第19話


 さて、それでは橘の属性についてだが、橘の話をするには、垂(すい)仁(にん)天皇(てんのう)と田(た)道間(じま)守(もり)の話をしなければならない。

 田道間守と垂仁天皇との逸話とは、天皇は田道間守を常世国へ遣わして、不老不死の効果を持つという果実、非時香菓(ときじくのかくのみ)を探させたという話だ。

 田道間守は命令の通りに不老不死の果物自体は持ち帰ることはできたが、その時には当の垂仁天皇自身は死亡しており、想像を絶する困難な旅を成し遂げながらも結局は旅の目的を果たせなかった田道間守は、悲観した垂仁天皇の陵のそばで自殺した。という逸話である。

 この時、田道間守が持ち帰ったという非時香菓と言う果物こそが、橘の実であるという。一説には、橘と言う言葉自体、たじまの花と言う言葉が転訛したことで付いた灯される。

 つまりは、桜が短命と繁栄の象徴であるように、橘は不死と不滅の象徴である。そして、橘は海の向こうから来た果実。

 すなわち、月を象徴とする桜の花とは対照的に、海を象徴とする果実だ。

 そして、海とは水であり、水には強い力が宿るとされるのも、人類に不変の思想である。

 特徴的なのは、炎が人の力の象徴とされることとは対照的に、水は自然の力の象徴とされることである。

 そして、不滅と不死はアゲハ蝶が象徴する事象でもある。

 意外なことかもしれないが、アゲハ蝶は不滅の象徴として世界各地に伝わっている。あるいは魂の象徴とも言えるのかもしれない。

 仏道においてはアゲハ蝶とは極楽の生き物であり、仏様を運ぶ生き物とされている。神道においては、死者の魂が形をとった姿ともされている。

 それが由来か、アゲハ蝶は常世の神とも呼ばれている。

 日本書紀の記述の中には、橘を餌とする芋虫を神として崇め奉ったという新興宗教の一節が伝わっており、彼らはアゲハ蝶の幼虫のことを『常世の神』と呼んで居る。

 橘とそれに関連する蟲を『常世』の言葉でくくったのは偶然ではあるまい。現実的に考えるならば、常世の国と橘の関連性を知る者がその関連性を利用して新興宗教の主神に据えたのであろう。

 つまり、橘が常世の国の植物であるのならば、アゲハ蝶は常世の神であるという訳だ。

 そして、アゲハ蝶のもう一つの特徴は、かつて武士が崇める対象でもあったという事だ。

 武士の好んだ家紋においては平氏をはじめとして、様々な蝶の紋様が武士の家系には伝えられている。

 言うなればアゲハ蝶とは力、それも武力の象徴として扱われているという事である。

 桜が知恵と月と炎と竜の象徴であるように、橘とは生命と海と水とアゲハ蝶の象徴だ。桜が知覚と霊感の花ならば、橘とは生命と武力の花だ。

 いわば、桜は精神を司り、橘は物質を司る。


 以下、中略。

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