第24話
その態度に一瞬、無性に腹が立って、俺は怒りで席を立ちかけたが、そんな俺に向かって、あの男は「しかしだよ、勝弘少年」と、切り出した。
「しかし、それじゃあ面白くないだろう?」
「何?」
「先ほど言った通り、操生は十中八九神隠しに遭って消えるだろう。君の奮闘は無駄に終わるだろう。君は何の意味もなく無駄にあがきまわって、失意を味わうだろう。だが、それはつまり、最初から無理だと知っていることに挑んで、結局無理だったというだけの話だ。それでは心底つまらない」
そう言うとあの男は、何もないはずの空間から十円玉を一枚取り出して机の上に置き、同じように何枚も何枚も十円玉を取り出しながら、一枚ずつ重ねていった。
「シェークスピアの悲劇が面白いのは、単に何もかもうまくいかないからではない。上手くいっているように見せかけて、結局のところは大いなる流れの前に人間の力が無力だと思い知らされるからだ。最初はうまくいくように見せかけて、結局うまくいきませんでした。と締めるから面白いのだ。最初から上手くいかないのでは、カタルシスがない」
そう言って、あの男は何枚も重ねた十円玉の上に再びカップを被せると、再びカップを取って見せた。
すると、重ねていた十円玉は消え、再び何も入っていないカップの中身を見せつけながら、あの男は言った。
「だから私は、君のことを少し助けることにしたのだよ。君を少しだけ助けて、できるだけ君の努力が実を結ぶように働きかけるようにしたのだよ。その上で、失意のどん底を味わわせることにしたのだよ。それこそが、悲劇として相応しい筋書きだと思ったのだよ」
「……何でそこまでして、俺を陥れたいんだよ」
「そんなこと考えるまでもないだろう?君が私のことを嫌いなように、私も君の様なクソガキが嫌いなのさ。だから、痛めつけることにしたのだ」
「マジで最低だな、お前」
俺が吐き捨てると、あの男は軽く鼻を鳴らすと、席を立った。
「まあ、君が私のことをどう見えようと、私は私のやりたいようにやる。君も好きにし給え。そしてできれば、私の望むように無様な悪あがきを見せて、何一つ目的を達成することなく潰れてくれるなら、それに越したことはない。ああそれと、その本は君に進呈しよう。好きに使ってくれ給え」
机の上に置かれたままの『桜と橘』の本を指さしながらあの男はそう言うと、席に座ったままの俺を尻目に支払いを済ませて外に出た。
そんなあの男の姿を見ていて、俺はふとあることが気にかかり、机の上の本を手にして、後を追うように店を出た。
そんなあの男の姿を見ていて、俺はふとあることが気にかかり、机の上の本を手にして、後を追うように店を出た。
すると、店を出てすぐにあの男は後を追ってきた俺に気づき、街灯の明かりの下で怪訝そうな表情を浮かべた。
「あんたさ。東京からわざわざこの町に来たのは、面白い話が無いのか調べに来たんだろ?」
「ああ。その通りだが?」
尚も怪訝そうな表情を浮かべるあの男に、俺は『桜と橘』の本を手にしながら訊いた。
「この本が面白いんだったら、何でこの本を映画にしないんだよ?わざわざ東京からこっちに押し掛けてわけのわからない話を調べるより、よほど簡単だったじゃないのか?」
するとあの男は、心底から面白そうに笑い声をあげた。
「できるわけがないだろう。本当にお前はその本を読んだのか?先の大戦において日本の神話が戦争に利用されたと書かれているだろう?軍国主義を育む悪しき教育としてね。ましてや、コノハナサクヤヒメの話は皇室の始まりに関わる話だ。こんな話を映画にしてみろ。仕事を干されるどころか、殺されてしまうぞ?」
「……殺されるって、誰にだよ?」
「さあ。だが少なくとも人間であることだけは確実だろうな」
肩をすくめながら何気なく言ったあの男の言葉に、俺は思わず口元がひきつった笑みの形に歪むのを感じた。
「……あんたを殺せる人間なんて想像もつかねえんだけど?」
俺の言葉に、あの男は街灯の逆光の中から笑いかけた。
「ひどいことを言うじゃあないか。それではまるで、私が人間ではないようだ」
「……俺には、とても人間には見えねえよ。あんた一体、何者なんだよ?」
俺がその質問を口にした途端、あの男の背後を照らしていた街灯はちかちかと点滅し、やがて消えた。
「私が何者か?だと?今更えらくつまらない質問をするじゃないか」
そう言うとあの男は、街灯の消えた闇の中で煙草の先に火を点けた。
煙草の火は、街灯の代わりに点滅するように煙を立ち昇らせながら瞬き、むせ返るような夏の空気の中で淀むようなヤニの匂いとともにあの男は口を開いた。
「今更自己紹介は不要なので名前は省くが、東京出身。東京育ちの二十八歳で、生年月日は大正十二年、一月四日の午前九時。母の旧姓は歌崎、名前は薫子。父の名前は博士。父の職業は中学校の物理教師だが、趣味で作家業を行い、その際には
その言葉と共にあの男が吐き出した煙は、黒く蟠った夜の中に消えていった。
そして。
「私は、私だ」
そう言って、暗闇の中に笑い声と共に消えていくそいつは、俺には悪魔のように思えてならなかった。
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