第21話



 今では忘れられてしまったが、かつて、平安の時代には、今の科学者と同等の地位を持つものとして、密教の僧侶と、陰陽道を研究した陰陽師と呼ばれる存在がいた。

 陰陽師とは、陰陽五行説と呼ばれる理論にのっとり、様々な仙術を用いて国家鎮護の為に働いたとされる職業のことである。

 その仙術の一つに、式神と呼ばれる鬼を使役したり、星の動きから過去・現在・未来を読み説いて予言を残したりと言ったものがあった。

 そんな陰陽師の呪法の中に、蠱毒と言うのがある。現在でも慣用句的に使われるが、これはひとえに、強力な猛毒を生み出す呪法のことを指す。

 かつての陰陽師には、この蠱毒を応用して不老不死の妙薬を完成させることができないか?と考えた陰陽師がいた。名を、越智村(おちむら)光栄。

 彼の研究の最終目標は、変若水の精製であったという。

 これはつまり、当時変若水と呼ばれていた血筋を再現するという事ではなく、人々に信仰される霊薬としての変若水を生成するという事である。

 この手の研究は洋の東西を問わずに古代の時代から変わりなく続いており、研究の目的そのものには取り立てて目を引くようなところはない。

 ただ、彼の研究手法が興味深かったのは、変若水を手に入れる手法であった。

 光栄の研究手法とは、桜と橘の血が入り混じったことで桜橘の血統が生まれ、変若水の血筋が生まれたのであれば、桜と橘の血筋を人工的に生み出すことができれば、変若水の血筋が生まれるはずである。

 そこから、伝承の変若水の力である、不老不死の効果を持った成分を漉しとる取ることができれば、その漉しとった成分をもってして「変若水」と言えるのではないか?それが越智村光栄の考える「変若水の精製」であった。

 そしてその「変若水の成分を漉しとる手法」として光栄が着目したのが、蠱毒であった。

 蠱毒とは、本来一つの壺、もしくは箱の中に様々な毒を持つ生物を詰め込み、殺し合いをさせて、強力な呪毒をもつ生物を生み出す呪術である。

 しかし中には、これの応用で様々な薬効を持った薬物を詰め込み、それを閉じ込めた生き物に食べさせることで、強力な薬効を持つ生物を生み出すことができるという応用で薬を生成する陰陽師も居た。

 この蠱毒の応用を光栄は利用した。

 光栄が変若水の精製に利用した手法は、主に二つである。

 一つ目は、桜橘の血統から直接的に大量の血液を採取し、そこから不老不死の成分を漉しとるという事である。

 ただしこれは、物理的に不可能であった。それは、血液が凝固する性質を持つ為である。

 光栄の研究によると、そもそも、変若水の性質は、どうやら水と言う状態に捕らわれるものであるらしく、液体でなくなった変若水には本来の性質を失うとされている。

 しかし千年前の技術では、血液を凝固させずに保存させる方法は水に血液と酒を混ぜて保存することくらいしかなく、水や酒で薄めた桜橘の血は変若水の性質を失ってしまったらしい。

 これを現代の科学的な観点からとらえるならば、変若水の性質は化学反応が起こりやすく、人間の体内から血液が排出された段階で変若水の性質を失うという事であろう。

 無論、千年前の人物であった光栄にとって、この事実を知る方法などあるわけがなく、重要なのは単に血液が血液のまま保存できないという事であろう。

 そこで光栄はもう一つの手段を取ったとされる。

 それが、純粋な蠱毒に頼った変若水の精製である。

 今までの話の通り、桜と橘の血筋は、人間に流れる血筋のことである。

 であるのならば、桜の血筋を持つ人間と橘の血筋を持つ人間の両方から血を集め、その集めた血を食わせることで桜の血筋を持つ生物と、橘の血筋を持つ生物を作り上げることができるはずである。

 そして、桜と橘の属性を持った生き物を掛け合わせることで、人工的に変若水の血筋を作り出すことができるはずである。

 この考えの元、光栄は桜の血筋とされる人物と橘の血筋とされる人間を集め、彼らから日夜少量の採血を行い、採取した血を蟲に与えることで桜の血筋となる蟲と、橘の血筋となる蟲を作り上げようという実験である。

 その結果、二匹の蟲。いや、化け物が作られたと言われている。

 それが、変(お)若(ち)の蟲(むし)と呼ばれる化け物だ。

 変若の蟲は、一匹はムカデを基に生み出され、一匹はナメクジを基に生み出され、何でも人に寄生して、とてつもない力を与えることができたという。

 ムカデに寄生されたものは凄まじい生命力と身体能力を持ち、並大抵のことでは死なない体になり、ナメクジに寄生されたものは人には本来見えざるものを見ることができるようになり、本来人では使えない力を使えるようになるという。

 余談ながら、かつて旧日本軍は、この蟲を確保することに成功し、秘密裏に軍の研究施設で研究していたという。その結果、この蟲の養殖や蟲の持つ能力を解明されたという話が伝わっている。

 その話によると、変若の蟲の中の一匹、ムカデは、溶原性変質原虫と呼ばれる単細胞生物と共生した変種であり、ナメクジは、過剰変異型蛋白質と呼ばれる酵素を生成することができるようになった新種であるという。そして、かつての日本軍はこの蟲を軍事転用できないかと目論み、その研究施設の一つが、滋賀県の琵琶湖湖畔に存在しているとも言われるが、これはどこまで本当なのかは疑わしい話である。


 ★★★


 俺はあの男から渡された本を、そこまで読んで切り上げた。

 正直に言って、何が書かれているのかよくわからないし、あの男が俺にこの本を読ませて何をしたかったのかも理解できない。

 何より、この本を読んだからと言って、別に操生を救う手掛かりになるわけでもなければ、何か俺の役に立つような知識や情報が書かれているわけでもなかった。

 後から思えば、この時の俺の考えは甘かったと思う。

 自分の直感に従ってまで恐ろしい存在にこびへつらいながら、それを貫くこともせずに、ただ適当に流そうとしていた。

 だからこそ、この本に書かれていることの内容の重大性を理解せず、そのまま寝てしまった。




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