第1話
昭和三十年七月八日金曜日。
私はこの日、母方の実家のある滋賀県のN町にやって来た。
町を少し歩けば琵琶湖に行き着くこの土地に来るのは、十三歳の夏休みに祖母の葬式に出て以来であるから、実に十五年ぶりのことであった。
当時の記憶はほとんどないが、腐り始めた死体の匂いがわずかに漂う中で、如何にも辛気臭い顔をした参列者連中が、抹香臭い葬式会場で機械のように同じ手順で同じ言葉を口にするのを、あくびをかみ殺すほどの退屈さで眺めていたのを辛うじて覚えている。
とは言え、私の姿を見て、わざわざ田舎の帰省に来たと考える者はそうはいないだろう。
皺のよったスラックスと背広の下には、よれよれのカッターシャツと緩く首もとに巻かれたネクタイ。そして、薄汚れた革靴。
どこからどう見ても中年間際のくたびれたサラリーマンであり、これから久し振りに親類縁者に会いに行く帰省者の格好ではないのだから。
人によっては、良い年した男が昼間っから情けない姿をするんじゃない。と、怒るだろうか?
あるいはもっと端的に、仕事はどうした?と訊かれるだろうか?
実際、東京の映画会社に勤める一介のサラリーマンである私にとって、休日でもなく、ましてや夏休み前の書き入れ時の一番忙しい時期であるにもかかわらず、田舎へ帰省を行える道理などあるはずもない。
であるのに、何故に私が先祖代々の土地への来訪が認められたかと言えば、これを語るには半年ほど前の出来事を語らねば成らない。
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