第32話




 親父と話した後、俺は半ば家を飛び出すように貝女木神社を訪れていた。

 親父の名前を出して資料を貰おうとしたところ、やはり祭りの準備に加えて、様々な手続きが必要と言うことで、俺はしばらくの間貝女木神社の御神木である境内の桜を眺めていた。

 夏も深まり、桜の老木には青々とした葉っぱだけが茂り、所々、種だけが残ったサクランボが葉っぱの群れから姿を覗かせていた。

 季節外れでも生きていることを実感する桜の木のその姿は、現実のもののくせにやけに現実離れしているように見えた。

そうして、静かに御神木である桜を眺めていると、背後に誰かの気配を感じて振り返った。

 すると、そこにはあの男がいつもと変わらぬ、にやにやとした笑みを浮かべながら立っており、俺はあの男を睨みつけた。

「随分と怖い顔をするじゃないか。今日は私は、単なる参拝客だ。別にお前に何かしようというわけでもないのに、そう睨まれてはかなわないぞ」

「……親父は、ムカデの話は牛の首と同じだと言っていたぞ。ムカデの話を知った奴は全員死ぬから、誰もその内容を知らないってな。……これでお前の目的は果たされたんじゃないのか?」

 にやにやと話しかけてくるあの男に応えるわけでもなく、俺はあの男の調べていたムカデの伝説について切り出した。

 すると、あの男は少しだけ興味深そうな表情をして、こともなげに応えた。

「ほう。中々に良い例えをするな。あの話を牛の首となぞらえるとは。私には、猿の手に近い話だと思うが」

「猿の手?」

「ん?ああ、猿の手と言うのはだな、望みを一つ叶える代わりに、何かの不幸が訪れるという呪物のことだ。牛の首は日本の怪談だが、猿の手はそうだな、イギリスの寓話と言ったところだな」

 話しかけながらニヤケ面を一切崩さない様子のあの男に、俺は思わず訊き返した。

「……どういうことだよ?親父は、特にこの話の続きはないと言っていたぞ?」

「私はこの町に、里帰りこそはしたが、別に遊びに来たわけじゃないんだ。俵の藤太の伝説について調べに来たんだ。だからもちろん、ある程度は調べたさ。勿論、お前の言う話の続きの無い伝説についてもな。確かに、牛の首の伝説とよく似ている。表面上はな」

「……表面上?ってことは、話の深いところでは似ていないってのか?」

「そうだ。そもそもの話、話の続きが無い。というオチの話は意外と多い。落語や小泉八雲の怪談の一部などの話に、その類例がある。だが、それらは話を盛り上げるために意図的に話のオチを切っているものだ。だが、この土地に伝わるムカデの話とは本質的に異なる」

「なんでそんなことが言える?」

「ここから先は、私の推測になる。話の内容について真実である保証はないし、学術的にどうこう言うつもりもない。ただ単に、様々な伝説や歴史を組み合わせて、最も面白いと思った話を抜き出しているに過ぎない」

 俺の質問に、あの男は右手の人差し指を立てた。

「そもそもの話、この土地には二つの祠がある。むしの祠とももたりの祠。つまりは、蟲の祠と百足の祠だ。だが、この二つの祠についての伝聞が欠落している。そして、代わりにこの土地には、俵の藤太のムカデ退治伝説が伝わっている。そこで私はこう考えた。実は、俵の藤太のムカデ退治伝説と、蟲の祠と百足の祠の話は繋がっているのではないか?と」

「……つながっている、ってどういう風に?」

「その話は今してやっても良いが、立ち話には長くなるな。話の続きを聞きたいのならば、場を移してもらいたいものだな」

 するとその時、まるで狙いすましたかのように、神社の奥から神主さんが現れ、「どうぞ、準備が出来ました」と、俺に声をかけてきた。

 一瞬、どうするべきか悩んだが、あの男のニヤケ面を見て腹をくくると、俺は神主さんに向き直り、俺とあの男の二人で神社の資料を読めないかと訊いた。

 俺の質問に、神主さんは僅かに悩んだそぶりを見せていたが、あの男が歌崎の家の血縁者だと知ると、渋々納得したようで、俺の頼みを承諾してくれた。

 そんな俺と神主さんのやり取りを眺めていたあの男は、そうか。と笑いかけた。

「それではお言葉に甘えて、続きは神社の中でするとしよう」


 ☆☆☆


和綴じの本屋、巻物にされた書簡が山を為す資料室の中で、その中の一冊を興味深そうに手に取ったあの男は、興味深そうに目を細めながらそれらの資料に目を通していた。

 その様は、知的好奇心を満たす学者や研究者のようにも見えたが、本性を知る俺からすれば、それが純粋な気持ちから来るもののように覇道にも見えず、この瞬間にすらも、俺を罠にはめる為の準備を張っているように見えた。

 流石に此処まで来ると、疑心暗鬼と言うよりも被害妄想と言うべきものだと思い、何度も頭を振って話しかけようとするが、どうしてもあの男に話しかける踏ん切りがつかず、何度も口を開きかけては閉じることを繰り返していた。

「さっきから鬱陶しいぞ。良い加減、訊きたいことあるのなら素直に口にしたらどうだ?」

 その言葉に、それでもわずかに逡巡した俺は、意を決してあの男の話を聞くことにした。

「……さっきあんたが言っていた、貝女木神社の話と俵の藤太の話がつながっているっていうのは、どういうわけだ?」

 俺の質問を聞いたあの男は、手にした本を閉じると、数の本や書類に囲まれながら、心底楽しそうにそう言った。

「まず最初に、賀茂光栄と言う男の来歴について簡単にまとめよう」

 そう言うと、あの男は床の上に積まれた本を何冊か目を通し、そのうちの一冊を手に取った。

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