そして、髪継祭が始まりだす。
第31話
操生を助けると決めたものの、俺には残された手掛かりは結局のところ、あの男が俺に押し付けた本である『桜と橘』、そして髪継祭を行う六花寺と貝女木神社しかなかった。
髪継祭の迫っている今、寺と神社の力を借りられない以上、俺にはあの男の本にしか、操生を救う手掛かりはなかった。
とりあえず、この本に書かれていることの中で、重要なことを纏めるとこうなるのだろうか。
一、この世には桜と橘の属性がある。
二、桜の象徴は炎、橘の象徴は水。
三、桜と橘に似た、ムカデとナメクジがいる。
四、ムカデとナメクジを生み出した陰陽師は、髪継祭を生み出した。
五、炎と水、つまりは桜と橘が混じると、雷が生まれる。
六、雷は神の象徴。
「……つまりは、雷を何とかすればいいのか……。でも、雷をどうにかこうにか、ってどうすりゃあいい」
ノートに書きだした注意点を睨みつけながら、思わずそう口にすると、ふすまを開けて親父が俺の部屋に入ってきた。
「珍しいな、勝弘。お前が本を読んでいるなんて」
「……何の用だよ、親父」
「操生から聞いた。歌崎の巫女を救う方法を探しているんだってな」
俺の背後に座り込みながら、単刀直入に話し始めた親父に、一瞬、何か悪いことでもしているような気がして、背筋がこわばった。
俺は、自分がやっていることを止められると思い、緊張しながらも親父に向き合った。
「そうだけど。それで何か、悪いことがあるのか?」
「別に、構わんよ。むしろ、お前に聞きたい。儂に何かできることはあるか?あるいは、何かわかったら教えてほしいと思ってな」
予想外の答えに、俺は思わずぽかんとすると、何を言えば良いのかわからず、しばらくの間、あーとかうーとか、言葉にならない声を上げた末に、「良いのか?」と聞くのが精一杯だった。
「良いも悪いもあるか。助けると言った以上、助ける。儂もお前に協力する」
そう言い切る親父に向かって、俺はよほど間抜けな顔をしていたのだろう。親父は、少しだけ口元を緩めると、棟ポケットから一枚の写真を取り出して、俺に見せた。
それは、生まれたばかりの俺と操生を囲んで、宇賀神家と歌崎家の人間が集まっている集合写真だった。
その写真にを目を落とす俺に、親父は昔を懐かしむように、穏やかな口調で言った。
「お前は知らんだろうが、儂はあの子の出産に立ち会っている。何かあれば、宇賀神の家が歌崎の家の面倒を見ることになるからな。生まれたときは、結構デカくてなあ、本当に女かと思ったものだが、まさかあそこまできれいになるとは思わなんだ。それに比べてお前は、なりは小さいわ、殆ど泣き声を上げんわで、偶にほんとに生きとるんか心配したよ」
懐かしそうにそう語る親父に、俺は「うるせえ」とだけ言って写真を返すと、親父はその写真を大事そうに胸ポケットに戻しながら、俺の目を見た。
「操生のことは、お前同様に生まれたときから知っとるんだ。できれば助かってほしいに決まっている。それに、歌崎の血筋が操生しかいないのだから、どのみち髪継祭で歌崎の巫女を出すのは今年が最後だ。だったら、操生が生きたまま終わりになったっていいじゃねえか。……要は、そう言う事だよ」
親父は穏やかに笑いながらそう言ったが、俺は親父のその言葉に、暗い引っかかりを覚えて質問した。
「なあ、親父。やっぱり、歌崎の巫女は消えたら戻って来ねえのか?」
「……少なくとも、俺が知る限り、先代の歌崎の巫女は、未だに誰もその姿を見てねえな」
予想はしていたが、予想していた以上にその言葉は重く、俺の両肩にのしかかった。
そこでふと、髪継祭とは別に、前から気になっていたことを親父に訊いた。
「そう言えば、アイツはムカデの話がどうだかこうだか調べてるって話だったけど、親父は何か知ってんのか?ムカデの話については?」
「ああ。確かに聞いたことがある。だが、あれは言ってしまえば、この町に伝わる牛の首なんだ。内容なんて、あってないようなもんだ」
「牛の首?」
「聞いたことないか?この世で最も怖い怪談だ。その怪談を知った者は、余りの恐怖に死んでしまうと言われている」
「聞いたことねえ。どういう話なんだ?」
俺が思わず固唾をのんで尋ねると、親父は間抜けな顔で「さあな」と肩をすくめた。
「内容は誰も知らん。何故なら、その内容を知ったものは皆必ず死ぬからだ。だから、牛の首の話を知っている人間はこの世にはいないという」
「なんだ、その落語のマクラみたいな話は。本当は、長屋のじいさんがその話で熊五郎をだましたって落ちじゃねえの?」
俺の投げやりな反応に対して、親父は軽く笑いながら 「かもな」と同意すると、あの男が調べているこの土地のムカデ退治について話した。
