透子編 第5話 共同執筆者

 「執筆者」の「トレーン」の中に入る方法は、「自分を主語にして、「白い本」に一文執筆する」だそうだ。その一文を加筆した人間は、「共同執筆者」として認定され、本の中に「アバター」が出現する。そして「共同執筆者」は、「執筆者」と同様に魂が「アバター」に宿り、現実では意識を失ってしまうらしい。


「もっと詳しい説明をしたいところやけど、ウチにもわからん部分があるし、時間もあまりなか。ごめんね」

「謝ることなんてない。パンドラがいなかったら、ここに来ることさえできなかったんだし。それに元はと言えば、僕が川澄さんに、安易にこの本を渡してしまったのが原因だから」


「ところで、空君はどういう一文を書くつもりなん?」

 川澄さんの「トレーン」に入る際、僕は自分を主語にして一文を書く必要がある。

「それが、考えてるんだけど、なかなか浮かばなくて。僕の登場シーンってことだよな。ああ、演出の才能がほしいぜ」

「登場シーンやし、インパクトがあった方がよかね。そうや!スカートめくりとか、どうやろう?」

 パンドラのノリが、男子中学生なんだが。ちょっと頼りにできなさそうだ。


「本の中の世界ってことはさ、フィクションの世界ってことだよな。てことは、多少無理なことを書いても大丈夫なのか?」

「うん。現状で書かれとる限りでも、「川澄透子」の設定は、現実世界の法則とはかけ離れとるしね。空君の書く一文だって、文章として破綻していなければ、十分成立すると思うたい」

「なるほど……あっ、思いついた。これなら、インパクトがあるし、実用的だし、川澄さんに好印象を与えること間違いなしだ!」


 パンドラが細い目をして、訝しげに僕を見てくる。

「まさか、いきなりキスするんやなかよね!そげなことが好きな子もおるけれど、パンドラ的にはNGやね!先に告ってほしか!」

「そんな直線的なアプローチじゃねえよ。まあ、楽しみにしててくれ」

「必ず、帰ってきてね」

「大丈夫。変にフラグ立てんなって」


 僕は、川澄透子の左隣に座り、ペンを持つ。昨日と同じ角度から、川澄さんの横顔を見つめる。


 その表情を、心に刻み込んだ。


 僕は一思いに、「白い本」に渾身の一文を書いた。


「空君!空君!そ……ら……」


 意識が、遠のく……その場に、倒れこんだ……。



**************************************



 気が付いたとき、私は暗い倉庫に置かれた椅子に、両手両足を縛られた状態で、座っていた。

 道端で苦しんでいた時、誰かから殴られたのは記憶している。その後の記憶はないけれど……どうやら、私は拉致されてしまったらしい。私なんかを捕まえても、身代金なんて手に入らないだろうに。まぬけな人もいるものだ。


 ふと、強烈な便意を感じる。そっか……まだ解決していなかったんだ。でも不思議だ。どうして私は、こんなにも我慢できるんだろう?これも、この世界の法則か?


 もしかしてこの世界では、私は「排出」することが許されないのか?では、なぜ呼吸すること、吸って吐くことは許されているのか。


 ああもう!わけがわからない……考えるのも、嫌になってくる。


 白い仮面を着けた男が、倉庫の中に入ってきた。私を拉致した犯人だろうか。

「目を覚ましたか。どうだ?気分は」


 「なんでもいいから、とにかく出したい!」って、思わず正直に答えてしまいそうになる。便意が強烈すぎて、冷静な判断ができない。


「辛そうだな」

 男の口元に、薄笑いが浮かぶ。

 そうか……この人は、身代金がほしくて、私を拉致したんじゃない。苦しむ私の姿を見て、楽しみたくて、私を拘束してるんだ……良かった。せめて、この苦しみが、誰かのためになっているなら、まだ報われる。たまたまそんなドSの人と出会うなんて、運がいい。


