第46話
あれから、一か月が経った。
あの後、一晩経って「むしの祠」から帰った俺達の話を聞いた大人たちは、はっきり言って俺達の話を頭から信じようとはしなかった。だが、あの夜、俺達が手に入れた薙刀の所為で、その話を無碍にもできないようだった。
俺達が手に入れた薙刀は、どうやら平安時代の何とかと言う刀匠が鍛え上げた由緒ある刀の一種ということで、それがいきなり出てきたことが、俺達の話を無視できない理由だった。
しかし結局のところ、俺達があの夜に経験したことは、夢と言うことになった。
どっかの偉い学者が語るところによると、あの時の俺たちは、伝統的な儀式という名の催眠術によって催眠状態に陥り、そこで偶々この薙刀を見つけたことで幻覚を見た。ということらしい。
俺達の話を信じようとしない周囲の人間の態度には思うことがないでもなかったが、俺達自身、あの出来事を夢と言う大人たちの気持ちもわからなくはなかったので、強く反論することは無かった。
ただ一つ、嬉しい誤算として、この事件によって滋賀県N町の古式ゆかしい伝統である髪継祭の彼岸参りは廃止されることになった。
今後は俺達が見つけた薙刀を奉じる儀式が考案されることになったが、それがどういうものであるかはまだ詳細は決まっていない。
まあどっちみち、十年先の話である以上、俺にはどうでもいいことだ。
もう二度と、歌崎の巫女が立てられることは無くなったし、それが消えることも無くなった。それで十分だ。
恐らくは今後、髪継祭という祭とその名前は残っても、二度と歌崎の名前も、宇賀神の名前もこの祭りに関わることは無く、忘れられることになるのだろう。
其の様子は、まるで悪夢のようだと思う。
千年近く続いた、長く、永い悪夢。渦中にあればおぞましく、忘れられないような恐怖や苦痛を味わっても、醒めてしまえばあっさりと忘れてしまう。
まるで、あの男そのものだ。そう思う。
結局、あの男は何者だったのだろう。
それらしい理由でふらりとこの町に訪れ、そしていつの間にかこの町から消え去ったあの男は、何よりもこの町の悪夢を望み、楽しんでいた。
しかし、終わってみれば、この町の悪夢を終わらせたのは、結局あの男だった。
今では顔も定かではないあの男は、今もどこかで悪夢を求めているのだろうか。それこそが娯楽だと口にしながら。
実家の軒先に建つ縁側に座り、俺は静かに夜空を見上げながら、そんなことを思う。
視線の先には、風にあおられた雲のすき間から、見事な満月が覗いていた。
「……随分と浮かない顔をしてるな、勝弘」
庭先の暗がりの中で、下駄の音を立てながら誰かが俺に近づき、そう話しかけてきた。
声だけで誰が話しかけてきたのかは分かったが、なんとなくその声の主の顔を見たくて、視線をやると、そこには男物の着物を着こんだ操生がいた。
その姿がやけに様になっていて、なんとなくこいつは男なんだな。と、思った。
「……似合ってるな。馬子にも衣裳って言うやつか?」
「……男でも言うのかな、それ」
さあ。と俺が肩をすくめると、操生は俺の隣に座った。
「……未だに、こうしているのが夢みたいだ。ずっと、今年の夏で死ぬと思っていたから」
月を見上げながらそう言う操生に、俺は帰す言葉もなく、視線を月に戻した。
「……月見大会には、行かなくて良かったのか?お前が立てた計画だろう?」
「まあね。でもいいんだ。お僕はお前に一番礼が言いたかったし」
「……結局、何ができた訳でもないけどな」
ふたを開けてみれば、俺は結局のところ、あの男の思惑に踊らされていただけで、何かを成し遂げたわけではなかった。
操生を歌崎の血の定めから解放したわけでもなければ、この町の悪習を終わらせたわけでもない。ただ、どちらも結果として終わりを告げることになっただけだ。
敢えて言えば、俺はその終わりの瞬間に立ち会ったことだけが、唯一できた事だろう。
そう思うと、俺が一体何に対して何ができたのかと思う。
力のないガキでいるのが嫌だった。結局、力のないガキでしかなかった
「酷いな。それだと僕の人生が無意味な存在みたいじゃないか」
「あ?何でそうなるんだよ」
「僕を助けてくれたのは、紛れもなくお前だからだよ。勝弘」
その言葉は、風の無い秋の空気の中でやけに響いた。
「僕の心と身体が不釣り合いで不安な時も、髪継祭の儀式のときも、何もかもずっとずっとお前が助けてくれたんじゃないか」
そう言うと、操生は俺の方を見て、静かに微笑んだ。
「ありがとうな、本当に」
その時、風に雲が散らされて、操生の笑顔を照らした。
月明かりに照らされたその笑顔は、やはりとても美しかった。
「そうか……。そりゃ、良かった」
俺はそれだけ言うと、空に上がる月を見上げた。
夜空には、いくつもの星々とどこまで続く暗闇だけがあった。
だからこそ、その空には月が好く映えた。
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