第27話



 部屋の中で僕は、寝転がってしばらく天井を眺めていた。

 取り合えず寝間着に着替えて寝転がっては見たものの、特に眠気がやってくるわけでもなく、むしろ目は冴えてしまっていた。

 脳裏にあの男の言葉がこびりついてやまない。

 一体どの口でその言葉を叩けるのか?一言半句も言い返すことのできない正論だ。

 ふと、顔の上で自分の両手を広げ、その手の平を眺めてしまう。

 まぎれもなく、この手で僕は勝弘を殴っている。

 無抵抗の勝弘を、僕を思う勝弘を、僕は殴っている。

 その時、僕は何を思っているのだろう?怒りか?憎しみか?恐怖か?

 不意に、鼻の奥に土手から立ち上る草の匂いと、それに混じった勝弘の血の匂いが蘇った。

 それと同時に、夕方の土手の景色が蘇る。

 感情を爆発させる僕は、勝弘に殴りかかり、そんな僕に、勝弘はただ哀しい目を向けていた。

 そんな勝弘を、僕はずっと殴りつけている。

 一体、僕は勝弘に何をしたいんだ?何を言いたいんだ?

 そう自問自答を繰り返すうちにいつの間にか意識が落ちていたようで、気づけば朝になっていた。

 疲れの全く取れていない身体を起こすと、ふと壁に立てかけられた鏡が目に入った。

 そこには、寝ぐせの付いたおかっぱ頭に、うすぼんやりとした目をした男にも女にも見える顔が映っていた。

 わがことながら、とても美しい顔だと思う。

 白い肌に切れ長の黒い瞳。男にも女にも見える顔立ち。多分、東京や大阪のような大都市でも僕のような美貌を持つ者はそうそう居ないのだろう。ことあるごとに別嬪だとはよく言われる。

 そして、亡き母に生き写しのようだとも。

 そのことは、僕にとっては一つの誇りでもあり、また救いでもあった。

 一目見ただけでは僕の性別を分からない人が多いので、僕を男と思い声をかける。あるいはだからこそ、僕が男の恰好をすることに目をつぶられているところがあった。

 最後に生き残った歌崎の巫女だから、厄介ごとに巻き込まれないように男の格好をさせておこう。

 そういうことで、僕は男の恰好をしていることを許されているところがあった。

 そういう意味では、この顔は、この美しさは、僕にとっての武器であった。

 そして同時に呪いでもあった。

 不意に、胃の中からすっぱいものが沸き上がり、思わず手を口で押えると、そのままそれを飲み下した。

 そうだ、僕は。女でも男でもない。

 僕と言う人間にとって、世界は何もかもがちぐはぐだった。

 着るべき服も、使う言葉も、周囲の態度も、何時からか僕の思うものではなくなった。

 クラスの男子と相撲を取ろうとするだけで奇異な目で見られた。

 まるで僕が皆に混じることが異質な出来事で、僕という存在そのものを世界に否定されているようだった。

 そんな僕の心を置いて、身体だけは成長を続ける。

 胸は僅かにではあるが膨らみはじめ、体つきは丸みを帯び始めた。

 最近では、月に一度の整理の所為で、鈍い痛みが腹に残る。

 それはまるで、僕が男ではないと、オンナなのだと、体の内側に巣食う何かが無言で僕の身体を作り変えていくようで、気が狂いそうになる。

 少し髪が伸びるだけで女と見分けがつかなくこの美貌は、そんな僕の身体の様子を、絶えず突きつけてくる。

 そんな中、不意に鏡に映る僕の顔は、まるで、鏡の中でどんどん見知らぬ女になっていくようで、不気味で、気持ち悪く、そしてとても恐ろしかった。

 僕の身体に起こる変化が、怖く怖くてたまらなかった。

 咄嗟に枕に顔をうずめて、鏡の中の自分から目をそらした。

 何も見ないで、そのままでいよう、そう思ったその時だった。不意に、部屋の中に誰かが入ってきて、僕の横腹を足でつついた。

 こんなことをする奴、顔を上げなくても分かる。

「……なにすんだよ、勝弘」

「早いとこ起きろ。学校行くぞ、操生」

「……やだ、学校行きたくない」

 分かりやすい子供みたいな我儘。別に本気で言っているわけじゃない。いや、本気で言っているのかもしれない。このまま、ずっとなにも観ずにここに籠っていれば、少なくとも、僕が男ではないという事実から目を背けられる。

 そんな僕の態度に、勝弘は何考えているのか、やや黙りこくって、やがて静かに口を開いた。

「……今日はあの男が昼に来るってよ。正直、お前とあいつを突き合せたくねえ。さっさと支度しろ」

 その言葉に、流石に僕も、枕から顔を上げて勝弘を見上げた。

「……あいつが?なんで?」

「さあな。親父たちは、理由は教えてくれなかった。多分、『髪継祭』の話かなんかであの男を呼び寄せたんだ。だから早く支度しろ」

 そう言って、勝弘は部屋から出て行こうとしたのを見て、僕は咄嗟にその足を掴んでいた。

「……なんだよ?」

 面倒くさそうに僕を見下ろす勝弘に、僕の言葉は自然と口から出た。

「……待てよ、勝弘。僕が着替えるまで待ってくれ。すぐしたくするから」

「いや。俺は」

「……何で僕の裸を見ないんだよ。僕が女だからか?」

 その言葉に、何かを言いかけた勝弘は、動きを止めた。

「僕は男だ。ずっと言っているだろう。男なんだよ。裸を見られてもどうも思わないし、言葉使いも服装も、男物じゃないと気持ち悪い。お前と同じ、男なんだよ。それを、信じてくれないのか?」

 情けなくも、縋りつくような声だった。

 かすれた涙声で、本当に女が泣いているようにしか聞こえない。いや、事実女が泣いているんだ。僕の身体は男じゃないから。

「勝弘、お前にとって僕はなんなんだ?」

「……考えすぎだろ、馬鹿野郎」

 そう言って、勝弘は僕の頭に空手チョップを落とした。

「……男とか女とか関係ねえよ。俺は他人の裸をマジマジと見ながら時間を潰す趣味はねえんだ。そもそも何か?お前、俺が風呂に入るときにわざわざ俺のちんこをマジマジ見てえのかよ?」

「え?何言っているの急に?そんなもん見るわけないだろう」

 急に気持ち悪いことを言い出した勝弘に、思わず今までこみ上げた涙を引っ込めながら真面目な顔で返すと、勝弘は「おい」と、やや怒りを含んだ声が懸けられた。

 そんな勝弘の様子に僕は思わず吹き出すと、勝弘はむくれた顔をして鼻を鳴らした。

 少しして、気持ちの落ち着いた僕は、不意に今まで勝弘の足を掴んでいたことを思い出すと、手を放して立ち上がった。

「悪かった。変なことを言って、でも部屋には僕が着替えるまでいてくれないか?」

「分かったよ。じゃあ、俺窓の外を見ているから、その間俺の後ろで着替えろよ。正直、マジでそう言うの勘弁してほしいんだけど」

「分かってるよ。ごめん」

 僕がそう言うやいなや窓の外を見始めた勝弘を見て、僕は寝間着の襟に手をかけて服を脱ぎ、タンスから取り出した学生服を着こんでいく。

 黒いズボンに身を通し、肌着を着込んでワイシャツに袖を通す。

 不思議なほど部屋の中に衣擦れの音しかしなかった。

 やがてベルトを腰に巻いて身だしなみを整え終えた僕は、窓の方をじっと見つめている勝弘に声をかけた。

「悪い。勝弘。準備が終わったから」

「待て。まだ部屋を出るな」

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