第44話

オオムカデに向かって、まるで映画の評論を喫茶店でするようにあの男はそう言うと、急に俺と操生を振り返り、いつの間にか握っていた刀の切っ先を突きつけた。

「正直ね、心待ちにしていたのだよ。今日、この日を。あるいは、人柱の巫女や、その関係者が一体どのように酷い目に遭うのだろう。と、ね」

 薄い笑みを浮かべながら、そうろくでもないことを口にしたあの男は、まるで堰を切ったように矢継ぎ早に言葉を続けた。

「千年の因習を誇る神継祭。永遠に続くかと思われる片田舎の奇祭には、如何なる因業と陰惨な悲劇が根付いているのか。私が取材したかったのは、それだ。謎と神秘のヴェヱルに包まれた奇妙不可思議な祭礼と、千年続いた土地の伝説。その裏に隠された真実に迫る者にもたらされる奇々怪々な怪死事件。その因果に巻き込まれた町民たちと、少年少女にもたらされる惨劇。そして、その顛末。まさに映画にするに相応しい。だからこそ、私は多くの調査を費やした」

 口早にそこまで言ったあの男は、そこで「しかし」と言葉を切ると、

「しかしだ。いざ開かれたき髪継祭は、この体たらく。がっかりしたよ。心の底からね」

 肩をすくめてそう言った。

 あの男は、未だに落雷に打たれた衝撃に身をよじって苦しむオオムカデに視線を移すと、心底からあきれ果てたように言う。

「幽霊の、正体見たり、枯れ尾花とはよく言ったもの。ふたを開けてみれば、伝説のムカデと言うのは結局のところ、奇妙な生態を持っただけの蟲で、道具を揃えれば、それこそ女子供であっても意外と善戦するだけの小物で、挙句の果てには、お姫様が身代わりになって、めでたしめでたしときたものだ」

 あの男が皮肉交じりの笑みでそう言った瞬間、突如として落雷が起こった。

 今度はオオムカデを打つでもなく、あの男のすぐそばに落ちたが、あの男はまるで気にするそぶりも見せず、地団太を踏むように大きく右足で地面を蹴った。

「ふざけるなよ。つまらないにもほどがある!私が見たいのは、こんな三文芝居のお涙頂戴ではない!絶望だ。真の絶望だ。絶対的力を以て、全てをなすすべなく踏み潰す強者と、そんな力を前にして、わずかな希望に寄り縋る弱者の彩(いろどり)だ。分かるかね?絶望とは、取り換えしようのない敗北と二度と立ち上がることのできない挫折の入り混じった感情だ。敗者の結末は、惨たらしく、情けなく、惨めったらしいものでなくては、何の意味があろうか?にもかかわらず、にもかかわらずに、このざまか?!このようなつまらない物を見る為に、私ははるばるこの抹香臭い田舎町に足を延ばしたのでは、断じてない」

 そこまで言って、あの男は、だから。と言った。


「だから、幕引きは私が行う」


 その言葉と共に、あの男は指を鳴らした。

 その光景をどういえばいいのだろう。

 あの男が指を鳴らした瞬間、まるで怒号のような風が吹きすさび、雷が豪雨の様に降り注ぎ始めた。

 突如として巻き起こったこの世のものとは思えない大嵐の中で、あの男の周囲だけが、風も雷も、霧や雲一つない静かな月夜のような穏やかな月光に照らされていた。

 そんな中、俺は余りの暴風に吹き飛ばされないように身を縮めるのに精いっぱいだった。

 すると、そんな嵐の中で、風と雷に翻弄されながら、辛うじて体を丸めて身を護っていたオオムカデは、苦しげな声で呻くように言葉を吐き出した。

「……キザマ……!ギザバ、ハ……イッタい……ナにもの……だ!」

「ほう。虫けらの分際でまだ言葉を口にするだけの知性があったのか。だがまあ、その答えなら既に出ている。」

 オオムカデの苦しげな声を聞きながら、あの男は如何にも美味そうに煙草を燻らせた。

「言っただろう?絶対的力を以て、全てをなすすべなく踏み潰す強者のことを絶望と言う、と。私はお前にとっての絶望だ」

 その言葉と共に、オオムカデに向けて暴風と落雷は収束していき、無数の雷に打たれながらも、オオムカデは微かに、しかし確かに俺の耳に残る言葉を吐いた。

「……ソウ、カ。キサマが、キサマが……、オウキツノ、ケットウ……」

 その言葉と同時に、爆音のような音を立てて、強烈な光と風が炸裂した。

 次の瞬間。

 俺たちは、『むしの祠』に置かれた輿の前に立っていた。

 不思議なことに、俺の腹に受けたはずの傷はふさがり、操生に渡したはずの上着を着こんでいた。

 操生の方も、脱いだはずの白無垢を着込んでおり、呆然とした表情でその場に佇んでいた。

 どうやら夜も開けたらしく、東を見ると、うっすらとだが、乳白色の空が広がり始めていた。

 まるで一夜の夢が醒めたようなその風景に、俺達が呆然としていると、不意にあの男が声をかけてきた。

「二人揃って随分と間抜けな顔をしているな。何がそんなに面白いのか知らんが、一先ずこれを返しておくぞ」

あの男はそう言って、手にしていた刀を地面に突き刺すと、ふとある場所を指さした。

「ついでに、あれも持って帰ると良い。多少は昨日の話のタネになるだろう」

 そう言ってあの男が指さした先には、一本の薙刀が転がっていた。

 それは紛れもなく、昨日俺達が戦った女の使っていた薙刀に間違いなかった。

 俺が思わず駆け寄って手に取ると、ずっしりと重い感触が手に伝わり、これが確かに現実に存在するものであることが分かった。

 思わず何か言おうと俺があの男に振り返ると、あの男は、おや?と言って、地面に視線を落とした。

「こんなところにムカデがいるな。全く、どこに行っても虫ばかり。これだから田舎は」

 そう言って、あの男は見つけたばかりのムカデを踏み潰した。

 不思議と、あの男が踏み潰してるはずのムカデは、火で焼いたような嫌なにおいがした。

 あの男は、暫くの間念入りにムカデを踏み殺すように、何度か足を踏み下ろしていた。

 そんなあの男を見て、今まで黙っていた操生が、意を決した様子で話しかけた。

「なあ。今のは、今のは一体何だったんだ?」

 操生のその質問に、あの男はやる気なく肩をすくめると、投げやりな口調で言った。

「君の隣にいる奴から来ていないのかね?ちょっとした催眠術のようなものだよ。インドの魔術師マティラム・ミスラ君に倣っていたのさ」

 あの男はそう言うと、ムカデを踏み潰すのも飽きたのか、靴音を鳴らしながらその場を立ち去り始めた。

 そんなあの男の背中に、俺は思わず声をかけた。

「待てよ。お前は一体、何者だ?あんた一体、何なんだ?」

 すると、俺の質問に足を止めたあの男は、深々とため息をつくと、俺を振り返った。

「ここにきて、今更えらくつまらない質問をするじゃないか。決まっているだろう?そんなもの」

 そう言うと、


「私は、私だ」


 あの男は、それだけ言って、その場を去った。


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