透子編 第10話 道標

 私達のバイクと3人組の外車は、市街地を走り抜けていく。バイクに関して素人の私から見ても、藤宮君の運転が並のレベルのものでないことはわかる。スピードを下げることなく、車線変更を繰り返し、方向転換を適宜行い、相手との距離をテクニックによって調整している。


「そろそろ決める!ちゃんと掴まってろよ!」

「わかった!」


 バイクは、赤信号で停車中のトラックへと突っ込んでいく。スポーツカーもそれに続く。


「おりゃあ!」


 バイクは、ガードレールとトラックの間を走り抜けた後、ドリフト走行で急激に方向転換して停車した。対してスポーツカーは、トラックの背面に衝突して、完全にクラッシュした。


「藤宮君……凄い。プロのレーサーみたい」

「は、ははは……まあ、バイクに関してはちょっとな。それより、あいつら」

「見に行こう」


 私達はバイクを降りて、クラッシュしたスポーツカーのところへと向かった。よ前部座席、後部座席共に、血で塗れており、人間の姿形は残っていなかった。


「やった……のか?」

「うん!私たちの勝ちだよ!ありがとう!藤宮君!」


 私は、言い知れぬ快感を覚えていた。


 さっきまでは、彼女達を殺すことを躊躇していた自分が、どこかにいた。しかし、いざ殺してみると、いざ跡形もなく消し飛ばしてしまうと、何のことはない。当たり前の報いではないか。


 あの3人組が私にしたことを考えれば、何回死んだって、足りないくらいだろう!ああ、生き返ったりしないだろうか!もう一回、殺したい!今度は、私が自ら、手を下して、その快感を味わい……。



 私、今、何を……?



 藤宮君が、口を押さえ、嘔吐をこらえている……そうだ……それが当たり前の反応だ。こんな光景を目の前にしたら。


 藤宮君が、恐怖の眼差しを、私に向ける。


「川澄さん……何が、そんなに可笑しいんだ……?」


 可笑しい?藤宮君は、何を言っているんだ?


 ……ん?なんだか、息が苦しい……えっ?何も喋る事ができない。いや、声は発している気がする。


 可笑しい?もしかして……今、私、笑ってるの?


「ハハハハハハハッ!!アッハハハハハハハハッハハハッ!!アハハッハハハハハッ!!アハッ!!ハハハハハハッ!アハハハッ!ハハハハハハッアハッ!!!ざまあみろ!!!ハハハハハハハッ!!アッハハハハハハハハッハハハッ!!!」


 私は、笑っていた。大笑いしていた。


 狂ったように。イカれたように。


 止められない。口角を下げることができない。


 どうかした……どうかしてしまった。どうにも、できない。


「殺した!!!殺してやったぞ!!!いい気味だ!!!悪魔どもが!!!」


 もしかして、私にとっての「最大の敵」って……。


 私の前に、突如、大きな大きな、高層ビルくらいに大きな、藁人形が姿を現した。


「あ、あああ……ああああ……いやーっ!!!来ないで!!!あなただけは、ダメええええ!!!お願いだから、来ないでえええ!!!」

「川澄さん?一体、どうしたんだ?何かいるのか?」


 藤宮君は比較的落ち着いた様子で、私を訝しがる。どうして?こんな怪物が現れたのに?


「ど、どどど、どうしたって、何!?あれが見えないの!?」

「あれって?」

「藁人形だよ!!!藁人形!!!ものすごく巨大な!!!早く逃げないと!!!」

 

 私は一目散に、藁人形から逃げ出した。


 そうだ。思い出した。私は、この藁人形を知っている。私が、本当に恐れていたもの……私が、本当の意味で逃げたかったのは、この藁人形なんだ。



 ……いや、違う。



 私が逃げたかったのは、自分自身だ。



 逃げながら、一瞬振り向き、藁人形の顔を見る。


 不気味に微笑む、私の顔だった。


 ひょっとしたら、私はを最初からわかっていたのかもしれない。私の本当の「最大の敵」は、悪意に心を取り込まれ、傲慢に狂い叫ぶ、「川澄透子」なのだと。自らの悪意にではなく、自らのは、それなのに、否、だからこそ、わからないふりをしていたんだ。


