第7話 自宅ダンジョンへようこそ


 駅から莉恵子の家までは徒歩二十五分ほどかかる。

 しかし、駅を出るとまず商店街、その後は大きな公園なので、歩いていてあまりストレスを感じない。

 夜の公園は静かに水が流れる音が響き、心を落ち着かせてくれる。


 一時間に六本ほどバスも通っているが、莉恵子はいつも自転車で通っている。

 春には桜、夏には緑、秋には紅葉して、冬には抜けるような青空と冷たい空気を感じながら公園を自転車で走るのが好きだ。

 困るのは雨……とにかく雨が憎い……。

 自転車の前かごに楽天で買ったポンチョをいれているが、ゴム臭くて着たくない。

 雨で顔が濡れるのがイヤで、顔の前に透明の布が垂れている帽子をAmazonで買ったら、その布が風で顔に張り付いて死ぬかと思った。

 巨大なシールドをかぶったら、風で吹っ飛んで消えて行った。

 つらい、雨が憎い。

 それでも自転車なら駅まで15分以下なのにバスだと30分以上かかるので、どうしても自転車に乗ってしまう。

 

 今日も自転車できていたので、前かごと後ろかごに荷物を入れ、押して歩きはじめた。

 カラカラ……と車輪が軽く回る音も心地が良いし、荷物が全部つめてラクチンだ。

 それに電動なので、坂道もイージー! 

 高校大学時代は自分の足で必死に漕いでいたが、もう電動自転車以外には乗れない。

 電動自転車を開発した人にビールを贈りたいほど感謝している。

 ゆっくり自転車を押しながら莉恵子は口を開いた。


「芽依は、前の住んでたところで何の仕事してたの?」

「駅前の不動産屋で経理よ」

「簿記すごかったもんね。もう電卓カタカタカタッ……ってめっちゃ早かった。結構距離あるけど、通うの?」


 莉恵子と芽依は地元が同じなので、芽依の実家はこっちのほうにある。

 でも芽依の両親はもう離婚していて自宅は売却されているので、帰る家はない。

 芽依は両手をポケットにいれたまま言った。


「一応店長にLINEはしてて……明日辞める話をしてくるつもり。お義父さんがリハビリに通っててね、その付き添いが必要だから家の近くで働いてたの。お店の人たちにはよくしてもらってたし、仕事も気に入ってたけど……もうあの駅に戻りたくない」

「そっか……なんかごめん。私、芽依は幸せな結婚を満喫してるんだと思い込んでた」


 芽依は両親がずっと仲悪くて、普通の家族、結婚にすごく憧れているのを莉恵子は知っていた。

 だから大学を出てすぐに拓司さんと結婚した時は安心した。

 一流企業に勤めてて、イケメンで、大きな実家。

 連絡も少なくなっていたし、幸せにしてるものだと勝手に思っていた。

 でもそれは「プロデューサーってかっこいいですね!」と飲み会で言ってくる奴らと変わらない。ただ表面上の話だ。

 莉恵子はそう言われるたびに「ありがとうございまぁす!」と言いながら心の中で「何がだよ……」と思っている。


 きっとみんな表面とは違う世界で生きているのだ。

 それをわざわざ言わないだけで。


 落ち葉がさらさら舞って月が美しい夜の公園をふたりで歩いた。

 芽依はマフラーをまき直しながら言う。


「最初の一年くらいは、大切にしてもらって幸せだったのよ。変わったのはお義父さんの介護が始まってからね。やっぱり家族ですべてするのは無理があるわ。二倍……四倍くらい忙しくなって、でも仕事は続けて、家事は増えて……壊れちゃった。でもみんなから『芽依は幸せなんだね』って思われてるのは知ってたよ」

