第33話


「賀茂光栄と言う男を語る前に、安倍晴明と言う男について知る必要がある。安倍晴明と言う名前については知っているか?」

「ああ、確か花山天皇のあれこれについて歴史書に載っている奴だろう?古典の授業でやってたような気がする」

「その通りだ。多少は勉強しているらしいな。確かに言う通り、安倍晴明とは、平安時代に活躍した陰陽師だ。陰陽師の大家である土御門家の始祖であり、その後、江戸の幕末期に至るまでその血脈が続いている。いわば、陰陽師や陰陽道の代名詞だな」

 そう言うとあの男は、手にした本を開いて何枚かめくり、あるページをめくって俺に差し出した。

「賀茂光栄とは、そんな安倍晴明と同時代に活躍した陰陽師だ。問題は、彼と安倍晴明の関係になる。安倍晴明とは、元々、賀茂家の中でも最高の陰陽師と言われた賀茂忠行に弟子入りした陰陽師だった。賀茂忠行と賀茂光栄との繋がりについては諸説あり、必ずしも確かなことは言えないが、確かなのは賀茂光栄と安倍晴明は同年代の同世代の人間だったという事だ。しかし、だ。安倍晴明と言う陰陽師はよほど特別な才能を持った陰陽師であったらしい。賀茂忠行は、安倍晴明に自らの家業とされる陰陽道の秘法の一つである天文道を安倍晴明に継承させたという。その後、安倍家と賀茂家は安賀両家と並び称されるようになるものの、安倍家の方が勢力を大きく成長することになった」

 そこでわざとらしく言葉を切ったあの男は、どう思う?と、本に視線を落としている俺に聴いた。

 一瞬、にやにやと笑みを浮かべるあの男の顔に腹が立って、知らねえよと。と、投げやりな答えを返しかけたが、すぐに思い直して、正直な感想を返した。

「……まあ、普通に考えていい気はしないだろうな。正直、その賀茂光栄にとって安倍晴明ってのは、目の上のたんこぶだったんじゃねえの?」

「そうだ。だが、当の賀茂光栄は君のように性格は悪くなかったらしい。賀茂家を再興するべく、様々な術の研究に励んだという。陰陽術をはじめとして、仙術、密教、黒魔術、洋の東西を問わずに魔術を研究した。そのうちの一つが、不老不死の研究だった」

 あの男の言い方に一瞬、イラっときたが、それ以上に不老不死の研究という一言が気にかかり、俺は思わずその言葉をオウム返しに呟いた。

「……不老不死の研究……それが、賀茂光栄が貝女木神社を建立した理由か……?」

「私はそう睨んでいる。問題は、何故、賀茂光栄がこの町に貝女木神社、そして六花寺を建立したのか、という事だ。ここの部分の伝承が全くもって抜けている。不老不死の研究を行っていたはずの賀茂光栄は、何故かこの町に貝女木神社と六花寺を建立し、今も尚続く『髪継祭』を創始した」

「つまり、そこから先がお前の推測ってことか」

「その通りだ。どうだね?聞く気があるかね?私としては」

「どうもこうもねえよ。俺は今、『髪継祭』について調べまくっているんだ。何か知ってることがあるなら教えろよ」

 俺の返事を聞いたあの男は、一瞬、何か考え込むように黙り込んだが、ややあって笑いながらうなずいた。

「……普段なら、他の見方がなっていないと怒るところだが、良いだろう。教えてやる。以前、お前にくれてやった『桜と橘』の本はあるか?」

 そう言われた俺は、忌々しいながらも頷くと、懐からもらった文庫本を取り出して、あの男に差し出した。

 すると、あの男は手慣れた様子で本のページをめくり、とある箇所を開いて俺に差し出した。

 それは、変若の蟲と呼ばれる存在について言及されたページだった。

「……変若の蟲、これが何だって言うんだ?」

「先に結論から述べるぞ。俵の藤太が退治しきれなかったムカデ、それはこの変若の蟲だと睨んでいる。つまりは、この変若の蟲を研究することこそが、賀茂光栄の目的であり、この町に貝女木神社と六花寺を建立した理由だと、私は思っている」

 あの男の言葉に、一瞬、身体が硬直した。だが、そんな俺の様子には構うことなく、あの男は実に楽しそうに滔々と語り続ける。

「この本には、変若の蟲は賀茂光栄が作った、と書かれているが、実際には私は光栄には変若の蟲を生み出すだけの能力や技術は無かったと思っている。ただ、後の世において変若の蟲と呼ばれる存在を見つけ出し、それを育成することには成功したのではないか?とな。そして、その変若の蟲の元となった生き物こそ、かつて俵の藤太が退治しきれなかったムカデなのではないか?それが私の仮説だ」

