透子編 第7話 憧れ仕合

 ホテルへ向かった藤宮君と別れ、一人になった私は、「最大の敵」を探し始めた。


 私があの本を開いてしまったせいで、藤宮君はこんな世界まで来て、命まで賭けてくれている。今のうちに、私が「最大の敵」を倒せば、これ以上、藤宮君に迷惑をかけることはない。


 私にとっての「最大の敵」なのだから、私と縁の深い場所にいるはずだと考え、近場にあるよく行く場所を探し回ってみたが、一向に姿は見えない。


 そもそも、「最大の敵」って、具体的にはどういう存在なのだろうか。名称からして抽象的すぎないか?


 携帯電話が鳴る。知らない番号からだ。藤宮君?いや、番号は伝えていないし、そもそも、この世界において、私は藤宮君以外からは認知されることのない「透明人間」なのに……どうして、電話がかかってくるのだろう。何かの例外なのか?例外……つまり、この電話に出る事が、「誰かの助けになる」のだろうか。


 私は電話に出てみた。出なくてはいけない気がした。


「トーコちゃん、ご指名ですよ」

「指名?」

「とぼけないでくださいよ。いつも、やってるじゃないですか」


 いつもやってる?ああ……そうか。私の「夜の仕事」だ。


「わかりました。どなたのご指名ですか?」


 こっちに来ても、否、こっちに来たからこそ、やっぱり私はなんだ。断れない。何のためらいもなく、受け入れることができる。これも「法則」ということか。


「匿名。ホテルの宿泊客からだから、部屋に行ってあげて」

「承知しました」


 私は、指示された部屋へと急いだ。

「ごめんね。藤宮君。この仕事が終わったら、必ず見つけるから」


 私は、ホテルの一室の扉の前に辿り着いた。


「お待たせしました。トーコです」


 扉が開く。そこには……藤宮君がいた。


「おかえり。川澄さん」

「どうして……」

「入って」


 拒否できない……「法則」でもあり「仕事」でもあるからか。私は、藤宮君に言われるがままに、部屋の中に入った。


「なぜか、君だけ無料だったよ。こっちの世界でも、タダ働きなんだな」

「そうみたいだね」

「なんか少し汗ばんでいるけれど、もしかして、僕がホテルで休んでいる内に、一人で「最大の敵」を探していたの?」


 見透かされてる……そっか。藤宮君は既に、私が執筆した文章を読んで、私の心の中を、世界を、「トレーン」を、見ているんだ。だから、私の行動原理を、この世界の法則を、客観的に分析できている。


 だとしても、頭いいな。藤宮君、さすがだよ。


 私はやっぱり、優等生なんかじゃない。


「今夜は、君を帰さない」

「えっ?」

「川澄さんも、ここで泊まるんだよ」

「あ、ああ……そういうことか」

「逆らえないはずだ。君がここに来ることも、泊まることも、僕の助けになることだから」


「見事だね。藤宮君。藤宮君の狙い通り……やられちゃった」

「見事なもんか。本来だったら、こんな安易な策で、川澄さんをコントロールできるわけがないんだから」

「えっ?」

「川澄さんはこの世界の創造主。君が望めば、この世界の「法則」なんて、すぐにでも崩壊するんだぜ」

「……そうなの?」


 藤宮君が、ほっぺを指さす。

「川澄さんは、さっき僕をぶった。あれは「僕のための行動」じゃないだろ?つまり、その気になれば、強い感情さえあれば、君はいくらでも、この世界で自由に行動できるんだ」

「えっ!?あれは、藤宮君が私にビンタされたいと思ったから、できたことじゃないの!?」

「僕って、もうそういうキャラになってんの!?冗談だよね!?」

「ああ……もちろん、冗談だよぉ!」

「三点リーダーを二つ並べちゃったら、バレバレだよ!?まあいいや。そろそろ寝ようぜ。明日は決戦なんだから」


「そうだね。藤宮君をちゃんと癒してあげないと」

「いや、そういうんじゃないから。背中合わせに寝れば、シングルでもなんとか二人寝れるだろ?」

「そっか。やっぱり……藤宮君は、私じゃ不満なのかな?」

「その言い方は、ずるいぜ。なんで、君はそうやって、自分を安売りしようとするんだ?」

「藤宮君……ごめんなさい」

「謝る必要、ないぜ」


 私と藤宮君は、同じベッドの両端にそれぞれ横になった。


 久しぶりだな。横になったの。こんなに気持ちいいんだ……。


 この世界で、私が横になれるのは、普通ではないのだ。これも藤宮君のおかげ。


「おやすみ」

「おやすみなさい。ありがとね。藤宮君」

「礼だって、必要ないから」


 ごめんなさい……でも、ありがとう。


**************************************


 同じ研究室に配属される前から、私は藤宮君のことを知っていた。


 藤宮君は、大学の講義ではいつも他の人から離れて、一人で座っていた。正直、とっつきにくそうな人だと思った。でも、彼が誰よりも目を輝かせて、誰よりも高い集中力で講義に臨んでいるのは、一目でわかった。


 藤宮君のことを、「藤宮空」として認識することになったのは、約一年前。「物理学への誘い」という講義を受けていた時だ。「受ける」と言っても、この「物理学への誘い」は、教授の話を学生が聴くような座学タイプの講義ではない。