 

 3人組が交通事故で死んだ前日の夜、私は、この3人を呪った。


 目一杯の殺意を込めて、藁人形に釘を打ちつけた。


 その時は、本当に呪いが効くなんて、思っていなかったけれど、釘を打った瞬間、心が少しだけ軽くなったと同時に、強烈に興奮したことを覚えている。鮮明に。


 翌日、3人組が死んだという知らせを教室で聞いた私は……教室の中で、高笑いし続けた。悦に浸り、快感に喘ぎ、目、鼻、口、体のあらゆる穴から、とめどなく体液が溢れ出した。周りから見れば、その姿は異様どころか、この上なく化物じみて、常軌を逸していただろう。


 しかしおそらく、その場にいた中で、「川澄透子」に最も恐怖したのは、私だっただろう……こんな化物を身に宿しながら、私は一生を歩まねばならない。そう考えただけで、明日なんて、見えなくなった。


 私はあの時から、「川澄透子」のアイデンティティを完全に見失った。否、そもそも、見ようとすらしなくなった。自分と正面から向き合う事が、怖くて怖くて、仕方なくなった。


 恐怖で心が麻痺した私は、「川澄透子」を封印することにした。それまでの「おどおどして目立たないタイプの川澄透子」どころか、「底辺の底辺たる人間、川澄透子」として自分を定義づける事で、自分が究極的に禁欲的になることを強要し、「化物」から、自分を守ろうとした。


 なんて、醜い人間なのだろう……私は。


 人を呪わば穴二つ……というけれど、藤宮君まで巻き込んで、3つも穴を掘ってしまった私は、どこまで罪深いのか。愚かしいのか。


 私なんて、生きるべきでも、生まれるべきでも……な



「川澄さん!」



 藤宮君が、私の手を掴んだ。


「藤宮君!?な、何やってるの!?手を離して!藁人形が迫ってきてるんだよ!一刻の猶予もない!狙いは私なの!だから、早く逃げなきゃ!藤宮君は、私から早く離れて!」

「そんなこと、できるわけないだろ!?」

「どうして!?さっきの私の異様な姿を見たでしょ!?あれが、本当の私なの!私は、藤宮君が思うような、優等生なんかじゃない!!殺すほど憎い人間がいて、その人間をぶっ殺せたら、高笑いして、楽しくて仕方なくなって、自分の感情も行動も制御できなくなる、弱くて醜い、ただの劣等生なの!だから、私のことなんか見捨てて、早く逃げて!!」


「川澄さんは、「優等生」だよ」

「わかんない人だなあ!!だから、私は、川澄透子は、そんな存在じゃないんだよ!!!何度言ったらわかるの!?」

「川澄さんみたいに、自分の悪い部分や弱い部分をちゃんと理解して、自分で自分を咎めることができる人間、そうそういないと思うけど?」

「そんな気休め、やめて!!!」

「自分で自分を咎める事ができる人間は、他人の痛みを理解できる人間なんだと思う。そういう人間のことを、「優しい」と言うんじゃないかな?川澄さんは、「優等生」だよ」

「……優等生の意味、違うと思うけど」

「わりい。僕、「優等生」じゃないから」

 

 藤宮君が、いたずらっ子のように笑う。


 嘘つき。


 君は私なんかより、ずっと「優等生」じゃない。



「私はただ、臆病なだけ!!怖かっただけ!!逃げただけ!!ただの弱くて醜い、「普通」の人間なの。自分勝手な解釈を、人に押し付けないで!!!」

「百歩譲って、仮にそうだったとしても、それの何が悪い?」

「えっ?」

「生きてたら、誰かを殺したいと思うことも、思わざるを得ないことも、本当に殺さないといけない時もある。それが成就した時に、嬉しいと感じることも、感情を抑えきれなくなることも、後悔することもある。それは、当たり前のことだ。僕たちは神じゃない。ヒトなんだから。動物なんだから」

「でも……そんなの、間違ってる!!正しくない!!そんなのがヒトなら……人間なら、私は、人間なんて大嫌い!!!」


「やっぱり、川澄さんはすげー」

「ど、どこがよ!?」

「僕みたいな凡人は、そこまで自分に厳しくできない。川澄さんみたいに、弱い自分を許せない人間でないと、人より高いところに、到達できないんだろうな」

「藤宮……君……」


 藤宮君が、藁人形を片手で掴んだ。



 ん?……



「藤宮君……こんなビルみたいに巨大な藁人形を、どうして片手で持てるの……!