「つまり、この町に伝わるムカデの話もそう言う話だという事だ。俵の藤太はムカデ退治を行ったが、退治しきれなかったもう一匹のムカデがいた。だが、その正体を知った者は必ず死ぬ。だから誰も正体を知らん。そう言う話だ」
いかにも真面目腐ったようにそう言う親父に、俺は何だか肩透かしを食らったような気がした。
あそこまであの男が調べまわっているムカデの話が、結局は落語の笑い話のような間抜けなオチで終わるのは、自分の中で少しだけ納得できないものがあった。
「……親父、あの男は、本当に歌崎の血筋で間違いねえのか?もしかして、歌崎の関係者って騙しているだけじゃねえのか?」
そんな俺の期待にも似た疑問は、親父は軽く首を振るだけで否定した。
「いや。ちゃんと調べたし、きちんと裏付けは取れた。貝女木神社と立花寺の方には、歌崎の血筋について記した家系図が保管されていてな。その家系図と役所で取り寄せた戸籍とであいつの身元が確定した。確かに、アイツは歌崎の家系の人間だ」
そこまで言って言葉を切った親父だったが、そこで神妙な顔をして、静かに口を開いた。
「だがなあ。不思議なんだよ。記録の上では確かにあいつは歌崎の家の人間のはずなのに、アイツが昔ここに来たってことを覚えている奴が、俺の知人友人親戚の中には一人も居ねえんだ。単に覚えている奴は戦争で全員死んだだけなのかもしれねえがよ」
そう言って首をかしげる親父に、俺は何も答えられずにダンマリとするしかなかった。
脳裏には、純喫茶で本を渡された時の、あの夜のあの男の様子が蘇っていた。
あの奇妙なまでにありふれた名前を名乗りながら、「私は、私だ」と語る声は、本当は一体何者なのだろうか?あるいは、もしかして、俺は既にその正体を知る手がかりをつかんでいるのだろうか?
何となく、あの男の渡してきた文庫本を手に取った俺は、そこで不意に思いつく事があって、親父の顔を見た。
「親父。貝女木神社と六花花寺に歌崎の家系図があって、それを見れるってことは、俺なら神社と寺に伝わる資料に目を通すことができるってことだよな?」
「ああ、そうだが。何か知りたいことがあるのか?」
「ああ。創設者の賀茂光栄について知りたい。それに、髪継祭についても。もう少し深く知りたいんだ。六花寺と貝女木神社に伝わる資料について目を通せるなら、通したいんだけど、そう言う事ってできるか?」
「できなくはないが、髪継祭も迫っているし、資料の収集と読み込みに人手がつくとは思うなよ。多分、協力自体は頼めば誰もがやってくれるとは思うが、どこまで協力してくれるかは保証しないぞ?」
「それでいい。とにかく、分からなければ何も始まらない」
「……わかった。じゃあ先方に許可を取ろう。何時行く気だ?明日か?明後日か?」
「もちろん今日だ。今すぐ行くから、親父は連絡だけしていてくれないか?」
「今日!?急だな……。いや、分かった。今から電話を入れるから、おまえはすぐに行け。押し込みだろうが何だろうがしてもかまわねえ。面倒そうなことは全部俺の名前出しとけ」
そう言うと親父は若干ひきつった笑みを浮かべながら立ち上がり、俺の部屋を出ようと戸口に向かった。
その時、俺はふと、操生のことが頭によぎった。
「なあ、親父。操生は、操生は今どうしている?」
すると、親父は少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「操生は、巫女になると言っていたよ。今まで迷惑をおかけしてすみませんでした、これから巫女としてのお役目を果たそうと思います。と、そう言って頭を下げて来てな。最後に、お前のことをよろしく頼むと言っていた」
寝耳に水の出来事に、俺は思わず目を丸くして、「なんだそりゃ」と叫んでいた。
自分から助けを求めておきながら、勝手に諦めて黙って巫女になる準備を進めやがって。
知らず知らずのうちに握られていた拳が、怒りでわずかに震えていた。何に対する怒りなのか分からなかった。
勝手に話を進めている操生なのか、それを今まで黙っていた親父になのか、それとも、この期に及んでも頼りない俺自身についてなのか。
だが、親父はそんな俺の様子をどうとらえたのか、俺の頭に手を置いた。
「すまんな、変なことを言って。アイツについてはまあ、そんな気にするな。儂の方で何とかするから。それよりも、お前は操生が何とか助かる方法を探せ。儂の方もできる限り、八方手は尽くしてみるが、正直どこまでできるかは、自身が無い。……覚悟だけは決めておけ」
親父の言葉に、俺はただ頷いた。
そんな俺を見て、親父は少しだけ哀しそうな顔をして部屋を後にした。
その顔を見て、本当は最後の言葉だけを言いたかったのだと思った。
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