第5話 思い出とビール


 このまま目をつぶったら即寝る。

 莉恵子は空いた席を睨んで、手すりを握って立った。

 めちゃくちゃ疲れているので、席に座りたい。でも今ここで座ったら秒で眠ると知っていた。

 そして電車の中で眠るのは最高に気持ちが良いことも知っていた。しかし、ここで眠ると駅で待っている芽依を待たせることになることも知っていた。

 座らない、ゆえに眠らない!! 強い意志でスマホを取り出した。

 そこにはLINEが山のようにきていた。


 まず昼間にLINEを交換した蘭上からは、ひたすらラーメンの写真が送られてきている。

 莉恵子がラーメン好きだと解釈したのか、蘭上がラーメンが好きなのか……正直まったくわからない。

 そもそもここまで懐かれる理由もよくわからない。


 莉恵子はプロデューサーという立場上、仕事を欲しがる人が群がってくることは多い。

 媚びを売る人、なんとか気に入られようと差し入れを持ってくる人、好みの芸能人を聞いてくる人……たくさんいるが、莉恵子は興味がない。

 莉恵子は『その人が好きか嫌いか』で仕事をしないと決めている。

 仕事の能力の高さと性格は別のものだと考えていて、性格破綻していて会社に損害を出すレベルで無ければ、性格に問題があっても仕事ができる人と仕事したい。

 だから莉恵子に媚びを売るのは意味がない。

 

 でも蘭上は営業なんてしなくても、星のように仕事はあるし、今日の会議も周りのスタッフはみんな可愛い女子だった。

 誘ったら喜んでくるだろうに……と思うが、まあ会社の人たちと食事にいくのは仕事だからなあ……とも思う。

 適度に距離があって十歳ちかく年上の莉恵子なら安心してダラダラできそうだということだろうか。

 しかし直接誘われたら話を聞く。それは莉恵子のポリシーだし、葛西がいるなら大丈夫だと思った。


 次のLINEは新人アーティストの小野寺ちゃんだった。

 小野寺ちゃんは、宇宙学校、距離を取って食事する家族という今回の肝になるアイデアを考えて絵にした子だ。

 今いちばんうちの会社で尖っていて、莉恵子は彼女のアイデアが大好きだった。


『なにがどうなって蘭上さん用の企画になったんですか? 大丈夫でしょうか……』


 小野寺ちゃんは新人なので、まずは優しいTPAPAさんと仕事させようと思っていたらこんなことに。

 莉恵子は

『色々あってこうなっちゃったけど、私が100%助けるから、とりあえずやってみようよ。月曜日お昼、ランチいける?』

 と打った。それはすぐに既読になり、がんばります!! とウサギが踊るスタンプが送られてきた。

 紅音がいない今、小野寺ちゃんに折れられると本当に困る。

 できる限り助けよう……と莉恵子は思った。


 同時に紅音のことを思い出す。

 GGをやめてから半年、紅音は大きなコンペで何個も勝ち、名前をあげている。

 そのうち、何個が人からパクったアイデアなのだろうか。


 莉恵子も業界がながいので『偶然かぶってしまった』のはわかるのだ。

 今日で言うと「宇宙がかぶった」程度ならよくある。学校くらいもかぶるかもしれない。

 でも宇宙の漂う真四角な教室に宇宙制服をきた蘭上がいる……までいくと、アウトだ。

 しかも実際に訴訟になっても、こっちは負けるだろう。

 どうしようもなく姑息な手段だが……きっと紅音はこのまま売れていく。

 売れたいのはアーティストとして当然ある感情だけど、こんなことをしては未来がない。

 才能がある子なのに……。

 つらい思い出が一気に押し寄せてきて、胸が苦しくなりトスンと椅子に座ってしまう。

 すると一気に眠気が襲ってきて、慌てて立ち上がった。やっぱり座るの禁止!!




