第6話


 もしも彼をこのまま力いっぱい蹴り飛ばせばどうなるのであろうか?

 いささか人としてどうかとは思うものの、この膠着した状況を打破するにはそれしかないように思い、私は足元に転がる少年を見おろしながら、軽く右足を引いた。

 するとその瞬間。

「やめろ!そいつに何するつもりだ!」

 私の想像通りに、美少年は酷く焦った声で私をとがめた。

 全く持って面倒なことだ。そもそもの話、彼をここまで痛めつけていたのは目の前の少年であるというのに、他人が傷つけようとすればそれを咎め、話をしようとすれば一切口を開かない。

 私としては、足元の少年に危害を加えるつもりなどない。ただ、目の前の美少年と話をしたいだけだ。その状況で彼が口を開かない以上、こちらとしてはとれる手段が限られている。

 その手段が偶々無抵抗かつ、無力な人間を痛めつけるという事だっただけだ。やめろも何も、彼が私と話せば何も問題は生じない。

 そう言う事をとうとうと語っても尚、彼は私と話す気はなさそうで、全身をわななかせながら黙り込むことしかしなかった。脅しにと地面に横たわる少年を蹴り飛ばすそぶりを見せればやはり制止はするのだが、だからと言って私と話をしようとはせず、結局のところいたちごっこの状況の変化はなかった。

 さすがにこのやり取りに対してむかっ腹が立ち始めたので、私は思わずいらいらとした口調で、はっきりとしないやつだな。見た目にたがわず女の腐った様な性根をしているのか。と、地面に唾を吐きながら声を張り上げた。

 すると、どうやらその言葉は目の前の美少年にとっては酷く気に障る言葉だったらしい。

「僕は女じゃない!」

 そう一声大きく叫ぶと、瞳に宿った憎しみの炎をますます強く燃やして、私の顔を睨みつけた。

 漸くの事でまともな口をきき始めた美少年に、私はやっと面白くなったと思い、思わずくつくつと笑いながら、女ではないのなら一体何なのだ?と訊いた。

 続けて、君が一体男であろうが女であろうが私にとってはどちらでもよいが、自分にとって都合の悪いことには未練がましく振舞って、自分にとって都合の良いように人を動かそうとするなど、いくら何でも我儘が過ぎる。その有様をして、女の腐ったようなと言って何が悪い。

 それとも男の腐ったようなと言ってほしいのか?だとしたらもう少し悪びれたらどうだ?つまらない言い訳とこびへつらった無様な言葉でも吐いて、その場で縮こまっていろ。それすらもできないようなクズのくせに、男だの女だのに噛みつくなどとは片腹痛いのにもほどがある。

 それとも何か?君の顔についているその口は飯を食う時に開くだけの、クソを作り出すための器官なのか?クソを作ることにしか使わないのなら、何があろうとも開けることをするな。その程度の線引き位はしろ。やることなすことに口を出すなと思うのならば、やることなすことに口を出すなくらいは言って見たらどうだ?

 私としてはそこまで言うつもりは無かったのだが、気づいたときにはこれほどの暴言を目の前の美少年に投げつけていた。

 自分よりも一回りは下であろう子供を相手に随分な言いようだと我ながら思ったが、どうやら目の前のクソガキに対して、思っていたよりも鬱憤が貯まっていたらしい。

 自分でも驚くほど一気呵成にまくしたてると、目の前の美少年はもはや憎しみと言うよりも殺意の炎を燃やして私を睨みつけると、両の拳を再び固く握りしめて私に殴り掛かろうと振りかぶりかけた。

