透子編 第9話 「普通」の学校

 稜宮高校での出来事について、私は今まで、ほとんど誰にも話したことがない。正直に言えば、ものすごく気分が重い。シンプルにストレスフルだ。それでも、今、話し続けることができるのは、やはり藤宮君の人柄のおかげだろうか。藤宮君なら、どんな話でも受け入れてくれる。そう思えるのだ。


「私、高校に入ってすぐ、交通事故に遭ったの」

「えっ!?」

「4月、高校生になって初めての登校日……学校に行く途中、私に向かって車が突っ込んできて……」

「大丈夫だったのか!?」

「幸い、命に関わるほどじゃなくて、足の骨が折れるくらいで済んだ。7月に入る頃には全治して、学校に行く事ができた。でも、3ヶ月学校を休んだことは、やっぱり大きくて。学校に行かない内に、クラス内のグループっていうのかな?そういうのは完成されちゃってて……中学の頃の友達もそのクラスにいなかったから……私、孤立しちゃったんだ」


「入学早々に出遅れると、キツいよな」

「しかも、そんな3ヶ月も学校休んでたぼっちが、いきなり期末テストで1位取っちゃうんだから。もう、最悪だよね」

「いやいや、さすがじゃん!何が最悪なんだよ」

「適当なこと、言わないで!」

「……川澄さん?」


「藤宮君だって、わかるでしょ!?学校でそんな目立ち方しちゃ、ダメだって!みんなから疎まれたり、反感や悪意を買うようなことをしたら、すぐに排除の対象になる!敵として認定される!それが、学校という名の牢獄じゃない!」

「ご、ごめん……そんなつもりじゃ」


 藤宮君が、申し訳なさそうに弱々しい声で謝る。その声で、はっと我に帰った。


 何を熱くなってるんだろう、私。駄目じゃないか。こんな突発的な感情に、振り回されては。


「ううん……こっちこそごめん。私もちょっと、感情的になっちゃった……」

「いや、悪かった。迂闊なこと言っちゃって。続き、話してくれないか?今度からは、ちゃんと気を付けるから」


 こういうことを、この人は何の嫌味もなく言えるのか。もう、自分が嫌になるよ。


「期末テストで1位を取っちゃった私は、周りから目をつけられることになった……そして、いじめの対象になったの」

「……辛かった?」

「うん……結構、度が過ぎることもされて……正直、かなり、猛烈に、辛かった……死にたい時も、あった」


「すまない。思い出させてしまって」

「藤宮君は、何も悪くないよ。話さなくちゃ、いけないことだから」

「無理はしなくていいから」

「ありがとう。でも、大丈夫」


 私は、ふうーっと一度、深呼吸をした後、未だ鮮明な記憶と感情を語り続ける。


「その後もいじめは続いて、2学期が始まった頃には、私、全校的に「公認のいじめられっ子」になっちゃったんだ。それで、「みんな」からいじめられた」

「何だよそれ……全校の公認!?おかしいだろ!そんなの!」

「そうだよね。おかしいよね。おかしいのは、わかってた……でも、間抜けでどん臭くて不器用で、人生下手くそな私には、どうすることもできなかった」

「川澄さん……」


「私、色んな人からいじめられた。物を隠されたり。落書きされたり。授業中、鉛筆で突っつかれたり。ただ、そんなのはまだ可愛い方。あの女子生徒3人組からのいじめに比べれば……」

「3人組?」

「うん。彼女達のいじめは、特にしんどくて……私の指を切ろうとしたり、水の入ったバケツに私の顔を突っ込んで溺れさせたり」

「は!?そんなの、まるで極道じゃねえか!」

「そう。極道なの」

「えっ?」

「その3人組の1人は稜宮高校の理事長の娘、もう1人はとある大企業の社長の一人娘、そしてもう1人は暴力団の組長の娘、正に極道だった」

「凄まじいトリオだな」

「その3人、飲酒や喫煙は当たり前のようにしてたし、無免許運転もしてた」


「普通に、法律違反じゃないか!」

「うん。でも、稜宮高校の生徒たちはおろか、先生も、彼女達を咎めようとはしなかったの」

「なんで?確かに、手が出しづらい立場の3人なのかもしれないけれど、それだけのことやってたら、いくらなんでも、普通は学校が動くだろ」

「「いくらなんでも」……「普通は」……そう思うよね。あの学校は、「普通」じゃなかったんだよ。普通の感覚を、どこかに忘れてた。絶望したなあ……当時の私は、まだ、この世には「正しいこと」があって、それを全うすることが、人間の幸せに繋がるんだって、信じてたから。ううん……信じたかったから。それを真っ向から否定されたみたいで、絶望した」

「川澄さん……」

「でもね、悲しいけれど、今は不思議と理解できる部分もあるんだ。稜宮高校のこと」

「えっ?」

「稜宮高校も実は、「普通」だったんだと思う。あの場所は、例外じゃない。特別じゃない。だって、「普通」じゃない場所なんて、いくらでもあるもの。「普通」の人間が生きていけない場所が、この世にはいくらでもある。それが、今ならわかる」


