眠命書房刊『桜と橘』
第17話
桜と橘。あるいはその血の起源
発行所
初版 一九四八年 六月 十日
著者 男鹿孝則
以下、当作品の内容を一部抜粋、および引用。
序文
拙著、桜と橘の本を手にしていただいたこと、誠に幸いに思う。
本作品は本来、出版されるようなものではない。
私が本著を脱稿したのは、忘れもしない一九四五年の八月十五日のことであった。
まさに私が筆をおき、ラヂオをつけたその瞬間に日本が降伏をしたと告げられた時には我が耳を疑った。行き詰まった戦況から、いずれはと思っていたが、よもやこの日に来るとは思ってもおらず、案の定、当時本書の出版が決まっていた出版社から出版中止の連絡がきたときには、どうしてこの日にという絶望よりも、むしろ、これこそが天命であろうか。という、納得に近い諦観が私の胸を占めていた。
それと共に、私は本書がもう二度と日の目を浴びることはないと覚悟し、きっぱりと本書の出版は諦めていた。
その理由は他でもない、本書が皇室の神話にまつわる私の研究を取りまとめたものであるからだ。
本書に記された桜と橘の血にまつわる研究に必要な前提知識として、日本神話のコノハナサクヤヒメとニニギノミコトの逸話がある。
戦争以前は日本の神話は建国の逸話として小学校低学年から学ぶ重要な基礎教養であったが、戦後、それが軍国主義教育の一環として禁じられることになった。
このこと自体は、戦時下において皇室が不気味なまでに崇拝の対象となっていたことから予想はしていたが、事実、敗戦を迎えたのちにそういう現象が実際に起こると、何やら思うところが無いわけではない。
近いうちに、日本の神話を教養として知りうるものはいなくなるだろう。
特に、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの逸話は、皇室が現人神であるという逸話を露骨に反映させた一節であり、ほぼ確実に歴史教育の中から消されることは確かであろう。
私個人としての所感としては聊か残念なことではあるが、政治思想の在り方を問わずしてこの項目が歴史教育の一節から消されることは望ましいことであると思う。
それは本書に記された内容、すなわち桜と橘の起源について深く根差した話であるからであり、この血の起源について年端もいかぬうちに教えることは、教えられる児童からすれば如何にも酷であろうと思われるからだ。
それを思えば、私の研究が日の目を浴びることなく闇の中に葬られることになるのは、大いに悔いが残る結果ではあるが、納得して受け入れられるところでもある。
そんな本書がこうして書籍として形になったのは、ひとえに私の書き上げた原稿を本とするべく、面倒ごとを買って出てくれた根岸月永氏の尽力あってのものである。
私の研究内容を知る根岸氏から本書の出版を打診する電話があったのは去年、すなわちこの本が出版される前年の夏であった。
私個人としては本書の出版に関しては諦めていたものであったが、根岸氏は私の研究内容と本書の原稿の存在を知り、一読を望んだのでそれを許可したところ、本作の出版を勧められ、それからはあれよあれよと話が進み、元の原稿に幾分かの加筆と修正を加え、遂にはこの序文をしたためる段になったという訳である。
時節柄、非常に神経を使う内容であるにもかかわらず、本書の出版の為に骨を折ってくれた関係各所、および根岸氏には感謝しかない。
特に私の研究に協力してくれた和戸(わと)博士(ひろし)氏。及びその細君。彼らの協力がなくば、そもそも私の研究が完成する事はなかった。この場を借りて改めて感謝の一文を載せておきたい。
同様に、いかなる理由であったとしても、本書を手に取ってくれた読者諸兄にも同じ感情を抱いている。
本書が読者諸兄の人生にどのような影響を与えるのか、あるいは与えないのかは知る由もないが、少なくとも私にとっては諸兄らの存在なくば本書を出版することができなかった。そのことを思えば、諸兄らが本書を手に取っていただいたことは誠に幸甚としか言いようがない。
改めて、この本を手に取ってくれた読者諸兄らには、感謝を。
以下、中略。
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