第4話 突然の離婚話
「ただいま」
「拓司さん?! びっくりしたわ、どうしたの?」
「いや、うん……仕事のついでに寄った」
なんだか様子がおかしい……芽依は思ったが、いつも深夜にしか帰宅しない拓司が昼間に家に寄るなんて……とウキウキしていた。
お義父さんをリハビリセンターに連れて行ったばかりなので、お昼は何も作ってない。
でもこの前買ってきた美味しいお菓子があるからそれを出そう……と引き出しを開けたら、拓司が芽依に座るように促した。
その真剣な表情から何かイヤな予感がして、芽依はしぶしぶ椅子に座った。
お茶を入れようと沸かした電気ポットがシュウ……と小さな音を立てている。
旦那である拓司はまっすぐに芽依を見て口を開いた。
「
突然何を……? と思うのと同時に、ついにこの日が来てしまった……とも思う。
心のどこかで、いつ言われてもおかしくない……と思っていた。
でも考えたくなくて、芽依は壁にかけてある時計を見て現実逃避を始めた。
今日は土曜日だから、そろそろ義姉さんの娘の
マリアージュフレールのカサブランカを買ってきたから、いれてあげたいな。
結桜ちゃん美味しい紅茶を入れるだけで嬉しそうにするからかわいいのよね。
土曜市だから、マルマツにも行きたい。
ひき肉デーなのでおじいちゃんにはつくね、お義母さんにはカボチャのそぼろ煮、洋食しか食べない義姉さんにはハンバーグを作ろうかなあ。
ぼんやりと時計を見ている芽依を見て、拓司はオホン……と分かりやすく咳払いをした。
分かってる。分かってるけど……離婚……?
芽依は目の前に座る拓司を再び見た。
スーツのままで真剣な表情。
どうやら本気らしい。
芽依はとりあえず聞いてみることにした。
「理由は?」
「子どもが欲しいからだ」
拓司は即答した。芽依は呆れてしまう。
「子どもって……何もしない状態では、作れないわよね。単細胞じゃあるまいし。思ったより子どもを作れる期間って短いのよ、私は何度も……」
拓司はため息をつきながら言った。
「そういう物言いはもう聞きたくない。毎日バタバタ忙しいアピールがウザいんだよ」
その言葉を聞いて芽依は愕然とした。
忙しいアピールって何……?
この家には糖尿病と怪我で通院が必要なお義父さんと、和食しか食べないお義母さん、洋食しか食べたくない義姉さん(離婚して出戻り)、受験を控えた義姉さんの娘の結桜に、お弁当には三品入れて欲しいと言う拓司がいて、あげく芽依は日中パートに出ていた。
働かざるもの喰うべからず。
そう拓司が言うので、すべての家事を担いながら働いていた。
朝は四時に起きて食事の準備、日中は働き、帰宅して家事。夜には気絶するように眠る……そんな日々だった。
そんな芽依に向かって「忙しいアピール」というのは、酷すぎる言葉だった。
「もう少し家のことを手伝ってくれたら心に余裕ができて……」
「俺は仕事をしてるだろ!!」
拓司は叫ぶ。
その大声に芽依はビクリと身を小さくする。
最近拓司は芽依が何か言うと大声でピシャリと黙らせる。
心臓がバクバクして息が苦しくなってきた。
私が何をしたって言うんだろ。
大好きな人に結婚してほしいと言われて、望まれてここに来たはずなのに、どうしてこんなことになったんだろう。
意見のひとつも口に出せない。普通の結婚をして幸せになるはずだったのに。
拓司は芽依の目の前で何度も首をふって、言葉を絞り出す。
「離婚してほしんだ。もう離婚届も、慰謝料も一括で準備してある」
拓司はカバンから緑色の紙と封筒を出した。その封筒はかなりの厚さがあるように見えた。
「な。充分生活を立て直せるお金だろ」
そう言って封筒を芽依に押し付けた。
何より芽依が気になったのは……離婚届……保証人の所にお義母さんと義姉さんの名前が書いてあることだった。
それもとても丁寧な文字で。それを見てザワザワしていた心の奥が、スン……と静かになった。
……おかしいと思ったのだ。
お義母さんがお義父さんのリハビリに付きそうなんて初めてのことだ。
お義父さんは喜んでたけど……このために連れ出しただけなのか。
すべて決まっていたことなのだ。芽依は悟った。
「わかりました」
「本当か!」
拓司の表情がパアアと明るくなった。芽依の心はズキンと痛んだ。そんな笑顔久しぶりに見た。
芽依はその場で名前を書き、ハンコを押した。
雨宮のハンコ。もう必要がないハンコをしっかりと、指先が白くなるまでしっかりと押した。
「……短い間ですが、お世話になりました」
「うん、ありがとう芽依」
拓司の顔が我慢できずにニヤニヤしてるのを見て、芽依はピンときた。
すんなり同意するお義母さん、嬉しくて仕方ない拓司……もう再婚相手が決まっているとか?
