第36話


 いよいよ髪継祭が開かれると決まってから、町の中には奇妙な空気が張り詰めることになった。

 知っている者なら知っている。どう終わろうとも、これが最後の髪継祭だと。

 歌崎の血筋が事実上途絶えてしまっている以上、もう人柱の巫女は立てることができない。

 そうなれば何が起きるのか。本当にこの町に神隠しが起きるのか?新しい巫女の家系を探さなければならないのか?それとも、本当はただの迷信で終わるのか?

 何もわからないことだらけの中、それでも軽快な祭囃子だけは町中に響き渡り、がらんとした家の中に空々しく説いていた。

 操生は人柱の巫女と言うことで、前日から貝女木神社で色々な準備をしている。そんなあいつを色々と世話するために、親父とおふくろも前日から家を空けている。

 高岸の方も六花寺側の参加者と言うことで、祭りのあれこれに駆り出されている。本当なら、俺もこの中に混じって色々と祭りの準備に奔走するべきなのだが、今年は親父が特別にそれを免除するように働きかけてくれた。

 きっとそれは、操生が人柱の巫女となったことに無関係ではないのだろう。

 ともあれ、俺に出来ることはもうほとんど残されていない。

 俺はあの男からもらった薬品の薬瓶を握り締めると、俺は家を出た。

 心なしか、祭りに向かう人々の誰もかれもが、髪継祭の終わりについて話しているような気がした。

 それが猶更、髪継祭に向かう俺の足を速めていく。

 すると、その時だった。

「随分とまあ、楽しそうだな宇賀神。そんなに祭が楽しみか?」

 祭に向かう俺の前に、山内が何人かの舎弟を連れて俺の前に立ちふさがった。

「……何の用だよ。てめえに関わっている暇ねえんだけど?」

「言うじゃねえか。でもよお、俺はお前に用があるんだよ。この前、色々と恥をかかされたからよお」

 山内のその言葉に、山内の傍でにやにやと笑っていた舎弟の一人が襲い掛かり、俺はそいつのパンチを躱し、その表紙に握りしめていた薬瓶を落としてしまった。

 俺が落とした薬瓶はそのままコロコロと、山内の足元へと転がっていった。

「何だこれ?白質?お前、ヒロポンでもやってんのか?」

 山内は足元の薬瓶を拾い上げてそう笑いかけたが、その姿を見た瞬間、俺は咄嗟に、ヤバい。そう思った。

 山内みたいな奴が、人から取った物をまともに返すとは思えない。きっと、中身をぶちまけられる。

 そう思った俺は、咄嗟に山内に殴りかかって何とか薬瓶を取り返すと、そのまま蓋を開けて中身の薬剤を一気に口に含んだ。

 無味無臭のはずの液体は、口に含んだとたんに舌の上でピリピリとした刺激を発しはじめ、感覚的にこのままだとヤバいことになると思い、俺はそのままその場を逃げ出した。

 俺の突然の行動に、山内達はしばらく呆然とした様子だったが、俺が逃げ出したのを見て、そのまま俺を追いかけ始めた。

 背後から追いかけて来る山内達の足音を聞きながら、俺は自分が今口の中に入れた薬が如何にヤバいものかを実感し、いますぐにでも吐き出したいような衝動に駆られる。

 舌の上に走ったピリつきは、次第に口全体に広がる痛みとも痺れともつかない感覚へと変わっており、いつの間にか目の奥にちかちかとした光や、頭の芯が大きく揺れるようなふらつきがあった。それでも俺は口に含んだ薬を吐き出すことなくその場を走り続けると、一先ず貝女木神社を目指して逃げ続けた。

やがて俺は出店が軒を連ねている祭の場に到着した。

 祭の出店に金魚すくいの店が出ているのを見つけ、とっさに店のあんちゃんが手にしていたお椀を奪い取ると、今まで含んでいた薬を中に吐き出した。

 横からお椀を取られた子供が泣いている声が聞こえたが、俺はそれにこたえることも出ないまま喉に手を突っ込んで胃の中身を吐き出した。

 口の中に含んだ薬を吐き出すと、流石に少しだけ気持ちは軽くなったが、それでも目の奥には、ほのかに光る幾つもの小さな光が群れとなって浮かんでいた。

 俺の異常な様子に、周囲の人間もただ事ではないと感じたのだろう、先ほどまでの非難も忘れて、口々に大丈夫かどうかと訊いてくるが、それにこたえる余裕はなかった。

 何より、後から追ってくる山内達のことは何も解決していない。とにかくここを離れようとその場に立ち上がった。

すると、俺の目の前にあの男が立っていた。

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