第10話
東京から来たあの男は、俵の藤太のムカデの話とやらを熱心に聞きまわるばかりで、『髪継祭』には何一つとして興味を持とうとしなかった。
そんなあの男に対して、俺は話しかけることもできずに、家にいる間中、離れか客間を占有するばかりのあの男を睨みつけることしかできなかった。
頭では理解している。俺には手段を選べるほど余裕はない。
すぐにでもあの男に対して頭を下げて、操生について頼むべきだ。
だが、あの男に対して頭を下げるという事に対する本能的な嫌悪感は、俺の腹の中で岩の塊を火で焙るような苦痛を伴っており、どうしても話を切り出すことができなかった。
何故だかわからないが、
だが、そんな俺の焦りをよそに事態は動き出した。
あの男が正真正銘、本物の歌崎の家の末裔であることが確認できたので、俺の親父の方から『髪継祭』について話すことになったのだ。
その日の夕飯の献立は、あの男からの頼みでメンチカツと豚汁が食卓に並べられた。
奇遇にもそれは操生の好物だったが、その日も操生は二階の自分の部屋に籠って顔を見せなかった。
最近、操生は飯を食わない。
それは俺の家族に対する遠慮とかそういうものとは無関係な話だ。
いや、あるいはそう言うものも含まれているのかもしれない。ただ、最近、操生は朝に牛乳を飲んで、昼に持たされた小さな弁当を食うだけだ。
その所為で、最近の操生は見ていて痛ましいほどにやせ細っている。
このままでは栄養失調で死んでしまうのではないか。と、本気で心配してしまうほどに。
そんな操生のことが気になって、俺はおふくろに言われるままに目の前の飯を腹に入れることしかできず、その味も何もわからなかった。
だが、そんな俺の心配など知る由もないあの男は、俺の目の前に座りこんでやたらと旨そうに飯を食っていた。
麦飯と野菜多めの豚汁に舌鼓を打ちながらメンチカツに箸を入れるその姿は、如何にも普通の人めいていて、なんだか逆に人外じみていた。
そうして、食事も終わり、食後の一服を始めたあの男に、おやじは髪継祭のことを切り出し始めた。
だがあの男は、その祭の名前を聞いても、首をかしげるだけだった
「かみつぎさい、ですか?はて。心当たりのない名前ですな。残念ながら、私がこの町に連れられてきたのも、二度か三度くらいのものでしてね。何しろ、当時の世情のこともありますしねえ……。本当に、勉強不足で申し訳ありません」
「ああ、いいえ。致し方ありません。貴方は東京で暮らしてきたので、存じ上げることはありませんでしょう。私どもとしても、そのことは先刻承知のうえでこの話をするのです」
煙草の灰を灰皿に落とすあのおこのに対して、親父はそう前置きをして、髪継祭の話をし始めた。
髪継祭は、千年前から続いていると言われるこの町特有の祭りだ。
毎年行われている祭で、無病息災と五穀豊穣を願うために行われ、その日だけは必ずこの町には霧がかかるので、別名を霧隠れの祭と呼ばれる。
祭の内容としては単純なもので、この町には千年以上前に京都の偉い坊主だか法師だかの、落ちぶれなんとかと言う人間が建立したと伝わる、六(りっ)花寺(かじ)と貝女(かいめ)木(ぎ)神社(じんじゃ)と言う神社がある。
そして、六花寺には『ももたりの祠』と言う祠が、貝女木神社には『むしの祠』と言う祠がある。
髪継祭は、この『ももたりの祠』から、『むしの祠』に向かって神輿を運ぶ祭りだ。
通年では、祠に向かう神輿には、桜の木を材料にして作られた、『巫女の形代』と呼ばれる、等身大の人形を運ぶ。
『むしの祠』に運び込まれた神輿は、霧深い夜の中、一晩だけ放置され、翌朝には再び『ももたりの祠』へ戻される。
だが、十年に一度だけ、『巫女の形代』ではなく、『人柱の巫女』と呼ばれる生きた人間が直接祠に運ばれるのだが、運ばれた『人柱の巫女』は、『巫女の形代』とは違い、そのまま姿を消す。
いわゆる、神隠しに遭う。
どこに姿を消すのか。それは誰にもわからない。
町の外の人間に対しては、霧に紛れて家に帰っているという事になっているが、実際のところ消えた『人柱の巫女』が戻ることはない。
そして、巫女に選ばれる人間は代々、歌崎の家から出される決まりとなっている。
そこまで聞いて、あの男は不思議そうに首を傾げた。
「その巫女と言うのは、男でもなれる者ですか?私は、操生くんから、自分は男の子であると伺ったのですが?」
あの男がそう言った途端、おやじは気まずげに視線をそらし、俺の身体は一瞬、こわばった。
「操生は女ですよ。あの子自身は、自分を男だと言いますがね」
おやじのその言葉に、あの男は、ほう。と、煙草を燻らせながら面白そうにつぶやいた。
そう。操生は女だ。少なくとも肉体は。
だからこそ、あいつはいろいろなことに不安定だ。
最近、その不安定さが増したのは、きっとこの髪継祭の『人柱の巫女』の話とも無関係ではないだろう。
「なるほどなるほど。体は女であるのに、自身は男であるという。これは中々に面白い話ではありますな」
そう呟くあの男に、俺は一瞬、怒りのあまりに睨みつけてしまった。
まるで操生の苦しみを楽しむようなその科白が許せなかった。
だが、操生の状況をなんとかできるのも今は目の前のこの男しかいなかった。
俺は、これが最後の機会だと思い、おやじたちを押しのけてあの男の前に立つと、勢いよく頭を下げながら頼んだ。
「あんた、操生の親族なんだろ?だったら、操生を連れてこのまま東京に行ってくれないか?髪継祭まで時間がある。今なら、今なら操生を連れて出て行けるはずだ」
俺のその言葉に、おやじだけでなく、おふくろまでもが出てきて、あの男の前に立つ俺を取り押さえて、部屋から引きずり出そうとした。
するとあの男は、そんな俺たちを見ながら、軽く笑い声をあげた。
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