第12話

 目が覚めると、操生の顔があった。

「気が付いたか、勝弘」

「あの男は?」

 俺の様子を覗き込んでくる操生にそう聞くと、操生は苦笑しながら「人が心配しているのにそれは無視かよ」と、俺の額にデコピンをかました。

 操生にそう言われて漸く、俺は自分の部屋に運び込まれて、布団の上に寝かされていることに気づいた。

 顔にはガーゼが当てられ、操生にされたデコピンがガーゼ越しの傷に響いてた。

「あの人は、今は家を出て行ってもらっている。流石に、あそこまでやられておじさんたちも黙ってはいられなかったみたい」

 デコピンに痛がる俺を見て笑いながら言った操生の言葉に、俺はわずかに安堵した。

「……心配したよ。いきなり鼻血を拭きだして、青あざを作って運び込まれてきたから。……いつもは僕がお前の顔に青あざ作ってるのにな」

 自嘲気味に呟く操生の顔を見て、俺はその鼻面に寝転がったままデコピンした。

「痛い。なにすんだよ」

「さっきお前だって俺にデコピンしただろ」

 俺の言葉に操生は一瞬舌打ち交じりに俺を睨みつけたが、やがて吹き出した。

「何がおかしいんだよ。操生」

「いや、何だろうね。わかんない。ただ、何か久しぶりだなって、こういうの」

 そう笑う操生の顔はやっぱり美しく、美形は得だな。と、場違いにもそう思った。

「なんだよ?僕の顔になんかついている?」

「いいや。別に」

 首をかしげる操生をぼんやりと見つめていると、何だか無性に腹が立ってきて、俺は操生の額にデコピンを決めた。

「痛い!なにすんだよ勝弘!」

「いや?なんかお前の顔を見てたら、何かムカついて」

「なんだよそれ。心配してやったのに、損した。バーカ」

 そう言うと操生は、容赦なく俺の頭に空手チョップを軽く入れ、そのまま怒って部屋を出ていった。

 俺は空手チョップを入れられたせいでは再び傷口に響いた痛みに悶えながらも立ち上がると、夜風に当たろうと窓辺に向かった。

 窓を開けると、夏のじめじめした空気と、冷たい湿気を帯びた風が同時に飛び込んできて、視界の端で、机の上に置かれた何かの紙切れが飛んだことに気づいた。

 床に落ちたその紙切れを拾い上げると、それはあの男の名前と働いている会社の名前が書かれた名刺だった。

 俺はその名前を見た途端、思わず腹の底からこみ上げる怒りのままに、名刺をビリビリに破いてその場にばらまいた。

 結局、その日はそれ以上何もすることなく、そのまま寝た。


 ★★★


 その日は、珍しい夢を見た。ガキの頃の夢だ。俺と操生が出会ってからの夢。

 俺と操生の付き合いが始まったのは、十年前のことになる。

 その当時は、先の大戦がはじまってすぐの頃で、ラジオや新聞からは日本の戦勝報告がひっきりなしに報道されていた。

 そんな中、歌崎の家はまるで先細るように家人が相次いで亡くなっており、口性の無い奴はこれを歌崎の家に呪いがかかった。と影口を叩いていた。

 後から調べたところによると、俺たちが生まれるよりも十年ほど前から歌崎の家から家人は減っていたようで、その理由もこの土地の髪結祭の風習を嫌ってのことだったから、別に何の謎でも不思議でもなかった。

「勝弘。この娘はこれから私たちが引き取ることになった歌崎操生ちゃんだ。お前と同い年だから、これから仲良くしなさい」

 そんな親父の言葉と共に、玄関先に立っていた操生は、おかっぱ頭にまとめた髪がきれいな女の子だった。

 最初は、周囲のなにもかもが気に食わないような目つきをしていた操生は、俺と碌に口を利こうともせず、俺のことを露骨に無視して過ごすような嫌な奴だった。

 ただ同時に、操生は、きれいな顔に似合わず勝気で短気な奴で、口より先に手が出るような、そんな後先考えないバカだった。一方で、そんな俺も操生に負けず劣らず、無鉄砲で喧嘩ばかりするバカだった。

 そんなことがお互いに分かるようになってからは、俺たちはお互いにクソ生意気な悪ガキとして二人揃ってつるむようになった。

 そんな操生の言動に違和感を持ち始めたのは、小学校も終わりかけの頃だった。

 小学校の六年生に上がったころから、操生は徐々にふさぎ込むことが多くなり、家でも学校でも、なんとなく話さなくなっていた。

 それでも登校と下校の時には一緒になって、いつもの通学路を歩いていて、そこでだけはぽつぽつと話すことがあった。

 そんなある日のことだ。

「勝弘。何で僕にはおちんちんが生えてこないんだろう」

 突然そんなことを言われて困惑した。正直、何を言われているのかわからなかった。

 その時の俺が操生に何を言ったのかは覚えていない。ただ、そのまま何か適当なことを言って操生を傷つけてしまったことだけは覚えている。

 その日以降、短気だった操生はますます苛立つようになり、些細な出来事で喧嘩をするようになった。

 前々から女物の服や装飾を嫌い、女の子と言われることを極端に嫌っていた操生は、女という言葉に過剰に反応しては、同じクラスの男子学生にいちゃもんをつけるようになった。

 その時期には、俺たちの体は徐々にそれぞれの性別に応じた体つきになり始めており、当然のことながら力の差や体の差が如実に表れ始めていた。

 そんな中で女の体つきになっていく操生がまともな殴り合いで敵うはずもなく、顔や体に生傷を作っては、美少女とは思えない有様にいつもなっていた。

 その頃から、操生は飯も食わなくなっていた。

 飯時になっても顔を見せない操生のことを、おふくろはこの年頃の女の子ならそうでしょう。と、訳知り顔に頷いていたが、実際にはそんな生中なことじゃなかった。

 授業中に空腹でぶっ倒れながら、医者に栄養失調と診断された操生は、きゅうきゅうと腹の音を鳴らしながら暗がりの中で体を丸めて呟いた。

「体が女になっていくんだ……。この前、気づいたら胸が少しだけ膨らんでいた。……気持ち悪いよ、この身体。本当に気持ち悪いよ」

 その時に初めて知った。

 操生は、男だった。

 体は女でも、心は男だった。

 心は男だったから、無理に自分を男に見せようとしていた。

 菊から二滅茶苦茶ないちゃもんをつけて喧嘩をして、顔や体に傷をつけるのは、自分が男だと証明しようとしていたからだった。

 あるいは誰かを殴り、そして誰かに殴られている間だけは、操生は自分が男だと実感していたのだろう。

 けど、そんな操生の心も意識も無視して、体は成長を続けていた。

 それに加えて操生の心を蝕んでいたのが、髪継祭の巫女としての役割だった。


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