真央編

真央編 第1話 異端

 昨晩、僕はパンドラにあん玉を買ってあげるため、バイトを始めようと男らしく一念発起した。数あるバイトの中から、僕が選んだのは、「家庭教師」である。


 パンドラからは、真顔で心配されたけど。


「大丈夫?玄関で生徒のお母さんに変な言葉遣いをして、不審者に思われたり、生徒を前にして、何にもしゃべれなくなったりするんじゃない?」

「おい。博多弁キャラ、忘れてるぞ」

「あっ!」

「キャラ忘れるくらい本気で心配すんな!」

「でも空君、人見知りやし」

「大丈夫だよ。任せとけ。金が入ったら、あん玉、お腹いっぱい食わせてやるからな」

「なんか、都会に出稼ぎにいく、昭和の青年みたい」


 パンドラの言う通り、僕は人見知りである。しかしながら、物理の話をしている時に関しては、そうではない。「物理学への誘い」という講義で、僕は100人前後の人前で、物理学について演説をぶったのだ。その出来が良かったか悪かったは別にしても、それだけの人間の前で論理的な話をできた人間が、そういう実戦経験を持つ成人が、たかだかとある一家のお子さんと親御さんに、びびるはずがないではないか。


 家庭教師は、自分が好きな物理の話をして、お金がもらえる夢のようなバイトに思えた。だから、僕は迷わず家庭教師を選んだ。塾講師も目に付いたが、試験のための物理を教えることに注力しなければならない。家庭教師であれば、生徒の理解度に応じて、形式ばらず、臨機応変に対応できる。その方が、楽しそうだ。


 昨晩、早速Webでバイトの申し込みをしたその翌朝の10時頃、僕が透子とコーヒータイムに洒落こんでいた時、家庭教師派遣会社「サムズアップ」の担当者から、早速電話がかかってきた。


「もしもし。藤宮で」

「「サムズアップ」の家庭教師の求人にご応募いただきまして、誠にありがとうございまーす!つきまして、藤宮様に、今だけのビッグチャーンスがあるんでーす!」


 相手は男で、どこかの社長を思わせるような、テンション高め声高めの早口で、喋り立ててくる。


「な、なんですか?いきな」

「実は、今だけ、とあるもんだ……じゃなくて、頭がイっちゃってる……じゃなくて、個性が強すぎて、大変教え害……甲斐のある生徒がいましてね、その生徒を受け持っていただるなら、あなたを即日採用させていただきまーす!」

「今、問題児って言いかけてなかった?しかも、それをフォローしようとしたにも関わらず、より直接的な表現を使いかけてなかった?」


「そんなわけないじゃないですか!心配しなくて大丈夫でーす!問題児なんかじゃ、ありませんって!生意気で手のかかる女子高生なんかじゃ、ありませんって!」

「生意気で手のかかる、問題児の女子高生なんじゃねえか!あんた、本当に「サムズアップ」の人なのか!?」

「もちろんでーす!ご安心くださーい!私、「サムズアップ」の採用担当の種田と申しまーす!以後、お見知りおきを!」

「た、種田さん、すみませんけど、僕、家庭教師やるの初めてなんです。最初からそういう生徒を受け持つのは、ちょっと自信が」

「そっかあ……残念だなあ。受けてくれたら、時給5千円でお願いしようと思ってたのになあ」

「ご、5千円!?」


 前日に調べた限りでは、大学生の家庭教師の時給は、2000円程度だった。それを……5千?


「未経験の方には、普通は提示できない額なんですがねえ……残念だなあ」

「くうう……すみません……やっぱ、やります!やらせてください!」

「本当ですか!?誠にありがとうございまーす!では、よろしくお願いしますね!藤川さん!」

「藤宮です!」

「ちなみに、いつから入れますか?」

「今日からでも、大丈夫ですよ」

「承知しました!では、こちらで手配しておきますね!藤谷さん!」

「藤宮です!」


 というようなやりとりを経て、僕は早々に家庭教師として採用されたのだった。もちろん不安はあったけれど、この時給なら、すぐにでもパンドラにあん玉を沢山買ってあげることができる。僕の性格上、目的に対する最大効率の手段を選ばずにいられなかったのだ。