 私は、このまま死ぬのだろう。肉体的にも、精神的にも、社会的にも、もう何にしても、色々と持たないし。とにかく出したくて仕方ないのに、のどは乾いて、おなかはすいているし。さっき、全財産も投げ売ったし……目も、かすれてきた……意識、失いそうだ……失いたい。


「君は、この世界をどう思う?」

「どうって?」

「この世界では、君だけが苦しみ、君以外が救われている。これは、君が普段から求めていたことなのか?」

「よくわからない。でも、私みたいな人間……救われちゃ、いけないでしょ?」

「君はどうして、そんなに自分を貶めようとするんだ?」

「私は、そういう人間だから。そういう風に、育ってしまったから」

「自分を変えようとは、思わないのか?」

「今更、何をしたところで、「川澄透子」は変わらないよ。もう、手遅れなの。一旦固形化したコンクリートが、その後、形が変わることのないように……私、もう大人だからさ……変わるなんて、無理なんだよ。変わりたいとも思わない」


 この仮面の男の口ぶり……私の事、知っているのだろうか?もしかして、私もこの男を知っている?


「そうか……やっぱり君は、もう救われない人間なんだな。僕と同じだ」

「えっ?」

「僕も変わる気はない。変われないし、変わりたいとも思わない。でも、悪いけど、僕は君を変えることにした」

「何それ……そんなの、わがままだよ!」


 私……今、怒ってる?怒ったことなんて、何年ぶりだろう……やっぱり、便意で頭おかしくなってるのかな?体が、異様に熱くなってくる。

「コンクリートだって、熱し直せば流体に戻り、再び変形することができる。僕が君をここに拘束しているのは、君を熱し直すためさ。変わる気がないのなら、いつまでもそうやって、苦しめばいい。君は熱し続けられ、いつかは音を上げ、僕に助けを求めるだろう!」

「そんなこと……絶対にない!」


 感情の制御が、追いつかない。心臓の鼓動が速い……速い……速い!そうじゃない!止まってよ!速くなんて、ならないで!


 生きようとなんて、しないで!


「僕は、君を助ける!君がどれだけ嫌がろうが、助けてやる!人の助けになりたいと、ずーっと考えてきた君には、さぞ屈辱だろう!極限状態に至った時、人間は理性的にはなりきれない!自らの骨格をねじ曲げてでも、生にすがりつこうとする!みじめだな!滑稽だな!でも、それが人間!君だって、人間なんだ!その宿命から逃れることなんて、できないのさ!」


 男の挑発が、私の中に歪な希望を作っていく。俗っぽくて、意地汚い、灰色の希望。そんな醜い物に対する渇望が、私の体を熱くしていく。ああ、なんて惨めなんだろう。辛い……でもこれが、生きるってことなのかな……。


 でも、私は変わってはいけないのだ!まだ、この男にも、自分にも、負けるわけにはいかない!


 この倉庫で目を覚ました後、数時間くらいは経った。私は、男の言葉責めを受けながらも、ギリギリ意識を保っていた。


 仮面の男が、ため息をついた。


「仕方ない。君を解放しよう」


 やった……我慢勝負で、私が勝った……。


「その前に、命乞いをさせてほしい」

「何を言い出すの?いきなり」

「君は、人の助けになりたいんだろ?だったら、僕を助けてほしい。君が変わってくれれば、僕は死なずに済むんだ」

「意味わかんない……どうして、私が変わらないと、あなたが死ぬことになるのよ!?」

「こんな命乞いじゃ、やっぱり、通じないよな」


 男は、徐に、仮面を外した。藤宮空だ。

「藤宮君……」

「意外では、ないか」

「なんとなく、そうかもなとは、思ってた」

「僕と君は似ている……と、僕は思う。だから、君が変われない気持ちも、僕にはわかる。わかってしまう。だから、諦めがついたよ。君が救われないように、僕も救われない。だから、僕は君と死ぬことにした」