なんならもう妊娠してるんじゃないかな? あ……だから離婚を急いでるのか。
芽依の中でパズルがパチン……パチンと音を立ててはまり始めた。
もうこれ以上、こんな所に一秒でもいたくない。
「では、もう出て行きます。必要なものだけ持って行くので、あとは捨ててください」
「分かった」
離婚を迫った時とは全く違うウキウキとした声で拓司は言った。
芽依は部屋に入り、貴重品関係をまとめてボストンバッグに入れた。
服に、化粧品……といっても激安スーパーで買った500円程度の化粧水しかない。
見渡したけど、夫婦の寝室なのに芽依の荷物は驚くほど少なかった。
小さなポーチとスマホの充電ケーブル。
あとは何も思い入れがない。あまりに何もなくて芽依は軽く笑った。
荷物をまとめて玄関に向かう。
その時、丁度義姉の子ども、
結桜は中学二年生で、思春期だ。毎日イライラしているので、芽依はなるべく棘が立たないように付き合っていた。
芽依が玄関に座り靴を履いていると結桜は立ったまま口を開いた。
「芽依さん、紅茶部屋にもってきてね」
「……ごめんなさい、今日はいれてないわ」
「はあ? 何で? 毎日いれてって言ってるじゃん。この時間に帰ってくるって知ってるよね?」
「そうなんだけど……」
芽依はチラリと後ろに立っている拓司を見た。
拓司は結桜に向かって叫ぶ。
「水でも飲んでろよ!!」
「はーーー?! 温かい紅茶を飲まないと勉強できないの!!」
「そんなのいらねーだろ。ていうか自分で入れろ」
「芽依さんが入れた紅茶が美味しいの。全然違うの!! ねえ芽依さん、紅茶!!」
結桜は芽依の腕をつかんだ。
そして横に置かれたボストンバッグに気が付いた。
「……ねえちょっとまって。まさか芽依さん出て行くとかないよね?」
拓司が自信満々に言う。
「そうだ。離婚した。今出て行くところだ」
結桜が「はあ?!」と叫んで言葉を続ける。
「おじさん、本気で言ってる?! この家芽依さんがいないと回らないよ?!」
「家政婦を雇うから大丈夫だ」
「家政婦さんって高いんだよ?! おじさんその金使いでお金あるの?! バカだと思ってたけど本物だわ!!」
「バカはお前だ!!!」
ギャーギャーと言い争う声から逃げるように芽依はボストンバッグをつかんで外に出た。
家から一歩でも離れたくて、走って走って、走り続けた。
とりあえず今日泊まれる所を確保しなきゃ。
そう思って握りしめたスマホのストラップがチリン……と鳴った。
それは親友の大場莉恵子がくれたものだった。
……会いたい。会って、泣きたい、全部吐き出したい。もう今この瞬間、吐き出したい。
芽依はLINEを立ち上げて打った。
『旦那に離婚してくれって言われて放り出された。莉恵子、泊めて』
それはすぐに既読になった。
そして
『ちょっと! うちにおいでよ。部屋あまってるし。荷物まとめて家に来て。今日は早く帰るから』
と返ってきた。
芽依は嬉しくて嬉しくて、その場で膝を抱えて丸くなった。
……何にもなくなったけど、友達がいる。
そして続いてLINEがポンと入った。
『ちなみに私も今日、八年一緒に仕事した仲間に裏切られた』
「莉恵子は相変わらず仕事三昧ね……てか、なにそれ……つら……」
芽依は膝を抱えたまま声を絞り出した。
もうやけくそになって、カバンからお札の束を出して地面に置いた。
そしてそれを写メる。
『慰謝料200万、即金でもらったわ、溶かそう』
『ちょっと地面にお金置かないで!! 駅前に美味しい酒屋あるから買って帰ろ!! よし仕事してくる!!』
芽依はお金の束とスマホを抱えて、ただただ泣いた。
あふれ出す涙を抑えきれなくて、ただ泣いた。
普通の家族が欲しくて、ずっと頑張っていきてきた。
幸せになりたくて、ずっとずっと、頑張ってきたんだけどなあ……。
何をどう間違えたんだろう。
まったくわからなかった。
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