かくて「私」は語りたり。

第22話


 そして、翌日になってそのことを後悔することになる。

 次の日、俺の家にやってきたあの男と共に、俺はこの街である唯一の純喫茶に行った。

 喫茶店の店内は、煙草の煙と匂いが立ち込める薄暗い空間になっていて、俺は店の中に入るなり、煙草の匂いが沈殿する店の空気に当てられて、思わず鼻と眉をしかめた。

 そんな俺に構うことなく、店の入り口にあった適当な席にあの男は腰かけると、そのまま店員に珈琲を二杯頼んで、煙草に火をつけながら俺に正面に座るように勧めた。

 俺が勧められた通りに席に座ると、あの男は開口一番に『桜と橘』の感想を聞いてきた。

「さて、勝弘少年。早速だが、まずはこの本の感想について聞こうか?一体、君にはこの本のことをどう読み解いたのかね?」

「……正直、よくわからねえよ。何かやたらと神様の名前が出てきて、小難しい話が並んでんなくらいには思ったけど、だから何だよって感じかな」

 それが俺の心からの本音だった。正直、俺にはこの本がやたらと小難しい言い回しで与太話を書き連ねているだけの伝奇本にしか思えず、何か読む価値があるのかと思っていた。

 すると、やはりと言うべきか、あの男には俺の感想は気に入らなかったらしく、わざとらしく首を横に振りながら、煙草の火を消した。

「全く、不勉強にもほどがあるな。多少は本を読むということを慣習として心得ていても罰が当たるわけではあるまいというのに。それでは、歌崎の血が桜に通じているという話をしようにもできないではないか。君が気に入る話だろうと思っていたが、実に残念だ」

 正直、その科白が何を意味しているのか全く分からなかった。

 ただ、直感的にこの話は聞き逃してはならないと思った。

「なんだよそれ。歌崎と桜だ何だが関係あるのかよ!」

「自分の興味のある事柄となると途端に目の色を変えるなあ。現金な話じゃあないか。まあいいだろう」

 俺が思わず食いつくと、あの男は机の上に置かれた珈琲を啜りながら、皮肉気な笑みを浮かべた。

「歌崎の血と桜の血筋の関係だが、単刀直入に言えばこの本に書かれている桜の血筋とやらが歌崎の血と言うことになる。ただ、このあたりはさすがに私の個人的事情と重なるところがあるからな、気づかなくともいたしかたなしと言ったところだ」

 そう言うとあの男は、俺が『桜と橘』の文庫本のページを何枚かめくって、序文の項目を開いた。

「ここ。この本の序文に、和戸博士とその細君という人物が書かれているだろう?これはね、実は私の両親のことなんだ。私の父もいくつか本を出版していてね。この本の作者とも知り合いだったのだよ。だから過去に直接彼から桜の血筋について聞いていたのだよ」

 その言葉に、俺は思わず怪訝な顔をした。

「え?でも苗字違うじゃねえか?」

「ペンネームと言う奴だよ。研究を発表する為に出版した男鹿博士と違って、私の父はあくまでも趣味の創作として本を出版していたからね。それにまつわって独自に様々な研究内容は盛り込んでいたが。あくまでも娯楽重視の創作物だったからね。ちなみに、博士(ひろし)という名は本名だよ。物理教師でシャーロック・ホームズが好きだったからね。ワット博士とワトソン博士に掛けた名前を付けたのさ。それはさておき、桜の血筋と歌崎家の関係についてだったな」

 そう言うとあの男は手にした本をめくりながら、いつも通りににやにやと笑いながら話し始めた。

「私が歌崎家やその血筋について知っていることは然程多くはない。ただ、分かっていることだけを上げると、歌崎家は桜の血筋に連なる人々だというのは確かだ」

「……どうして、どうしてそんなことが言える。歌崎と桜の血が同じものだなんて」

 するとあの男は、珈琲の入ったカップを手にして心底意外そうな顔をして驚いた。

「おや?気づかなかったのか?あんなにも髪継祭に関係のある内容だったのに」

 そう言うとあの男は、一度珈琲を啜ると、喫茶店の机に置かれていた紙ナプキンを一枚手に取り、懐から取り出した万年筆で紙ナプキンの上に何やら字を書き始めた。

「髪継祭と言うのは、平たく言えば六花寺と貝女木神社を行き来する祭りだ。六花寺と言うのはつまり立花寺、橘という名前をもじった寺の名前だ。そして貝女木神社とは櫻(さくら)と言う文字をばらしてつけられた名前だ。つまり、桜と橘の血筋について、この町の寺と神社は最初から知っていたのさ。だからこそ、お前に渡した本の著者、男鹿さんは私の家に話を聞きに来たんだ。私の母がまさにこの町の神社に関係していたからね」

 紙ナプキンの上に書かれた橘と桜の文字の繋がりに、俺は思わず呆然とした。

「……そんな、……本当に……?でも、親父からも誰からもそんなこと聞いたこともねえ……」

「本当に自分の町について知らんのだな、君は」

 俺の言葉を聞いて、あの男はそう言って呆れかえると、『桜と橘』の本をパラパラとめくって、とあるページを指さした。

「この本の中で、ここに越智村光栄と言う男が言及されていたろう?越智村と言う名前、あれは一種のあだ名でね。変若水を研究していたから越智村と呼ばれるようになったのだよ。ついでに言うと、彼は安倍晴明と言う陰陽師と同年代の陰陽師でもあってね。安倍晴明と言う陰陽師は未だに名前が残っているほど有名な男なのだが、彼が台頭したことで光栄の実家の権勢も衰えたからな。この名前は、落ちぶれともかかっている。越智村と落ちぶれ、響きが似ているだろ?つまりは、落ちぶれ光栄と言う意味だ。越智村光栄の本当の名前を、賀茂(かもの)光栄(みつよし)と言う。そして、彼こそが、六花寺と貝女木神社の建立者だ。つまりは、髪継祭を始めた男という訳だ」

 その言葉に、一瞬、俺の頭は真っ白になった。

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