、ちゃんとする。だから芽依はうちの掃除を全部しなくていい」
「ええ……?」
芽依は完全に戸惑っているのが分かる。
突然家にきたという負い目もあるし、やらなくて良いと言われても、境界線が分かりにくいのかも知れない。
任せる部分を明確に出して、その対価を示す。分かりやすいサンプルワードはないだろうか……。
莉恵子は「ふむ」と一瞬考えて、口を開いた。
「じゃあ、この家をシェアハウスにするって考え方はどう? 私はオーナー。芽依は和室をレンタル。共有部分の掃除はお願いして、家賃は四万でどうだ」
悩んでいた芽依の表情が一気に明るくなった。
「あ、それなら分かる。共有部分と部屋を借りるってことね」
「一緒に暮らすなら、一番近くて、一番遠い他人になろうよ。私は芽依と一番の親友だけど、ちゃんと芽依の他人でいたい。芽依と末永く友達でいたいから、そうするの」
莉恵子は芽依にみかんを渡しながら言った。
芽依はそれを受け取って、笑顔で頷いた。
「うれしい。ちゃんとしてくれてありがとう。シェアハウス、共有部分の掃除を条件に月四万円で契約させて頂いてよろしいでしょうか?」
「もひほん!」
莉恵子はみかんを口に入れて、もぐもぐさせながら言った。
共有部分の掃除をお願いできて、家賃収入も入るなんて、正直最高にウマウマだ。
芽依はさっそく慰謝料の中からサラララとお金を引っ張り出した。
「じゃあとりあえず一年分、四十八万です」
「うひょお……こんなにうまい話があるのだろうか……Amazonで……」
「莉恵子」
「ZOZOTOWNで……」
「莉恵子」
「嘘だよお。今日からよろしくお願いします」
そういって莉恵子はほほ笑んだ。
芽依はお金を仕舞いながら口を開く。
「それで? 家に呼びたいけど、呼んだらダメで、家を汚い状態にすることで逃げている恋の話はいつ聞けますか?」
その言葉に莉恵子はみかんを喉に詰まらせそうになった。
「ちょっと?! なにそれそんれあじうえれだれげ」
「お家デートに私が邪魔になったらいつでも言ってね。一時退避しますから」
「どうしてそんなに鋭いの?! 良くないよ!!!!」
「話してくれるの、楽しみにしてる~~。じゃあお風呂先に借りますね~~」
芽依はさっき場所を教えたお風呂にトコトコと消えて行った。
莉恵子は開いた口がふさがらない。
ちょっと待って、今までの話の流れで、どこに恋の匂いがした?! 私全然匂わせてないんだけど?!
むしろちょっといい話してたと思うんだけど?!
芽依は昔っからカンが鋭くて、もう本当に怖い。
莉恵子は買ってきた日本酒をあけて、グイッと飲んだ。
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