「簡単じゃないよね。私もプロデューサーがここまで雑用係だと知らなかった」


 莉恵子も笑いながら答えた。

 芽依はヒョイと莉恵子の顔を覗き込む。


「駅で会った時に思ったけど、莉恵子めっちゃ痩せたね。なんか不健康に痩せた」

「食事が壊滅的。もう本当に適当のかたまり」

「お母さんの店は?」


 莉恵子の父親は早くに亡くなり、母親は駅前の居酒屋で働きはじめた。

 そこの旦那さんに惚れられて再婚、今はそこに住んでいる。

 自転車ですぐなので、母親が再婚した小学校四年生からずっとその店で夕飯を食べていた。

 ひとりで夕食を食べる芽依に同情した母親が「芽依ちゃんも一緒に!」と誘うようになり、その頃から急速に仲良くなった。

 

 学校が終わると暗くなるまでふたりで遊び(主に芽依に宿題を教えてもらい)、ふたりで自転車に乗り、駅前の居酒屋に行った。

 大人がたくさん集まる店で食事するのはなんだか誇らしくて、ふたりでいつも楽しく食べていた。

 しかしそれは何十年も前の話だ。


「あの店、夜二十三時には終わるんだよね。間に合わないのよ……」

「ええ? 充分遅くまで営業してると思うけど」

「いや、なんか十時すぎると行くのも悪くて。なんか適当に買って帰っちゃうなあ」

「もう大人だもんね」

「半額弁当で気楽なもんよ」


 半額の幕の内弁当を買い、おかずとビールで夕飯に。

 残ったご飯を次の朝お茶漬けにすると、なんと夕飯と朝食で200円で済むし、朝ごはんの準備も不要。

 これはライフハックです……!

 そんな生活をしてるから、なんだか不健康に痩せてきてるのは分かっていた。

 でもこれでプレゼンも落ち着いたので、せめて十時には駅に着きたい、帰りたい。

 自転車を押しながら莉恵子は思った。




 公園から少し歩いて、自宅に着いた。

 父親が中古の一軒家をリフォーム前提で購入、だから建物は古いけど庭はわりと広い。

 でも、子どもの頃に乗っていた小さいサイズの自転車も放置してあり、かなり汚い。

 片づけが苦手なので、使っていないほうきやちりとりが散乱している。それにかなり落ち葉が道路に落ちている。

 掃除してないなあ~~~莉恵子は目をそらした。

 到着した瞬間から、芽依は落ち葉を家の庭に投げ入れていく。

 そうよね、道路に放置するのは、ダメですよね。でもほら、落ち葉って無限だから……無限ループだから……。

 自転車をとめて玄関を開けると、芽依が「うひょお……」と笑いながら言った。


 まあなんというか、玄関が段ボール箱で埋まっているのだ。

 とにかくAmazon、山のようにAmazon。こんにちはZOZOTOWN、こっちの通路はAmazon、部屋に入ったらZOZOTOWN。

 こっちには楽天市場、こっちにはまたAmazon。

 芽依は両手に持った荷物を段ボールの山の上に置いて叫ぶ。


「ここはヤマトの配送センターか!!」

「いえいえ、大場莉恵子の自宅でございま~す」

「ヤバいって言うから想像はしてきたけど、これはひどい」

「言ったじゃん、二か月前からプレゼンが忙しくて」


 芽依はすぐ横にあった箱を持ち上げて口を開く。


「配送日が2018年10月。へえ、二か月が長いわね」

「そう……長い二か月だった……プレゼンがずっとプレゼンが……仕事が……とりあえず入って?」

「ちょっと、大丈夫なの? 虫とか出てこない?」

「虫は私が一番嫌いだもん。通販で食べ物は絶対買わないことにしてるの。だから出てこないよ、たぶん」

「むしろなんでこれだけ箱があって、食べ物がないのよ!!」

「だって腐るじゃない?」


 叫ぶ芽依をなだめながら莉恵子はスリッパをAmazonの段ボールから出した。


「入れ物にもなってるのよ?」

「どやるな」


 普通に怒られた。

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