 電車から降りてLINEに書かれた場所にいくと、ボストンバッグを持った芽依がいた。

 莉恵子は仕事してたし、芽依は結婚して忙しそうにしていたので、あまり会えてなかった。

 でもやっぱり芽依の姿を見ると、自然と気持ちが楽になり、駆け足で改札を出た。


「芽依~~~!」

「莉恵子ーーー!」


 お互いに顔を見て「はああ~~~~」と大きなため息をつく。

 LINEとか先に状況を説明できるアイテムのおかげで、初動が省けて楽になった。

 莉恵子は苦笑しながら口を開いた。


「仕事が超忙しくて、家に何もないの。買い物して帰ろう」

「いいわよ、お金もあるし、パーッと買いましょう。明日は休み?」

「休み~~。もう明日一日分の食材買って帰ろ。美味しいものを、ダラダラ食べて愚痴ろ」

「よく考えたら日曜日ダラダラできるのって、久しぶりなのよね、うれしいわ」


 芽依の言葉に莉恵子は口元を押さえた。


「……芽依さん……小さな言葉から地獄が垣間見えますが……」

「莉恵子、話すとながいわよ」


 芽依は三角にした目で莉恵子を睨んで言った。

 よく見ると芽依の目の下にクマが見える……疲れ果てているようだ。 

 まあ同じような状況だけど……と、莉恵子は心の中で苦笑した。

 行きましょ行きましょ、と芽依の背中を押して食品売り場に向かう。


 この駅は二路線が入っているそれなりに大きな駅で、駅ビルに食品売り場がある。 

 帰り道に商店街もあって、食事には困らない。まあ駅から歩くとなるとそれなりの距離だけど、小さな店を覗きながら歩いて帰るのが莉恵子は好きだった。

 とりあえず大きな酒屋に入る。


「芽依、まずはお酒を決めよう! ビールに日本酒、ウイスキー、なににする?!」

「ああ……もうお酒を自分で選べるっていうのが久しぶりすぎて……」

「ちょっと待って、どういう生活してたのよ」

「だから莉恵子。話すと超ながいのよ」

「わかった、わかった、とりあえずビール選ばない?」

「いいわね」


 芽依の目が輝いたのを見て、莉恵子は安堵した。

 むかしから芽依はめちゃくちゃ冷静で大人びていた。

 勉強も超がんばってて、先生の覚えもよく、毎年なにかの委員長をしてて、最後には生徒会長までしてた。

 いつも張り詰めたような表情でなにかをがんばっていたけど、莉恵子の前ではほんわりと笑顔を見せてくれて、それがうれしかった。

 芽依はビールの冷蔵庫の前で驚いて声をあげた。


「なにこれ。なんでこんなにビールの種類が多いの? 私が主婦してる間にこんなに種類が増えたの?」

「これ全部IPAビールっていう地ビールなのよ。2018年に酒税法が改正されて、ビールの定義が広がったの。ほら、コリアンダーとかハーブが入っててもビールと認められるようになったの」

「へええ……、だからこんなに増えたのね。あっ、さくらんぼのビールですって。美味しいかしら」

「芽依、ひとつ言っとくと、そういうのは最初の一杯にすると後悔するよ、ものすごく独自だから」

「わかる、そうだった。もう久しぶりすぎてダメだわ、普通普通、普通がいちばんよね」


 芽依は両手に持っていた変わり種ビールを冷蔵庫に戻した。

 莉恵子も冷蔵庫を眺めていたら、数年前に同期六人で工場に見学にいったビールが目に入った。

 工場で作りたてのビールはすごく楽しかったなあ……。

 まだ若かった莉恵子と紅音は、二人で右から順番に飲んだのだ。

 これは苦すぎる! これはなんか甘い、なんだろ?! 

 そんなことを話しながら。

 もうあの頃の紅音は返ってこないのだろうか。

 莉恵子はため息と共に気持ちを吐き出す。


「……沼地に心が沈んできた」

 横の芽依も遠くを見ながら口を開く。

「大人になるって結局いろんなことを重ねて大人になるじゃない? だからこうやってなにかを見て心が痛くなったりするのは、大人だから仕方ないのよ……私たち大人になったのよ……」

「芽依~~~、つらいよ~~」

「とにかく買おう。まだビールしか選んでないのに転んでたらいつになっても家にお邪魔できないわ」

「そうだね」


 ふたりでとりあえず地元で作っているIPAビールを買うことにした。

 なんか地元で作ったビールって鮮度が良さそうじゃない?!


 

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