 大学に一般の人を無料で招き入れ、学生が講演するという講義で、毎回一人ずつ講演をし、講演しない学生はその講演を一般の人と見学する。学生が物理学という一見難解な学問を、一般向けに説明する能力を養うことが、目標とされていた。


 一般の人達を相手に講演するという、それなりにハードルが高い内容だったため、履修した学生は私も含めて9人だった。物理学専攻の学生数は85人だったので、決して多くはない数字だ。私は、自分で講演するのは嫌だったけれど、他の人がどういう講演をするのかに興味があり、この講義を履修した。

 

 身近な物を使った実験を行いながら、エネルギー保存則などの高校物理の内容を説明する学生がいれば、難解な数式を使いながら、ガッツリ大学物理の内容を説明する学生もいた。


 一方、藤宮君は、「実験」でも「数式」でもなく、「感覚」で物理を説明したのだった。


 その講演に、私は感動を覚えたんだ。



「物理とは物の理。万物の理です。要するに、物理学とは、我々の世界のルールなのです。「人生はゲームだ」なんてよく言いますが、物理学とはそのゲームのルール、そのものだと言えるでしょう。当たり前のことですが、ゲームをやるにあたっては、ルールはちゃんと知っておいた方がいいですよね。その方が、有利に事に当たれますから。とはいえ、物理学なんて、難解でややこしくてとっつきにくい。そんなイメージがあると思います。でも、本質はとてもシンプルなんです。例えば、皆さんは、元気な時、テンションが高い時って、体を動かしてはしゃぎたくなっちゃいますよね。物理においては、温度がテンションみたいなものです。温度が高い時は、物体があちこちに行きたくて、粒子ごとにバラバラになって、動きまくります。でも、温度が下がるにつれて、粒子同士はくっつき合います。まあ、おしくらまんじゅうみたいなものです。水であれば、かっちんこっちんの氷になった状態が、それに当たります。寒くなったら、おしくらまんじゅうする……まるで、人間ですよね。物理なんて、そんなもんです。そういう当たり前の感覚について実験して、数式や法則を求めてる。そういう、とても人間味のある学問なんですよ」



 一般の方がどういう感想を持ったのかはわからないけれど、私はこういう「感覚」で物理を捉える人を知らなかった。


 だから、シンプルに、凄いと思ったのだ。


 藤宮君は、教科書に書かれていること、講義で教授が話したことを鵜呑みにするのではなく、ちゃんと自分の理解できる形にまで落とし込み、その理解を自分色に染め上げているのだと思う。そうでなければ、ああいう話し方はできないだろう。それはとても大変な作業だけれど、彼はそれを、一人でやってのけているのだ。


 私はシンプルに、彼に憧れた。


 藤宮君は、私がみんなの憧れだなんていうけれど、私の憧れは、藤宮君だ。試験の成績は私の方がいいのかもしれないけれど、そんなものでは測りきれない、独特の物理観を、彼は持っている。


 藤宮君と同じ研究室だと決まった時、とても嬉しかった。彼の話を隣で聴けるのが、楽しみで仕方なかった。


 休学期間を経て、藤宮君が大学に戻った時、少し顔つきが変わったようにも見えたけれど、話してみて、やっぱり藤宮君は藤宮君だった。


 けれど……私は、早々に藤宮君をがっかりさせてしまった。


 彼は、私が「普通の優等生」だと思っていた。だから、私の夜の姿に失望したはずだ。少なくとも、混乱はさせてしまっただろう。


 だから私は、「白い本」を開いた。開けば死ぬ……開いただけで死ねるなら、ダメ元で開いてみたくなった。

 

 「藤宮空に嫌われた川澄透子」なんて、死んじゃえばいい。そう思った。



 それなのに、こんな私を助けるために、彼はこんなところまで来てくれた。こんなわけのわからない、私の自分本位さをデフォルメしたような世界に。


 私は、彼をこんな場所で、死なせるわけにはいかないのだ。


**************************************


 朝日が目に入る。私は、ゆっくりと目を開けた。


 藤宮君の方を見る。藤宮君は目を見開き、天井を見ていた。目の下には、くまができている。


「おはよう」

「おはよう。川澄さん」

「もしかして、寝れなかった?」

「そ、そんなこと、ないよ?別に、川澄さんが隣にいるから、緊張して寝れなかったとかじゃないからね!」

「そっか……ごめんね。藤宮君」

「いや、だから、ちゃんと寝れたんだって」

 

 藤宮君は体を起こし、背伸びする。

「快晴か……川澄さん、今日、この世界を出よう」

「わかった。必ず、これを、最後の朝に」


 

 私と藤宮君は、朝食後、早々にホテルを出た。


「藤宮君、私、昨日から考えていたんだけれど、「最大の敵」の場所、多分わかった」

「えっ?本当に?」


 昨晩、探していた限り、「最大の敵」は近場にはいない。そして、「最大の敵」は、私にまつわる存在のはずだ。これらのことから、私が現在住んでいる場所ではなく、過去に住んでいた場所にいる可能性が高い。私の過去における、私にとっての「最大の敵」がいるとすれば、やはり、あの場所しかないだろう。


「稜宮高校……多分、そこに「最大の敵」はいると思う」

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