 藤宮君は、右手に拳銃を持ち……自らの頭に突き立てた。

「拳銃!?そんなもの、どうして!?」

「この世界に来る時に、持ってきてたんだよ。どうやら、「最後の一文」は正解だったみたいだ」

「待ってよ!どうして、藤宮君が死のうとするの!?」


「君を救えない限り、僕は元の世界に戻れない。そういうルールになっている。だが、君は救われない……僕は、そう確信せざるを得なくなった。だから、死ぬことにした。こんな世界で生殺しにされるのは、ごめんだからな。さよなら。川澄透子」

 藤宮君は、拳銃の安全装置を解除した。


「ひ、卑怯だよ!藤宮君!私は救われなくていい!でも、藤宮君は死なないでよ!私なんかのために、死なないで!」

「ひどい理屈だな。君は僕のために、躊躇なく死ぬだろうに、僕は君のために、死ねないのか?君は、傲慢すぎる」

 藤宮君は、拳銃の引き金を引いた。

「藤宮君!」


 銃には、弾が入っていなかったようだ。空砲の音が、倉庫内に響き渡る。

「僕が死ぬわけないだろ?僕は君を助けるために、ここに来たんだから。しかし、強情だなあ。このハッタリでもダメなのかよ」


 藤宮君は、私の拘束を解き始めた。


「出したいんだろ?」

「……うん」

「小と大、どっちだ?」

「……大」

「そっか。望む所だ」


 藤宮君は、私の拘束を解き終わると、地べたに寝転んだ。

「川澄さん、僕の顔に、していいぞ」

「えっ!?」

「僕が希望しているんだ!君は、人の役に立ちたいんだろ!?早くしろ!僕は生粋の変態なんだぜ!お前みたいなブスな女に、汚物をぶっかけられたくてしょうがないんだよ!さあ、早くしろ!」

「そんなこと……できないよ!」

「何言ってんだ!?逃げる気か!?僕にも、自分にも、逃げ気かよ!?」


 藤宮君は、目を瞑っている。目を守るためなのか、私の恥部を見ないためなのか、わからないが。


 どちらにしても、藤宮君の顔を汚すことなんて、できるわけがない。私のために、こんなことまでしてくれる人に、どうして、そんなことが……。


「川澄透子!!」

 藤宮君の絶叫が、倉庫の中をこだまする。


「君がどうして、そうなってしまったのかなんて、知らない!今から変わるのが、難しいこともわかってる!僕は君に、変われなんて、もう言わない!でも、頼むから、理解してくれ!自分が救われることで、救われる存在が、ここにいるってことを!君は僕より、ずっと頭がいいんだ!こんなこと、理解するのは、簡単だろうが!」


 涙が、自然と溢れてきた……いつぶりだろうか……私は、泣きたくなくて、もう泣きたくなくて、今まで生きてきたのに……。


 私の負け、か。


 私はスカートを下ろし、下着を下ろし……陰部を、寝転んでいる藤宮君の顔に向けた。

「ごめんなさい。藤宮君」

 私は、藤宮君に背を向けた状態で、便意を解放した。


 ものすごく、気持ちよかった。


 出し終わった後も、言い知れぬ快感が続く。


 快感の海に、溺れたい。ずっとこのまま……ん?



 そういえば、私は今……とんでもないことをしたのだった。

 ハッと我に帰り、恐る恐る後ろを振り向く。



 そこには藤宮君ではなく、洋式の水洗トイレが置いてあり、私の排出物が、ちょうど自動洗浄で処理されているところだった。


 藤宮君は、アイマスクと耳栓をした状態で、トイレから数メートル離れた床の上に寝転んでいた。


「川澄さーん、終わった?終わったら、教えてね〜!大丈夫!僕、川澄さんの恥ずかしいところとか、何にも見てないからさ!」


 私は思わず、藤宮君のほっぺたをビンタしたのだった。



********************************



「07持ち運び可能で、おまけに仮面にもなる水洗トイレと、弾の入っていない拳銃と、アイマスクと耳栓をポケットに入れ、手にはハリセンを持った藤宮空という男が、苦しむ川澄透子の背後から近づき、彼女の頭をハリセンでぶったたいた」


 僕の書いたこの一文を読んで、パンドラは苦笑いを浮かべていたらしい。

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