第37話


 何でここにいるのか?どうして俺の前に現れたのか?幾つも言いたいことは脳裏に沸き上がったが、痺れた舌や口の所為でそれを言葉に出来ない。

 そうして、俺がその場に立ち尽くしていることしかできないでいると、不意に、あの男はどこから取り出したアルミ製の水筒を俺の足元に投げ出した。

「随分と酷い状況だな。とりあえずその水で、口でもゆすぐと良い。その様子では、ろくでもないものを口にしたのだろう?」

 頭の中ではその言葉に従うべきだと思ったが、身体は何故か動かず、そうして俺が突っ立ていると、傍にいたおっさんが何事か言いながら俺に水筒を差し出したので、漸く俺は口を水でゆすいだ。

 口の中に含み続けた薬を吐き出してしばらく咳き込むと、少しだけ身体が楽になり、やがて少しだけ口が動くようになった。

「…………何れ、ここにいる……?」

 やや呂律の回らない言葉でそう言うと、あの男は肩をすくめて鼻を鳴らした。

「せっかく私が命を助けてやったというのに、最初に出てくる言葉がそれとはな。やはり、最近の子供は碌でもない存在だな」

 そう言って俺を苛立たせるあの男を無視して、俺はふらつく頭を押さえながら立ち上がり、薬を吐き出したお椀を受け取って立ち上がった。

「全く、そこまで足元がふらついているのに、そうまでしてどこに急いでいるのかね」

 一瞬、あの男の言葉を無視しようとも思ったが、これ以上無視したら俺にいつまでも粘着しそうな気がしたので、吐き捨てるように言った。

「……山内ぁ、うる……鬱陶しいィ、あら、な」

「山内?ああ、もしかして君の学校にいた不良かい?それなら大丈夫。彼なら死んだからね」

 唐突な情報に頭がついていかず、俺はただ、嘘だろ?と呟く事しかできなかった。

 するとそんな俺を見て、あの男は心底楽しそうに笑い声を上げた。

「随分と間抜けな面をするじゃないか。だが事実だぞ。ここに来る前、偶々その現場に通りがかったのだがね。どうも祭の警備でピリついていた警官と、数人の若者がもめたんだよ。そうしたら、若者の一人が警官に一発殴り掛かってね、警官が脅しで銃を抜いたんだよ。そうしたら、その銃がそのまま暴発してね。警官に殴りかかった若者の頭から、血が流れてそのまま倒れたんだよ。笑いをこらえるのに必死になるほど滑稽な死に方でね。正直、カメラを持ち合わせていなかったのが、心の底から残念だったよ」

あの男は嬉々として山内の死を語ると、不意に今まで浮かべていた笑みを消した。

「まあ、あんな奴が死んだところで、どうせこの後の話には関わらないし、いても邪魔なだけだしな。死んでくれて良かったよ」

 こともなげにそう言うあの男の言葉に、少しだけ頭のふらつきが収まり始めた俺は、ふと疑問を覚えた。

「お前、本当は山内が死ぬように仕向けたんじゃないのか?」

 その言葉に、あの男は、一言、ほう。とだけ呟いた。

「奇妙なことを言うじゃないか。一体どういうつもりでそんなことを言うんだね?」

 そう言うあの男に、俺は足元に投げ出されたアルミ製の水筒に視線を落とした。

「……サイダーとか売っているような祭りの日に、わざわざ水筒持参するのは不自然だろう。それに何より、都合がよすぎるだろう。俺が変な薬を口にして体調崩すのと、ほぼ同時に水を持って現れるだなんて」

「ただの偶然だろう?別に水筒に水を入れて持って歩くなんて、普通のことじゃないか」

「そうかよ。でも、その割にはお前、現れるなり俺に口をゆすぐように言ったよな。何で俺が危ないものを口にしたって知ってたんだよ。普通、暑い日に倒れてたら、水を飲めと言うんじゃねえのか?」

 そこまで言って、ふと頭の片隅の中で、ほの暗い予想が閃いた。

 もしも、もしも本当にあの男が俺に隠れて俺の様子を隠れてみていたんなら、それはいつから始まったんだ?何時から山内のことを知っていたんだ?

 そもそも、あの男が本当に山内を殺したとして、何故山内を殺そうとしたんだ?

 そこまで俺が考えたその時だった。

 あの男は薄く張り付けたような笑みを浮かべると、静かに口を開いた。

「面白い話だし、もう少しこの話もしてみたいところだが、そろそろ時間だ。早いところ神社に行かなくてはな」

 その言葉に、俺は思わず胡乱な目つきになってあの男を見た。

「何だってお前が儀式の時間を気にするんだよ。別に、時間が来たら、町内放送でそう知らせるぜ?」

「忘れたのかね?私も歌崎の血筋に連なる人間だよ?関係者としてここに加えてもらったのさ。儀式の前の準備にも加わらなくてはな」

 得意そうに言うあの男を見て、俺は思わずその足元に唾を吐いた。

 けれども、あの男はそんな俺にただにやにやと笑いながら、行儀が悪いな。とだけ言い、その場を立ち去った。

 その余裕たっぷりな姿に、俺の心の奥底の恐怖を見透かされているような気がした。

 俺はその態度に、何で顔に唾を吐きかけなかったんだ。という気持ちと、それとは逆の、これで良かったんだ。という矛盾した感情に我ながら情けなくなり、視線を足元に落とした。

 そして、俺はそこで初めて気づいた。

 今日は新月だ。月はない。

 なのに何で、足元に月明かりがある?

 咄嗟に俺は空を見上げ、視線の先に、空に浮かんだ月と、その周囲を泳ぐ巨大な鯉の姿を見た。

 思わず目をつぶって頭を振ると、俺のことを心配して、今まで俺とあの男のやり取りを見守っていた金魚すくいの店のあんちゃんが話しかけてきた。

「なあ、あんた。悪いんだが、どっか行ってくれないか?さっきから店の前で吐いたり、倒れたり、人が死んだのどうだのと話してて、迷惑なんだが?」

「……ああ、悪かった。それと、この椀だけど、このまま貰って構わないか?ちゃんとカネは出すからよ」

「いいよ、別に。それやるから。とにかく早く消えてくれ」

 そう急かされて俺はそのまま店を後にした。


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