第6話 未来の約束なんて
ビールの冷蔵庫の奥には、ウイスキーのコーナーがあった。
見ているだけで美しい瓶がたくさん並んでいる。芽依はその一本を見て思い出した。
「あ……ちょっと待って……記憶がよみがえった……私、カスクオーナーに申し込んだこと、忘れてた」
「ラスクオーナー? ラスク食べ放題的な? 芽依太っちゃうぞ~~」
莉恵子の能天気な発言に、芽依はドスッ……とお腹に一本指をさした。
おう!! と莉恵子は笑いながら逃げ出す。
「カスクって、ウイスキーの樽なんだけど、あれを十年単位で管理を申し込むのよ。そうすると樽まるまる一つ自分たちのものになる」
「へえ、面白そう。あ……あー……、ひょっとしてあれ? 雨宮の名義で?」
「そりゃそうよ。結婚時に申し込んだから丁度四年前……今年から飲めたのね……」
芽依はウイスキーの瓶を見てため息をついた。
こんな風にゆっくり酒屋さんでお酒を見たのは久しぶりで、ずっと忘れていた。
結婚式のあと、拓司が「四年後、一緒に飲もうね」と言って、オーナーになってくれたのだ。
たしか保管期間は十年、金額は百万以上、管理費は毎年かかって高いから、そんなの……と思ったけど、将来の幸せを確約されたみたいで、嬉しかった。
まさか飲める年に放りだされるなんて、思ってもいなかった。
別にウイスキーに未練があるわけじゃないけど、積み重ねて待っていた時間まで一瞬にして不幸に飲み込まれた気がして、それがつらくなったのだ。
芽依の横に莉恵子がツイと寄ってきて口を開く。
「じゃあさ。今日をウイスキー記念日にしようよ。毎年美味しいお酒を買って飲む日にしよ。芽依はどのウイスキーが好きなの? 私はウイスキー全然わかんない。あ、アイスにかけると美味しいのは知ってる~~」
そう言って莉恵子は能天気に笑った。
その笑顔に芽依の肩の力は抜ける。
「……昔はウイスキーもメーカーで選んでたのよ。私はここのメーカー、長殿蒸溜所さんが好き」
「へええ~~。一万円! やっぱりウイスキーは高いねえ」
「二百万あるのよ、好きに買いましょう。ていうか……お金ってそうやって使うものだったわ……忘れてた」
芽依は毎日細かく家計簿をつけて節約していた。
雨宮家は裕福だったが、湯水のようにお金が湧いてくるわけではない。
もしこのまま子作りが自然にできないなら治療費も必要になるから……子どもができたらそのために……ずっと先を考えて生きてきたのだ。
それなのにこんな風に放りだされて即金二百万。節約など必要なかったのだ。
そしてこのお金の出所はどこなのだ。生活費をもらうスタイルで生活していたけど、芽依が知らない財源があったのかもしれない。
……私はひとりで何してたんだろ。
思わず口から毒が噴き出す。
「めっちゃイライラしてきた。頭から煙上がりそう」
「買おう。ねえ、芽依、ビールゾーンから十mしか移動してない。このままじゃ、徒歩二十五分かかる家まで何年経ってもたどり着けないよ」
「じゃあウイスキー! 莉恵子は日本酒?」
「秒で酔えるからね! 時間ないのよ」
「どこまで社畜なのよ!」
「仕事大好きだもんー! でも美味しいものも大好きだよ~~」
莉恵子は横でにぱあと笑った。
そう私だって……美味しいもの大好きだったのに、節約ばっかりしてた。
「……人が作った美味しい物、ちゃんと食べたいわ」
「じゃあサラダ買おう、サラダ。お肉とか入ってて作るのめっちゃ面倒なやつ」
「処理が大変な海鮮が山ほど入ってるのがいいわ、イカとかタコとか!」
莉恵子と一緒にオシャレサラダの専門店のウインドウを覗いた。
そこには作るのが超絶面倒なのに、食べ始めたら数分で消えてしまうサラダたちが並んでいた。
芽依は目移りしながらウインドウを見ながら口を開く。
「はああ……どれもこれも美味しそう。生春巻きは拓司さんが好きで作らされたけど、まー、これが手間のわりに一秒で食べられちゃって」
「? 生春巻きって作れるの? 考えたことないわ。そもそもあれ、何で包まれてるの? 膜?」
「米粉で作ると美味しいのよ、巻く部分。あー、コロッケ! それも蟹で手作り?! すっごく大変だけど絶対美味しい……」
「コロッケを手作りなんて考えられない。なんなら油もないわ、てかフライって家でするもの? 油どうやって捨てるの?」
莉恵子はあっけらかんと言って笑った。
なんだか……さっきから思っていたけど、会話の節々から見える景色が不吉な気がする。
「……莉恵子……油もないって……家の台所どうなってんの……?」
横でサラダのウインドウを見ていて莉恵子の表情が石みたいになったのを芽依は見逃さなかった。
莉恵子は昔から片づけが苦手で、中学校の時にはお裁縫箱まるごと紛失して「わかんない」と苦笑していた。
机の引き出しも鞄の中もかなり汚かったイメージがあるけど、今横にいる莉恵子の服装はキレイだし、さすがに変わったのかしら。
莉恵子はギギギ……と顔をゆっくり動かして芽依の方を見た。
「あのね。家はね、ダンジョンみたいになってるの」
莉恵子は真顔でたまに変なことを言う。
芽依は知っている言葉でそれを変換する癖がついていた。
「ダンジョンって、あれよね、迷路ってことよね?」
「迷路より……ダンジョンだと思う。家に来て、なんなら落ち着くまで住んでほしいと思ってるけど……今のうちに謝っとく」
「えええ~~~……すっごく汚いってこと?」
「まあ平たく言うと、物がすごい。ちがうの、プレゼンが山盛りでそれがもう忙しくて」
莉恵子は「ふう~大変だったんですぅ~~」と演技っぽくため息をついた。
高校生の時から「映像作る人になる!!」と決めて夢に向かってまっしぐら。
就職してからは「朝日で溶かされる!」と叫びながらも楽しそうにしていたけど、そこまでとは。
「わかった、とりあえず覚悟はしたわ。ご飯食べられる場所はさすがにあるんでしょ?」
「こたつ周りはめっちゃキレイだよーー!」
「こたつ……?」
そういえば莉恵子の家には、リビングに大きなこたつがあった気がする。
一番遊びに行っていたのは小中学校の時なので、あまりはっきり覚えていないが、すっきり片づけいていたようなきがする。
でも莉恵子がひとり暮らしになったのは、大学に入った時からだと思う。
その間に何が……?
「オッケー。私が行く理由がありそうで、安心した。追い出されたから家に泊めてくれなんて悪いなあと思ってたんだけど」
「芽依が来てくれるなら、ほんとそれだけで嬉しいんだけど。そうね、小学校のころと同じこたつが置いてあるよ」
「ええ? 同じこたつなの? もう十五年とか経ってない?」
「大丈夫、こたつ布団は定期的に変えてるから、わりとキレイ。でも電気代高そうだし、新しいのに変えようかなあ。芽依も来たし!」
「いや、こたつ自体がどうなのよ。こたつってめちゃくちゃ場所取るし、諸悪の根源よ。普通の机にしたら?」
「チョットニホンゴワカリマセン、ニホンゴムズカシイ」
芽依は再び莉恵子の脇腹に指をグサッと差し込んだ。
莉恵子は「もう芽依やめてよ!!」と叫んで逃げ出した。
こうやって下らないことで笑うのも、久しぶりだった。
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