 そして、8月18日。午後3時30分。郊外の住宅街にある、とある一戸建て住宅。僕はその家の前に立っていた。玄関のチャイム音を鳴らす。


「ごめんくださーい!」


 ほどなくして、玄関の扉が開いた。


「どちら様ですか?」


 黒髪セミロングの中年女性が現れる。体型は瘦せ型で、化粧は薄い。おそらく、生徒の母親だろう。


「あっ、家庭教師の方ですね。お待ちしてました」

「は、初めまして!ふ、ふち……ふぢむ……ふじみや、そらと申します!よ、よろしくお願いします!」


 忘れてた……自己紹介とかは、物理の話でも何でもない。僕のポテンシャルが、もろに出てしまう。


「は、はあ。藤宮さんですね。私、諏訪典子と申します。担当していただく生徒の母親です。さあ、どうぞ」


 典子さんが、部屋の奥へと手招きする。


「失礼します」


 洋風の家。新築だろうか?フローリングや壁が、とてもきれいだ。特別豪華な装飾があるわけではないけれど、間取りが広々としており、手入れが行き届いているらしく、家の中が清潔感に溢れている。


 僕はリビングに通され、アイスコーヒーとケーキをご馳走になった。


「よろしくお願いしますね。これまで、3人ほど家庭教師の先生に来ていただいたんですけど、全員やめてしまって。ウチの娘が問題児なばかりに」


 やっぱり問題児なんじゃねえか。


「娘さんは、今、どちらに?」

「二階です。自分の部屋にいると思います」


 上の階から、ドスンドスンという音が聞こえる。


「こ、この音は?」

「あの子ったら、また……」


 典子さんは、急いでリビングを出ていった。僕も後を追う。


 二階に上がって、一番手前にある部屋の扉の前。「真央の部屋」と書かれた表札が下がっている。


 典子さんが扉を開けようとするも、開かない。


「あの子、また鍵なんかかけて……ちょっと、家庭教師さん、この扉、突き破って下さる?」

「はあ?そ、そういうのは、家庭教師の業務内容に含まれていないと思うんですが」

「最初は皆さん、そう言うんですよね。どうしてでしょう?自分の契約内容くらい、ちゃんとチェックしておいてくれないと困るのですが」

「契約内容?」


 母親が、「契約書」を僕に差し出す。


「サムズアップさんと結んだ契約です。第3項」

「サムズアップから派遣された家庭教師は、生徒の保護者の指示に必ず従う」

「だから、お願いしますね」


 典子さんが、にこやかに微笑む。僕は苦笑いで返す。


 僕は、どうやら奴隷契約を結んでいたらしい。ひょっとして、とんでもないバイトを請け負ってしまったのだろうか。


 否、そんなことは、あの電話の時点でわかっていたことだ。ここでたじろいでるようではダメだ。こうしたリスクも承知で、僕はを選んだんじゃないか。


「さあ、早く」

「わ、わかりました」


 さながら、刑事ドラマのように、僕は扉に向かって突進する。しかし、扉は突き破れない。


 やはり、刑事ドラマでもない限り、「扉」というのはそう簡単には破れないようだ。まあ、こんなんで破れるようなら、泥棒も苦労しないよな。


「もう、何やってるんですか!?ちゃんとやってください!」

「無茶言わないでくださいよ!僕は寺〇康文じゃないんですから!」

「寺〇なんかを見本にしてるの?だからダメなのよ!柴田〇兵の感じで行かないと!」

「そういう問題じゃないと思うんですが!?あなたがあぶデカ派なだけでしょ!?」


 僕は立ち上がり、もう一度突進した。しかし、扉はやはり突き破れない。


「お母さん、娘さんは今、部屋の中で何をやってるんですか?」

「トレーニングしてるんじゃないかしら」

「トレーニング?」

「娘は、体操をやってましてね。受験も間近に迫ってるっていうのに、「私は世界一の体操選手になるんだから、勉強なんてしてる暇ない!」なんて言われて、困ってるんですよ。たかだか地方大会で一位になったくらいで」

「えっ!?十分、凄いじゃないですか!だったら、そっちの道を応援してやってもいいんじゃ」


 典子さんは笑い出した。


「ご冗談を。体操なんかで、生計を立てられるわけないでしょ?ちゃんと勉強して、いい大学に行って、給料のいい会社に入社する。それが人間の真っ当な生き方でしょ?それを応援するのが、真っ当な親の役目です」


 この家庭の状況が、少しわかってきた。それを知ったところで、僕にできることがあるかはわからないけれど、僕は無性に「自分の生徒」に会いたくなっていた。


 力になりたいとかではない。僕自身が、ある種で「異端」だからこそ、少なくともこの母親にとって「異端」の娘である、扉の向こうの女子高生に、興味をそそられたのだ。


 僕は再度立ち上がり、扉に向かって、渾身の勢いで突進した。


「おりゃああ!!」


 その瞬間、部屋の扉が開いた。扉が……僕に向かって突進してきたのだ!


 ……僕はカウンターパンチならぬ、カウンタードアをもろに喰らい、その場に倒れた。


 部屋から、誰かが出てくる。


「トイレトイレ!!!ん?誰?この今にも死にそうな人」

「また……トイレオチかよ」


 これが、僕と諏訪真央との出会いだった。

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綴物語 belle @fourier

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