第閑話
幕間 「俵藤太のムカデ退治(仮)」が企画として通った、って言う話。
七月某日。
社長肝いりの目玉企画である特撮映画の大ネタが決まった映画会社では、その旨の報告の為に、特撮映画の班長に任命された一人の男が上がっていた。
男の名前は、大橋・多喜司。彼は、先の話し合いの末に決まった特撮映画の話の骨子を社長に伝えるべく、自社で撮影された様々な映画のポスターが張りつけられた廊下を、高らかな靴音を鳴らして歩いていた。
折よくも、多喜司が社長室の前に辿り着くのとほぼ同時に、社長室の扉が開いて、中から背広に帽子を被った姿の社長の岩淵・充が手に革製の鞄を携え、如何にもこれから外出するという風情で現れた。
恐らくは銀行にでも行くのだろうと当たりを着け、内心、企画の話ができないことにため息をつきながらも、多喜司は社長に頭を下げて、声をかけた。
「社長、どこかおいでになるので?」
「ああ、大橋か。話なら後にしてくれ。これから銀行に融資の相談なんだ。それよりもお前、風呂入っているのか?匂うぞ?」
企画会議の連続で、くたびれた姿をした多喜司を一瞥するなりそう言う社長に、多喜司は誰のせいでそうなっているのだ。と、内心で悪態をつきながらも、顔にはへらへらとした苦笑いを浮かべながら件の話を切り出した。
「分かりました。とりあえず、ある程度話は決まりましたので、その報告だけ。俵の藤太のムカデ退治の話で行こうかと」
「ムカデ退治だあ?そんな話がゴジラに勝てるわけないだろう!もっとド派手で斬新で、聞いているだけで腰を抜かすようなそんな話を考えろ!」
半ば予想はしていたことであったが、多喜司のアイディアを聞くなりそう怒鳴りつける社長に、多喜司は既に現場取材に班員を送り込んでいることを理由に、企画案を通そうと話を続けた。
すると、岩淵はいらだたし気に腕時計を覗き込むと、忌々し気に舌打ちを一つ鳴らして、分かった。と大声を上げた。
「お前の言う案で映画を作る。とにかく傑作特撮映画を完成させろ。良いか、ただの傑作じゃない大傑作だぞ!それで?その取材に行った奴は一体なんて名前だ?」
その言葉に、多喜司は内心で胸をなでおろしつつ、岩淵の質問に答えて、取材に行った男の名前を告げた。
すると、岩淵は怪訝そうに小首をかしげた。
「誰だそいつ?何時からお前、新しい人間を制作班に入れたんだ?」
予想外の答えに、思わず多喜司は苦笑すると、数か月前のお達しと共に集められた班員の顔を思い出しながら言う。
「え?何言っているんです?元々、社長が俺の班に入れたんでしょう?傑作映画を作るから、社長がこれと見込んだ連中を社内から集めて、極秘計画だっつって。だから、社長がアイツのことを知らないはずないでしょう?」
多喜司の言う通り、特撮映画の企画は社長肝いりの一大企画として、その制作が進められている。その為、製作人員の選定に関しては、岩淵が自ら選び抜き、製作に関わる一切に関しても、極秘事業として製作班以外の社員に知らされることは無かった。
だからこそ、その制作班に加わっている社員の名前を岩淵が知らないはずがない。
故にこそ、多喜司は岩淵に滋賀に向かった男について力説するが、岩淵から返ってくる言葉はにべもなかった。
「何度も言うがそんな名前の奴なぞ知らん。こんな社運を賭けた大計画に、俺が知らない奴を入れるかよ。お前の言う滋賀に向かった男、本当に存在しているのか?」
それは半ば皮肉な冗談めいた口調の言葉だったが、そのことを聞いた途端、多喜司は思わず背筋に冷たい水銀を流し込まれたような悪寒を感じた。
確かに滋賀に向かった男のことを思い出そうとしてみても、思い出せるのはその男の言動くらいなもので、顔も、背丈も、年齢も思い出せず、そもそも制作班に加わるまでの経緯すらも脳裏に思い描くことができなかった。
思わず口を押えてぞっとした多喜司だったが、岩淵はそんな多喜司の内心を気遣う様子もなく、からかうような口調で言った。
「なんだ?いっそお前の言う話の方が面白そうじゃないか。いっその事、この話を映画にするってのはどうだ。会社に潜む謎の男、その正体は鬼か狸か幽霊か?ってか。ま、このネタじゃあゴジラに勝てるのは無理か。とにかく、さっさと仕事に戻れ。とりあえず、そのムカデ退治のネタを固めてもってこい!俺が銀行から返ってくるまでに面白い話を作れなかったら、どうなるか覚悟しておけよ」
何も言えずに顔色を青くした多喜司にそう言うと、岩淵は多喜司を残してさっさとその場を立ち去った。
しばらくの間、多喜司もその場で青い顔をして呆然と立ち尽くしていたが、不意に後ろから新入社員に声をかけられたことで我に返り、仕事場に戻った。
窓越しから聞こえてくる蝉の声が、やけに耳に残った。
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