第4話




 さて、十五年ぶりに母方の祖母の実家を目指して来た私であったが、蝉しぐれの響き渡る町の中で着いて早々に頭を抱えることになった。

 別段ここまで来てもったいぶるような理由などない。単に祖母の家が見つからなかったのだ。

 私は、微かな記憶を辿って十五年ぶりに町を散策して一日を潰した末に、結局、適当な場所で見つけたバス停に据えられていたベンチに座って煙草を燻らせることしかできず、煙草の煙を吐きながら、これからどうしたものか。と、赤とんぼが飛び始めた空に思わず独り言ちた。

 母方の実家や親戚はおろか、今日泊まる場所すらも見つけることができずに、黒と茜色に染まる夕刻の中で煙草を片手に途方に暮れるしかないというのは、なかなかに心に来るものがある。

 敢えて言うのならば、中学校を卒業したその日に寝小便をかました時の様な絶望感……。とでも言おうか。

 とは言え、このような状況になったのもさもありなん。先の大戦から既に十年の月日が経っている。

 十年と言うのは、ただそれだけで町の様子を変えるのには十分すぎるほどの時間だ。

 ましてや、この十年の間に起きたのは、空前絶後の、それこそ人類史上においても未曾有の殺戮劇が繰り広げられた世界規模の大戦である。

 あの大戦において、焼け野原にならなかった町は一体どれだけあっただろう。

 この町もその例にもれず、一度は空襲に遭って更地へと変えられている。そこから立ち直ったともなれば、ともすれば、十五年前の記憶などない方が迷う事もなかったのではないかと思うほど、町の様子が大きく変わってしまうのも道理だろう。

 まあ、町の様子の変貌ぶりについてはこの際致し方あるまい。

 だが、最大の問題は別にある。

 そもそも、私の母方の親戚を知る者がほとんどいないことだ。

 それもまた、さもありなん。

 十年と言う月日の中で戦後からの復興も大分進んだと言うものの、だからと言って時間が解決できる問題ばかりではない。

 十年前に収束したあの大戦において、私は終戦時に十七歳であった。

 当時の規定に沿えば、学徒動員に駆り出される年齢であり、実際に私自身も軍需工場で拳銃やら飛行機やらを作らされた。運が良かったのは、私が駆り出されたのはあくまでも軍需物資の生産の現場であったことである。

 私と同学年の人間の中には、実際に戦地に駆り出された者もおり、もしも終戦が一か月遅れていたら、私も戦場での殺し合いに参加していたことだろう。

 だが、全ての人間が私のように幸運であったかと言えば、そうである筈がない。

 不幸にも実際に海の向こうへと送られることになり、未だに帰って来ない人間の数のなんと多いことか。

 海の向こうの兵隊たちを運ぶ復員船が任務を終えたと判断されてからもう八年が経つが、それでも未だに帰ってこない夫や息子の存命を信じて海の向こうに行った家族を探してくるよう訴えかける者が途切れないことが、この不幸の大きさを端的に物語っているようでもある。

 実際に、ふとしたきっかけで終戦を知り、戦地からやっとのことで帰ることができたという人間の話もちらほらと聞くので、彼ら残された家族とやらの訴えも論拠の無いことではない。

 逆に、戦地を必死の思いで生き抜いたというのに、帰ってみれば迎えてくれるはずの家族の方が先に向こうに逝っていたというのも珍しい話ではない。

 遠く離れた家族が結局のところ皆殺しになっていることも多いことだろう。

 そして、私の親戚もまた、その不幸な人間の一人であったというわけだ。

 何が不幸かと言えば、彼の人たちの生死がはっきりしないことだ。

 そしてその不幸こそが、私の現在の苦労につながっているのだ。

 仮にそこまででなくとも、生き延びた以上、燃えた家を再建するよりも、少しでも生きやすい場所を求めて居を移すという選択肢を取る人だって少なくはあるまい。彼ら滋賀の親戚たちが、そう言う現実重視の生き方をしたという可能性だって大いに考えられる。

 ましてや私や私の家族がこの土地に寄り付かなくなったのは、先の大戦以前のことだ。

 十五年と言う年月は、人はおろか家一つ分の痕跡を消すのにも十分であったという事だろう。

 それでも私の母方の実家はそれなりに立派であった記憶があったので、いざ探してみればここまで手掛かりがないものか。と、いささか肩をすくめる思いではあった。

 ともあれ。こうしてベンチに座って時間を潰し続けるわけにもいかず、私は吸いかけの煙草を地面に落として踏みにじると、その場を立ってバス停のベンチを後にした。

 この状況の中で幸いにもと言うべきか、この状況の中のさらなる不幸はと言うべきか、今の私には会社側から支給された雀の涙ほどの金がある。それでどうにか、今日は寝るところをどうにかしなければならない。

 そう思いながら、私はバス停の近くに流れていた川を沿うようにしてこの街の駅に向かって歩き出した。

 この時間帯であれば、まだ終電までは時間がある。いっその事、滋賀を出て隣の京都に行けば急の宿でも一つか二つは見つかるだろう。何ならば、一度京都のあたりで親戚を探すなりなんなりして、だめならば適当に元の目的である藤太の伝説の異説を少しだけ探して変えれば良い。

 いっその事、取材を名目にして京都で遊んでしまおうか。と、少々の悪事を考えながら駅を目指していた時に、私はその現場に出くわした。

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