幕間1 緑

「僕は、川澄透子にフラれた。そういうことなのかな?」

「ようわからんけど、そういうことやろ。そもそも、空君はウチのもんやし」


 正座する僕の目の前で、腰に手を当てて立っているパンドラが、そう言い放つ。


 僕とパンドラは、僕の部屋に戻ってきていた。時刻は午後8時。


「あなた達をベッドまで運んであげたウチを差し置いて、ちょっと目を離した時に、勝手に目覚めて、勝手にイチャイチャしちゃってさ。まさかとは思うけれど、行くところまで行っとらんばいね!?」

「そ、そんなわけ、ないだろ?無事、「トレーン」から帰ってこれたから、透子とそれを互いに喜び合ってたんだよ。それだけ」


 嘘はついていない。はまだ、うん……とにかく、パンドラは気づいていないみたいだし。話を収めておくのが賢明だ。


「透子!?いつから、呼び捨てし始めたと!?ひょっとして……」


  やっべ!いきなり間違えた!火に油か!


「ご、誤解だ!そ、それにしてもさ、その小さな体で、僕達をベッドまで運ぶのは大変だったろう?ありがとな」


 ん?小さな体?自らの言葉に、反射的に引っかかる。


 パンドラは相変わらず「ロシア人風ブロンド美少女」なのだが、今朝見た時より、一回り体が大きくなったように見える。気のせいだろうか?


「そんなあからさまな媚びの売り方じゃ、ウチは騙されんばい」

「じゃあ、どう売ればいいんだ?どうやったら僕は、この不景気な時代を渡っていけるんだよ?」

「そうやなあ……感謝の気持ちは、行動で示してくれんと?」

「なるほど。なら、パンドラは僕に、何をしてほしいんだ?」

「……キス、とか」

「はあ!?」


 こいつ、やっぱり知ってるんじゃ……。


「冗談ばい。そんなにびっくりせんでもよかやない。それとも、何かやましいことでもあると?」

「べ、別に……そんなのあるわけないだろ!もったいぶらないで、教えろよ。何をしてほしいんだ?そうか。ご飯だな。ご飯だろ?ご飯に違いない。子供はみんな、お腹すかしてるもんな」

「ん?まあ、そうばいね。ご飯は食べたかよ」

「任せろ。僕、料理は結構得意なんだぜ。ちょっと待ってろよ」


 僕は正座から立ち上がろうとする。しかし、足が痺れていた。その場ですっころんでしまう。


「空君……ださかねえ。修業が足りんばい」

「仕方ねえだろ!正座あるある舐めんな!」



 などというやり取りの後、僕はパンドラにオムレツを振舞った。彼女に世話になったのは間違いない。パンドラがいなければ、透子を救うことはできなかった。冗談抜きで、感謝の度合いは最大級だ。


 しかし、「白い本」、「パンドラ」、そしておそらく「矢貫葉子」。少なくとも、これらの「正体不明」が、実際的な課題として、目の前に残っている。それは明白だ。場合によっては、今回のことか、それ以上の事態が起こるかもしれない。そうならないように、状況を冷静に把握し、事前に対策を立てておく必要があるだろう。


 とりあえず、矢貫先生にはさっき電話をしてみたが、繋がらなかった。まあ、当たり前か。だって明らかに……ラスボスだし。



 ひとまず、最優先で考えるべき事柄は、僕の持っている「白い本」をどうするか。そして、


「なあ、パンドラ、ダメ元で聞くんだけれど、透子の開いた本、どこに行ったか知ってるか?知らないよな?「最大の敵」を倒したら、本もそれと同時に消えるとか、そういうパターンだろ?」

「ウチ、持っとるよ」

「えええっ!?」

「当たり前ばい。本が突然消えるとか、どこの現代ファンタジー?」

「その本、見せてくれないか?」


 大げさに逆に振っておいたのが功を奏したのか、パンドラはポケットから、あっさりと本を取り出した。


 良かった。これで、直接的な最も警戒すべき「脅威」を、両方とも管理下におけるわけだ。


 ……ん?ポケット?


 そして、パンドラが取り出した「本」は「白い本」ではなく、「緑色の本」だった。

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