第28話

勝弘の鋭い声に、僕が怪訝な顔をすると、「あいつがいる」と、勝弘は端的に答えた。

 その瞬間、僕の脳裏には薄ら笑いを口元に浮かべた男の顔が浮かび、勝弘と一緒になって窓から外を覗いた。

すると、窓の下にはあの男がおじさんと話をしている姿があった。

こちらに気づいているのかいないのか、しばらくの間、おじさんと話し込んでいたあの男は、やがておじさんに追い払われるようにその場を後にした。

最後まで僕たちの姿に気づくことなく家を立ち去ったあの男の後ろ姿に、何故だか無性に安堵したその瞬間だった。

 不意に、突然背後を振り返ったあの男は、窓の外から僕を見据えて意味ありげに笑みを深めると、何事かを呟いてその場を立ち去った。

 その瞬間、僕の全身から脂汗が吹き出し、思わず窓縁から飛び跳ねて、後ろに倒れ込んだ。

 ――――――ムカデは見えるか?

 声こそは聞こえなかったが、あの男の唇は、確かにそう動いていた。

 やはり、やはり、あの男も見えている。あれが、見えている!

 他の人に見えないものが、確実にあの男には見えている。そしてそれはきっと、僕と同じものだ。

 いや、本当に見えているのか?それとも、見えてはいないが知っているのか?

 僕にしか見えない、あれらの存在のことを。

そして、『髪継祭』で何が起こるのかを。

 巫女になった人間はどうなるのかを。

 あるいは、何をされるのかを。

 何もかもを知っているのか?知っていて黙っているのか?

 いや、もしかしたら、見ているのか?

 ずっと前から、僕も、僕の見ているものも。

 ずっと、ずっと見られている。そんな感触が、背筋を伝って、僕の脳裏に刻まれる。

 頭が混乱して、後から後から色々と思いつくものの、それがまともな形にならずに脳内を駆け巡っていく。そうして、頭を抱えてうずくまっていたその時だった。

 不意に、肩に鈍い痛みが走った。そう気づくと、目の前に勝弘の顔があった。

「しっかりしろ!操生!大丈夫か!?オイ!!操生!」

 力強く僕の肩を握り締める勝弘の声に、頭に浮かんでいた色々な弱気の思いが吹っ飛び、胸の内が少しだけだが、静かになるのを感じた。

「大丈夫……。大丈夫だよ、勝弘……」

 震える声でそれだけ言うと、僕はそっと、勝弘の手を解いて、立ち上がった。

 立ち上がった瞬間、少しだけふらついたが、それでも何とかその場に立つと、僕は部屋を出ようと勝弘に背を向けた。

 すると、そんな僕の肩を支えて、僕の顔を覗き込んだ。

「おい、本当に大丈夫なのか?」

 心配そうに僕を見つめる勝弘の瞳越しに、僕自身の顔が見えた。

 その顔はまさに女の顔だった。

 力も無く、ただ風に吹かれる柳の枝のように青ざめた、頼りない、女の顔。

 あるいは、死に際の女の顔と言うのはこんなものなのかもしれない。そう思うと、吐き気がして、僕は思わず勝弘の顔を引っぱったいた。

 すると、勝弘は真っ赤な手形を着けた顔をしばらく抑えると、流石に呆れたようにため息をついた。

「……裸を見ろと言ったくせに、心配したら殴るとか、お前本当にめんどくさすぎるぞ」

 そう言うと、まだ顔の手形が消えないうちに、荷物を手にして部屋を出た。

「じゃあ、俺はもう行くから、お前もさっさと飯食えよ」

 苛立たし気にそう言う勝弘を僕は咄嗟に呼び止めたが、何故かそれ以上は言葉が出ず、しばらく黙り込んだ末に、「……朝ごはんは、どうするんだ」と、どうでもいいことを口にしていた。

 すると勝弘は、むすっとした顔のまま表情を変えず、「……台所に握り飯がある」と言うと、「それじゃあな」とそのまま足音も荒く部屋を立ち去った。

 その後ろ姿に何も言えずに手を伸ばして、そのまま糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 頭の中で色々なことが入り混じっていて、何をしていいのかわからず、ぼんやりと床上の一点を眺めていた。すると、何時までも起きてこない僕にしびれを切らしたのか、おばさんがわざわざ僕の部屋まで来て、顔を出した。

「どうしたの、操生ちゃん?あいつが顔に紅葉を張り付けてぷりぷりしてたけど、喧嘩でもしたの?」

「……すみません、おばさん。その……、僕の、僕の所為ですから……」

 それだけ言うと、僕はのろのろとした動きで立ち上がり、おばさんの傍を通って台所に向かった。

 一瞬、おばさんは僕に対して何かを言いかけたが、すぐに何も言わずに黙り込み、「そう……」とだけ、呟いた。

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