「ダメだ」

「えっ?」

「川澄さんの言う通り、現実は「普通」じゃないのかもしれない。でも、それを僕達が「普通」だと認識してしまったら、本当に、取り返しがつかなくなる。自ら認めたら、自分自身まで、見失ってしまう。そうなったら、本当に終わりだと思う」

「そうかもね……」


 藤宮君は、きっと正しい。私だって、本当はそう思っているから。でも、私は藤宮君のように、強い人間じゃない。そんな風に反発する力なんて……。


 でも、もしもこの「トレーン」を出ることができたら、私も少しは藤宮君に近づけているのだろうか?だとしたら、私は向き合わなければならない。真正面から、この忌まわしい記憶と。


「後でわかったことなんだけれど……最初の登校日に遭った交通事故……その時の車に乗ってたのは、その3人組だったんだ」

「はあ!?」

「私をはねた後、警察が来る前に逃げたみたい」

「ひき逃げ!?」

「そう。もう、わかるでしょ?その3人組が、私にとっての「最大の敵」なんだよ」


「そっか……ちなみに、その3人組、今はどうしてるんだ?」

「亡くなった。3人とも」

「えっ……?」

「1年生の3月頃だったかな……その3人が乗ってた車のブレーキ、走行中に故障したみたいで。赤信号で停車中のトラックに突っ込んで……3人とも、みんな、死んだ」


「そうか……まあ、自業自得ってやつかな」

「……あっ、学校、見えた」

「えっ?じゃあ、あれが?」

「私の母校……稜宮高校」


 私の運命が狂わせた、「普通」の学校。もう、二度と来たくなかった。


 2年生になったのを機に、私は別の高校に転校した。その高校も、おそらく「普通」だったのだろうけれど、その後の私は、目立たないように、ただひたすら、目立たないように過ごした。そしてなんとか無事、その高校では生き延びることができたのだった。


 この「トレーン」の「法則」も、元はと言えば、この高校での出来事が起因となっているに違いない。自分が誰にも見えないように、周りの敵にならないように、人知れず尽くし続ける。そういう生き方が、人生における戦略そのものが、この世界、私の「トレーン」を構成する大きな部分なのだろう。


 許せない……私はまだいい。でも、この「トレーン」のせいで、藤宮君にまで、迷惑をかけている。一番悪いのは私なのだろうけれど、やっぱり、諸悪の根源はにある。許せない。


「あれ?校門から、車が出てきた。外車っぽいな」


 稜宮高校の正門から、ライトハンドルの赤いスポーツカーが飛び出してきた。あれは……。


「川澄さん、もしかして」

「うん……あれだよ!私をはねた車!あの3人組も乗ってる!あれがきっと、「最大の敵」!」

「いきなりお出ましかよ!」


 3人組の乗ったスポーツカーは、猛然とこちらに向かってくる。


「突っ込んできた!」

「くそう!」


 私達が乗るバイクは、180度方向転換し、スポーツカーから逃げ始めた。


「さすが、はええな。あれ、ランボルギーニだっけ?」

「メーカーなんてどうでもいいよ!追いつかれちゃう!」

「心配すんなって!トップスピードはともかく、加速力に関しては、バイクの方が勝ってる!ちゃんと掴まってろよ!」

「う、うん!」


 エンジンがうなりを上げる。私達の乗ったバイクは、一気にトップスピードへと到達した。


「す、凄いスピード……これなら」


 スポーツカーとの距離は、瞬間的に開いた。だがやはり、自力は4輪の方が上なのか。次第に距離が詰まっていく。


「さすがにスピード勝負じゃ、分が悪いか……川澄さん!」

「何?」

「あいつら、殺してもいい?」

「えっ?」

「もしあいつらが「最大の敵」なら、僕達はあいつらを倒さなきゃならない。この場合の「倒す」っていうのは、おそらく、このカーレースで逃げ切ることじゃない。あいつらを「殺す」ことだ。それでもいいか?」


 人を殺してはいけない。それは当たり前のことだ。でも、そうしなければ、私達が死ぬ。仮に殺さずに逃げ切れたとしても、彼らを倒す、つまり……殺さなければ、私達はこの「トレーン」から抜け出すことができない。そうなれば、私と藤宮君は、いずれ死んでしまう。



 殺すべきだ。



 そもそも、あの3人組は、既にもう死んでいる。私の認識上の存在でしかない。人間じゃない。ただの幻影なのだ。躊躇する必要なんて……ないじゃないか!

 

 私は、生きたいのだ!


 現実世界に戻って、藤宮君ともっと話をしたい!


 もっと色んなことを学んで、経験したい!


 物理学を研究して、未だ誰も見たことのない景色を、見つけたい!


 いや、私のことより……藤宮君を、こんなところで死なせてしまっていいはずがない!


 私にとって大事なことは、世間的な道徳なんかじゃない!今、目の前にある背中と、その背中に追いつきたいと願う、私自身なんだ!


「殺そう……ぶっ殺そう!私達の明日のために!」

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