第35話 幕間
昭和三十年七月十九日。この日、髪継祭の本祭が開かれることになった。
やかましかった蝉の声も鳴りを潜め、代わりに夕暮れの影の中に祭り囃子が木霊するようになり、田舎の町には珍しく人の波であふれかえっていた。
改めて、この祭りについて振り返ってみようと思う。
まず、この祭りは、一年に一度、貝女木神社という神社にある『ももたりの祠』から、立花寺という寺にある『むしの祠』に向けて、桜の木材を材料にして作られた『巫女の形代』と呼ばれる等身大の人形を神輿に載せて運ぶ祭りだ。
通常の年に行われる祭を『祠詣での祭り』と言い、祠に向かう神輿には桜の木を材料にして作られた等身大の人形を置き、それを『むしの祠』に向けて運び込む。神輿は一晩だけ放置され、翌朝には再び『ももたりの祠』へ戻される。
しかし、十年に一度だけ、『巫女の形代』ではなく、『人柱の巫女』と呼ばれる生きた人間が神輿ではなく、腰に入れられて祠に運ばれる。運ばれた『人柱の巫女』は、『巫女の形代』とは違い、そのまま姿を消す。この十年に一度の祭りは『お彼岸参りの祭り』と呼ばれる。
二つの祭りとも、七月に行なわれるという点では共通しているが、大きな相違点が一つある。
それが、月だ。
通常の祭である『祠詣での祭り』に関しては、五穀豊穣を祈る祭の一つとして、七夕の祭りの一つとして行われる。つまりは、固定で七月七日に行われる。
しかし、『お彼岸参りの祭り』に関してだけは、七月の新月に合わせて行われる。
節会の一つ、七夕の節句の祭祀としてムカデの祭りを執り行ったのは、恐らくは立花寺と貝女木神社の創設に関わった陰陽師である賀茂光栄の意向が幾分か関わっているのだろう。
巫女とは言うが、実際の祭りにおいて『人柱の巫女』は輿入れと言う体歳を取り、巫女となる女は、嫁入り姿で身を着飾ることになる。
角隠しで頭を覆い、白無垢を着込んだ花嫁姿となるのだ。
そうして、人柱の巫女は貝女木神社でこしらえられた舞台に立ち、ひとしきり祝詞を唱えられたのちに、彼女が輿に身を乗り入れて静かに御簾が降ろされる。
その後、輿は立花寺に運ばれて、そのまま巫女はどこへとなく消え失せるのだ。
今年は、そんな『お彼岸参りの祭り』である。
そうしていよいよ、奇祭が始まる。
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