「……いくら何でも突飛すぎやしねえか?仮説にしても、根拠も何もないじゃねえか」

「そりゃあそうだろう。私は学者でも研究者でもない。ただのサラリーマンが、偶々地方の伝承を調べ始めただけに過ぎないからな。ただ、一つだけ面白い物は見つけた」

 そう言うとあの男は、ズボンのポケットに手を突っ込み、何かが詰まった木の小箱を取り出して、俺に投げ渡した。

 その箱を受け取った俺に対して、あの男はにやにやと笑いながら、その箱を開けろとでも言わんばかりに顎をしゃくり、俺は警戒しながらその小箱を開けた。

 そこに入っていたのは、何かの液体が入ったガラス瓶だった。

「これは……?」

「その本に書かれているだろう。変若の蟲は、軍事転用を目的として研究されていた。と。ムカデからは溶原性変質原虫と呼ばれる単細胞説が、ナメクジからは過剰性変異型蛋白質と呼ばれる酵素が発見された。とな。嘘か本当か、ナメクジから採取される酵素は、ムカデを殺すことができるらしい。この薬は、そのナメクジから採取された蛋白質を抽出したものだ。もしも変若の蟲が実在するのなら、この薬で殺すことができるだろう。理屈の上ではな」

「……その話を信じろってのか?」 

「私は別に、信じてほしくて話しているのではないよ。お前が知りたがっているから、教えているだけだ。真実を話しているつもりも、嘘を話しているつもりもない。もしも事実と違う話が混じっていても、ただ私の見当違いだったというだけだ」

 そう語るあの男の顔からは、笑っている以外の感情が何一つ受け取れなかった。


 俺を嘲っているのか、騙しているのか、脅しているのか、馬鹿にしているのか。ただ、一切の正の感情が感じられない、底抜けに純粋な笑顔だけが、その顔の表面に張り付いていた。

 何故だか知らないが、俺はその笑顔から顔を逸らすことができず、ただ、あの男のどこまでも光の無い両眼をじっと睨みつけていることしかできんかった。

 そんな俺達二人のにらみ合いを終わらせたのは、無造作に積んだ本が崩れる音だった。

 意外と大きな音を立てて崩れた本の数々に思わず振り返ると、それでは本の片づけはお前に任せても良いかね?というせこい提案をして、あの男はそのまま資料室を出ようと俺から背を向けた。

 俺は思わず、背を向けたあの男を睨みつけると、そんな俺の視線を知っているかのようあの男は足を止めた。

「最後にもう一つだけ教えておこう。六花寺の寺宝には、アゲハ丸という刀がある。私がお前なら、一応はその刀についても調べるだろうな」

 振り返りもせずにそれだけ言って、あの男は資料室から出て行った。

 一瞬、あの男の背中を追いかけようとしたが、足元でまた積んでいた本の山を崩してしまい、結局は資料室を片付けてから神社を出ることにした。

 神社の外では、あの男が俺を待っているという事もなく、ただ色の濃くなった夕日が西日を照り付けているのみだった。

 すると、神社の庭先で貝女木神社の神主と偶々出くわしたので、俺はポケットの中からあの男に渡された薬瓶を取り出して、変若の蟲について聞いてみた。

 俺から変若の蟲の名前を聞いた神主は、一瞬、信じらないものを見たように目を丸くすると、ややあって「知っている」と答えた。

「明治時代に、京都の方から学者先生が大勢来て、髪継祭の儀式を止めようとした、という話は知っていますか?」

「ええ。でも確か全員消えたんですよね?そのまま」

「その通りです。ですが実は、彼らは髪継祭を止める為に来たのではなく、元々はその変若の蟲について調べに来た、と神社の方には伝わっています。結局は一人を除いて調査に訪れた全員が神隠しにあって消えてなくなってしまったので、真相は分かりませんが」

 そう言うと神主は、難しい顔をしたまま、ただ、と言って言葉を濁した。

「ただ、最後に残った一人は、怪しげな薬を持っていた、と聞いています」

「その薬がこれと同じものってことですか?変若の蟲とその薬が何か関係があると?」

 思わず神主に食いつくような姿勢を見せる俺に、神主は静かに首を横に振った。

「……残念ながら、薬についての詳細は残っていません。そもそも、変若の蟲についても、私どもが知っているのは、あくまでもその先生方が調べていた、というだけで、詳しいことは……」

 申し訳なさそうにそう答えた神主は、俺に薬瓶をそっと返し、それを受け取って俺はその場を後にした。

 家路に着くころには、すっかりと夜が道を覆っていた。

 もうこれ以上、調べ物はできないな。何となく、そう思った。

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