桜橘の血刀
嶺上 三元
志賀辺の悪夢
序文 あの夏を思う、ゆえに我あり。
良きにしろ悪しきにしろ、夏になると思い出す。
新月の中の月明かりに照らされて、祭囃子を聞き続けたあの夜を。
矛盾した、現実離れした、しかし確実に存在した、あの奇妙な浮遊感の漂う田舎の夏の日々は、間違いなく私の人生において最大の悪夢だった。
そう、悪夢。それも、質の悪い、夏の夜の悪夢だ。
だが、悪夢とは無常なもので、冷静に振り返ってみれば、忘れるはずもない恐ろしい出来事であったとしても、いずれは忘れてしまう。
それをある人は、自然な事だと言うだろう。人の心の持つ防御本能が、忘却機能を働かせて心を護っているのだと。
あるいはそれは、正しいのかもしれない。
確かに私にとってあの夏の日々は、恐怖と苦痛に満ちた記憶であるからして、あれを無意識の領域が記憶の狭間に葬り去ろうとしているのだとして、それは非常に納得のいく説明だ。
だが私は、いくら真実じみた、科学的に裏付けのある非常に現実的な説だとしても、それでもその説を支持することはできない。
何故なら、あの時確かに私は囚われていたからだ。悪夢の持つ呪縛に。
いや、私だけではない。あの町のあの土地こそが、呪われ、縛られていたのだろう。
忌まわしき、血の悪夢に。
血筋と伝承から来る迷信が、集団幻覚として私たちにありもしないものを見せたのだとしても、それでも私はあの悪夢の実在を疑わない。
だからこそ私は、思い出す。あの夏の悪夢を。そうしなくては、忘れてしまうからだ。
そうしていずれは、悪夢を忘れてしまったことすらも忘れてしまうだろう。
あるいはそれは、忘れてしまった方がよい記憶なのかもしれない。だがそれでも、私はあの悪夢を忘れたくはないのだ。
それが例え、空しいばかりのささやかな抵抗だとしても。
自分は忘れなかったぞ、と。悪夢を決して忘れなかったぞ、だから決して、自分は弱くはないのだ、と、ほかならぬ自分自身に言い聞かせる為に。
それは単に、あの当時の悪夢に翻弄された自分に対する、ある種の慰めでしかないのだろう。
あるいはそのことを指して、私のことを惨めだと笑うだろうか。あるいは、愚かだと思うだろうか。事実、そうなのかもしれない。
だが、そうだとしても私はあの悪夢を忘れたくない。
あの男の存在を、忘れ去らない為に。
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