第5話
川べりで、二人の人影が取っ組み合いのけんかをしていた。
いや、それは正確な表現ではない。
それは、一方の人影が一方の人影に徹底的な暴力を加えている現場であった。
暴力を加えているのは、制服から察するに、中学校の生徒であろうか。あるいは、高等学校の学生であろうか。
どちらにせよ、その制服を着た生徒Aは、人影に対して馬乗りになっており、一心不乱に自分の下にいる人影に向かって拳を叩きこみ続けていた。
一方の馬乗りにされている人影の方はと言うと、気絶しているのか何なのか、一切の抵抗をすることなく、ただされるがままに殴られ続けており、下手をすればそのまま死んでいるのではないか?と。疑いたくなるほど、身動ぎもしていなかった。
ここはいい大人であるならば止めるべきなのだろうが、私は目の前で繰り広げられている二人の人影の殴り合いに興味をそそられて、新たに煙草を口にしてその様子を観察することにした。
理由としては、一つには、殴っている方の人影が、見ていて危うさを感じるほどにふらついてたことだ。
距離があり、夕暮れの濃い影の中であっても分かるほどに身体の芯がぶれている様は、殴られている方の容態よりも遥かに危険視してしまうほどであった。
何よりも、余りにもふらついてしまっているので、下手に止めに入れば逆にその人影の方が死んでしまうのではないか?と、そう言う思いすら抱くほどであった。
理由のもう一つとしては、そちらの方が面白そうであったからだ。
単なる喧嘩ならば、この年頃にはよくあることと笑いながらその場を離れられるが、あそこまでむき出しの殺意や悪意をぶつけるほど相手を殴りつけるというのは、人生においても早々あることではない。
事の仔細や切っ掛けはわからないが、ここまで人に対して憎しみをぶつけるような現場に遭遇して、下手に横やりを入れて中止させたくなかった。
あわよくば、このまま殺人の現場に遭遇してみるのも良い。
そうだな。もしもこのまま殺人犯を見逃すことになれば、ちょっとしたサスペンスやミステリーのネタに位はなるだろう。
そうなれば、特撮とは直接的には関係ないが、俵の藤太のネタの代わりには十分なる。
そんな思いの中で私は、ただじっとりと、二人の人影の様子を眺めていた。
夕暮れの川べりで、馬乗りの殴り合いになっている中高生と思しき人影に私が出くわしてから、しばらくしてのことだ。
馬乗りになっている方の人影は随分とふらつき、ついには尻もちを搗くように地面に倒れこんでしまった。
これこそ好機とみなした私は、新しい煙草を口に咥えて火をつけながら、しりもちをついた方の人影へと近づいた。
あれほどの激しい暴力を振るう人間だ。どうせろくでもない顔つきをしたチンピラに違いない。
そう思いながら近づいたものの、意外にも、殴り掛かっていた方の人影は、紅顔の美少年そのものであった。
それもただの美少年ではない。絶世の美少年だ。
後ろ髪を刈り上げ、耳元で切りそろえていた髪型から辛うじて男性だと理解できたが、そうでなければ恐らく女性としか思えなかっただろうし、女性としてみた場合でも女性にすらモテるだろうと確信できた。
線の細い体つきに、真綿のような柔らかさを感じさせる白い肌。
濡れたように輝く切れ長の瞳と長いまつげ。それに、すっと通った鼻梁と赤く染まった唇と血色の良い頬。
短く切りそろえた髪も艶のある光沢を帯びており、それはさながら黒く染められた絹糸を思わせた。
いっそ作り物めいた人形のようなその美貌は、東京で多少なりとも美形とされる俳優や女優と仕事をした私ですらも今までに出会ったことの無いもので、思わず感嘆のため息を吐いてしまう。
そんな中性的にして絶世の美貌が、夕日に照らされながら息を荒げているという構図は実に絵になるもので、この光景を銀幕に映しこむだけで幾らかの客入りを見込めるのではないか。とすら私には思われた。
もっとも、残念ながら、未だに映画はモノクロでの制作が主流であり、現在の日本映画界ではこの映像を作り出すことができない。その点が残念至極な点である。
これほどの美貌、何なら、ここで映画に出てみないか?と、誘ってみるのも映画人としての私の一つの仕事であったのかもしれない。
ただし、私の目の前で人を殴っていたという事実が無ければ。の話であるが。
映画を作る者の常として、私自身世間一般の人間とはいささか倫理観や道徳観に関してずれがあることは自覚している。
しかし、だからこそ目の前で繰り広げられていた一方的な暴行劇に対して、何も言わないでいることはできなかった。
だから、いったい何があったのか。という事を目の前の美少年に聞きながら尻餅をついた彼に手を指し伸ばしたのだが、彼は私の手を握ることなく、ただ殺意の籠った燃えるような瞳で私を睨みつけるばかりであった。
それからも少しばかり質問を重ねたが、彼は振るわせている唇を真一文字に結ぶばかりで、何一つ質問に答えようとしない。
実に困った状態であったが、同時に少しばかりの悪戯(いたずら)心(こころ)と、より増した好奇心が彼への追求を強めていた。
だがそれが逆に彼の私に対する反発心を強めたのだろう。彼はただ、殺意を強く燃やして私を睨みつけることしかしなかった。
何となく、八方ふさがりとなってしまった現状を感じた私は、とりあえず何かしらの隙を見せようと、わざと美少年の彼から目を離して、馬乗りにされて暴行を受けていた方の人物を見た。
馬乗りされていた人影もやはり制服に身を包んだ少年であり、彼は顔中を殴られ続けて真っ赤に腫れあがらせて、全身から力を抜いて大の字に仰向けになっていた。
棟が上下に動いているので、生きて呼吸はしているようだったが、確認のために吸ってた煙草の灰を軽く傷口に落としてみると軽く呻いたので、本当に一命はあるようだった。
更に念のために本当に死んでいないか確認しようと靴のつま先で軽くその少年をつつくと、不意に美少年の方から、「やめろ」と、鋭い声が飛んだ。
振り向くと、そこにはいつの間にか立ち上がっていた美少年が私を非難するように睨みつけていた。
とても奇妙なことである。馬乗りになってまで暴行を加えるという激しい敵意を見せておきながら、いざ別の人間が少しばかり足蹴にすると、とたんに強い拒否反応を覚えるとは。
一体、彼ら二人はどういう関係性なのであろうか。あるいは単に、目の前の美少年は自分のことは棚に上げて、他人の悪事に対しては目くじらを立てるような身勝手な人間であるのだろうか?
いずれにせよ、私はますます目の前の美少年に対して興味をそそられてしまい、不躾であるとは理解していながらも、矢継ぎ早に質問を重ねた。
しかし、その途端に美少年は再び口を閉ざして私を睨みつけるしかしなくなり、再び状況が元に戻ってしまった。
一向に話の進まない状況に辟易した私は、ふと思いつき足元に転がる少年に視線を落とした。
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