 そうして、その美少年が私に対して殴りかかったその時だ。

 不意に、今まで殴られて倒されていた少年が如何にもよろよろとした状態で立ち上がった。

 こうしてみるとまた、随分と酷い状況であった。

 顔の下半分は唇から切れた血と鼻血で真っ赤に染まり、わずかに見える口内はこの夕刻の中でも分かるくらいに真っ赤だ。

 右目は腫れあがり、半分彼の視界を覆い隠しているだろう。

 殴っていた美少年よりは頭半分ほどその背は高いのだろうが、殴られすぎてもはや体の芯が定まっていないのだろう。

 大きくよろめくその姿は、見た目以上にも背が高いようにも低いようにも見える。

「やめとけ、操生(みさお)……それ以上、そのおっさんに構うな……。殴りたきゃ、俺にしとけ」

 ここまで殴られても尚、自分を殴るようにその少年が言った。

 すると、その美少年はいかにも申し訳のなさそうな顔で殴られていた少年から目を背けると、そのまま後ろを向いて走り去ってしまった。

 殴られていた方の少年は、そんな美少年の後姿を何も言うことなく、ただ眺めていた。

 そこには恨みがましさや怒りや憎しみと言った負の感情は感じられず、私は一体どういう関係なのだろうか?と、ますます気にかかった。

 奇妙で不可解な二人のやり取りを目の当たりにした私は、とりあえず残った方の殴られてボロボロになった少年から話を聞こうと近づいた。

 すると少年は、そんな私を胡乱な目つきで睨みつけると、そのまま足元をふらつかせながら私の元から離れ始めた。

 心配して声を掛けたというのに随分な態度をとる。そもそもの話、あれほどの暴力を受けた後だ。舐めて治せと言えるほどの状態の傷の様子でも無いだろう。見ず知らずの他人の手であれ、手を借りねば何ともならぬのではないのか?と、私がそう話しかけると、少年は、舌打ち交じりに答えた。

「言っとくけど、あんたが俺のことを足蹴にしたのも、蹴り飛ばそうとしたことも知ってんだからな。あと、アンタが俺の傷口に落とした煙草の灰、今もちょっと沁みてて痛てえんだけど?そこ謝るのが先じゃねえか?」

 そう言って私を睨みつける少年に、私はその場を何とかごまかせないかと少し考えて、結局どうあがいても無駄だと思ったので素直に謝った。

 少年は私のことを胡散臭げに眺めていたが、どうやら謝罪は受け入れる気が合ったようで、「わかったよ」と、軽く言いながら手を振った。

 その口ぶりや態度から、彼が私について心を開いていないことは理解していたが、それでも私はあふれ出る好奇心に抗いきれずに彼の後をついて行くことにした。

 事のついでに少しばかり私の調べものに協力してもらおうと思い、私は自己紹介がてらにこれまでのいきさつを語って聞かせた。

 その際、私の名前を知った彼は、ドロップの味がする石ころでも舐めたような奇妙な表情を浮かべると、私の名前に関する決まり決まった文句を口にした。

「妙っつーか、変な感じがするな。別にありふれた名前でもないのに、珍しいってわけでもない。覚えにくいって言うか、忘れやすい感じの名前だな」

 その反応に、私は思わず渋い表情をして見せた。私の名前については、私自身、多少劣等感を感じることがあったからだ。

 私自身としては、私の名前は、日本人であるのならば老若男女に通ずる素晴らしい名前であり、無条件に褒められても良いと思っているのだが、何故か、私の本名を聞いた人間はみな一様に同様の反応をする。

 それが私にとっては聊か(いささか)劣等感と言うか、釈然としない感情を覚えずにはいられない事実であり、つい口をへの字に曲げてしまう物事であった。

 まあ、この際私の名前に対する劣等感その他もろもろはどうでもいい。

 重要なことは、いま私と出会った少年たち二人の関係性だ。

 とにかく、この二人の関係性がどのようなものであるのか。ただその一点に対する興味・関心を満たしたく、私は彼を殴っていた美少年にもしたものと同様の質問を彼に浴びせかけた。

 しかし。

「……あんたには関係ねえ。ただ、俺が操生に殴られているだけで、全部が丸く収まるんだ。……それだけの話だ。どうでもいいだろ?」

 私の質問はその少年ににべもなく返されるだけで、筋の通った返答さえもらうことはできなかった。

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