!?」

「この藁人形、君にはそんなに大きく見えるのか?僕には、ただの藁人形にしか見えてないんだけど」

「えっ?」


「川澄さんにとっては、この藁人形が「最大の敵」なのか?」

「……そうだよ……勝ち目なんて、ない。私みたいな弱い人間が、敵う相手じゃない」

「そうとは限らないだろ?こんな奴、ぱっと見、RPGのステージ1のボスレベルだろ。君なら、ワンパンに見えるけど?」


 藤宮君は、金槌と釘を私に差し出した。


「こんな道具……どうして……」

「僕のバイクに、何かの時のために、工具は一通り積んであるんだ。まあ、100均で買ったやつばっかだけど」


 私は、藤宮君から金槌と釘を受け取った。


  ひょっとしたら、「最大の敵」だって、こんなありふれた物で、たった数百円で、倒せるのかもしれない。ふと、そんな気持ちが湧き出てきた。


「頑張れ!川澄さん!勇気を出して!」

「ゆう……き……?」


 そう。ほんの少しの、勇気さえあれば……。


 なぜだろう?心が、みるみる楽になっていく。


 藁人形が、みるみる小さくなっていく。


 これは、私の力じゃない。きっと、藤宮君のおかげだ……。



 あの夜、藁人形に打ちつけた釘は、あの3人に打ちつけたものだと思っていた。でも実際は、自分の心に打ちつけていたのかもしれない。


 では、今、私が藁人形に打ち付けようとしているこの釘は、一体、どういう意味があるのだろう?誰に対して、何を打ちつけようとしているのだろう?



 あの出来事以来、「私」が「私」を封印して以来、私は、間違え続けているのだろう。でも、間違えざるを得なかったのかもしれない。


 高校二年で稜宮高校から転校して以降、私はいじめられることはなかったし、友達もできて、少なくとも表面上は、安らかな日々を送れていたから。その状況に、環境に、甘えることができたから。


 でも、心の一番深いところでは、私はずっと1人で、自分からも他人からも逃げていた。そういう生き方をしていた。できていた。


 そんな環境で、正しい答えを出すことなんて、不可能だったのだと思う。



 そんな私が、今、「トレーン」に入り、自分の全てと向き合わざるを得ない環境に置かれた。自然界では、環境に適応できない個体は、自然淘汰される。私は間違いなく、そのコースに入っていただろう。


 でも、私の隣には、「藤宮空」がいた。「私」に寄り添ってくれる人がいた。


 私は藤宮君から、自分の欲求に素直になることの大切さ、人に頼ることの大切さを教わった。


 ほんの少しは、人生、上手くなれただろうか?


 もしそうなら、私はようやく、スタート地点に立てるかもしれない。今後も、私は間違え続けるだろう。人間、そんなに簡単に変われるわけも、賢くなれるわけもない。


 それでも、「これまでの自分」の至らない部分を改善し、「これからの自分」がやりたいことに、正面から向き合うことは、できるかもしれない。



 否、「かもしれない」では、ダメだ。



 せめてそれくらいできなければ、成功できなくても、トライくらいはできるようにならなければ、藤宮君に合わせる顔が、ないじゃないか。


 決めてしまおう。決めつけてしまおう。


 今、打ち付けようとしているこの釘は、「これから」に責任を持って生きていくための、約束の釘。


 心の道標なんだ。


 私は、目一杯の勇気を込めて、藁人形に釘を打ちつけた。


 藁人形は光の粒になって、消え去った。消え去る直前、藁人形が、少し笑ったように見えた。


 「不気味に」ではなく、「ふてぶてしく、したたかに」。

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