世界は、龍

夜狐紺

世界は、龍

 同じクラスの弓崎ゆみさき塔菓とうかさんは凛とした整った顔立ちで、きっと学校で一番の美人だし、かわいい。それだけじゃなくて成績も人並外れて優秀で、素行も品行方正で上品だ。

 だけどどの人からも距離を置かれている様に見えるというのは、それなりに理由が有る訳で。

 帰り道、図書委員の仕事が終わった僕は偶然、弓崎さんと下駄箱で鉢合わせをして。


「一緒に帰りましょう」


 って言われた時には、あのかわいい弓崎さんといきなり一緒に下校? 嬉しいけれど、やだな他の奴らに見られたら噂されちゃうなーと軽く思いながらも断るはずがない。


 弓崎さんと僕は幸い同じ駅へと向かうみたいだった。

 遠くに見える東京スカイツリーの方角に向かって、学校から徒歩十分の最寄り駅まで至福の帰り道だ。


辰水たつみず龍流たつる君、だよね……?」

「うん、そうだよ」


 尋ねられたので僕は緊張気味に三回か四回頷いてしまう。

 テンパり過ぎだって。


「……辰水君。笑わないで聞いて欲しいんだけど」


 まだ名前の確認しかしていないのに、真面目な顔をした弓崎さんに見つめられて、あれこれってまさか良い感じの雰囲気? でも弓崎さん僕の名前あやふやだったからその可能性は無いよな高望み過ぎだよなって思ってる。


「どうしたの? 弓崎さん」

「龍は、いるの」


 ……え?


「龍は、この世界にきっと居るの。私達が知らないだけで。だけど龍は私達のことを知っていて、じっと観察しているの」

「へ~、そうなんだ……」


 納得した様に返事してみるけれど内心超慌ててる。

 龍? 龍って、ドラゴン?

 弓崎さんって、そういうのが趣味だったんだ。


「弓崎さん、ドラゴン好きなの」

「好きとかそういうことじゃない。私はいつか、ドラゴンと生きる、生きなきゃいけない」


 弓崎さんの目はマジだった。

 ……あ、これは分かる。これは本気で言っている人のパターンだ。ということは、あんまり近寄らない方が良い人だ。


 ここで僕が実は龍騎士の一族の末裔で、龍の存在を知る者が現るまではその能力をひた隠しにして暮らしていた……とかそういう事情を持っていたら良かった。


 だけど違う。本当に僕には何もない。誇れることと言ったらせいぜい、数学だけはクラスで三番目ぐらいの成績だということと(弓崎さんはほとんどの教科でクラスで一番だ。凄い)、反対に誇れないことと言ったらせいぜい運動がかなり苦手なことぐらいだ。

 つまりつまらない人間だ。謙遜じゃなくて、真面目に。


「もうすぐ、龍の世界がやって来る。全ての条件が整った時、龍がこの世に現れる」


 平然と話す弓崎さん。正気を保っている様に見えて、何を考えているか分からなくてちょっと怖い。

 なるほど、これなら確かに、何となく疎外はされていても、いじめられていない理由も分かる……。

 今日の話をうっかり周囲にばらしたら、大変なことになりそうなオーラが……。


「龍の世界?」

「そう、龍の世界」

「龍って……日本の龍? それとも、西洋のドラゴン?」


 とにかく、僕がついていけるぐらいまで会話のレベルを落として貰わないと、駅に着くまでの間が持たない……。


「ドラゴンでも龍でも、呼び方はどっちでも構わない。だけど……」


 そこで弓崎さんは一瞬、悩む様に下を向いて答える。


「私は特に、水龍……アクアドラゴンが好き」


 水龍。僕は鱗が青色のドラゴンを想像する。


「僕も好きかな。青色ドラゴン。格好良いよね」

「君は名前に『辰』も『龍』も付いているからね。『水』も『流』も付いてる」

「う、うん」

「だから辰水君は、きっと素敵な水龍になれるよ。約束する」


 帰りたい。もう意味が分かんない。泣きそうだ。だけど弓崎さんは楽しそうだし、このまま帰してくれる雰囲気じゃないから余計に怖い。


「龍になるの? 僕が?」


 僕が笑って訊き返す。この笑いは決して馬鹿にするニュアンスの物じゃなくて、勘弁してください大人しく僕を家に帰してください僕は安全で人畜無害ですからの笑顔。命乞いみたいな……。


「そう。龍の世界がやって来ると、世界中が龍になるの」

「皆、龍になっちゃうの?」

「なりたくないの?」

「えっと……」


 どっちで答えたら正解なんだろう。どっちでも不正解な気がしてならない。


「なれるものなら、なってみたいかな」

「なれるものなら、じゃなくてなるの」


 多分僕の答えは一番の不正解だった。ちょっと不機嫌そうな弓崎さん。

 嘘でも良いから『なりたい』と言うべきだったかな……。


「弓崎さんはなりたいの? 龍に。龍になるとしたらどんな龍に?」


 と、僕がほんの少しだけ逆襲のつもりで質問してみるけれど、最後の方は緊張して声が上ずってて情けない。


「私。私は……」


 だけど弓崎さんの思考速度を少し遅らせることに成功したから、結果オーライ? なんて、ちっぽけな虚栄心が痛ましい。

 女の子を困らせて僕は何をどうしたいんだろう。


「……ごめん。まだ決まってない。今日帰ったら決めるね」


 と、弓崎さんがはにかんで、あ、そこで恥ずかしがるんだ……と戸惑うと同時に、やっぱりかわいくて、余計に分からなくなる。

 こんなにかわいい子が、どうして龍? 龍の世界? もしかして、思春期の例の病? それとも……?


「弓崎さんは、最近何か本を読んでるの?」


 探ってみる。止めとけばいいのにって、自分でも分かる。


「家の本全部かな、むさぼるように読んでる」


 貪るっていう言葉を使う女の子を僕は初めて見た。何だかアンバランスだ。


「どんな本を読んでいるの?」


 普通に気になるので質問を続ける。


「ファンタジー。色んな変わった生き物が出てくる話が好き。それしか読んでない」

「僕も好きだよ、ファンタジー。オズの魔法使いとか」


 好きなことには好きだけどすぐにタイトルが思い浮かばなかったから、適当に挙げる。勿論他にも沢山読んだはずなのに。時間とともに内容が色々混ざっている。


「辰水君」


 ぴたりと弓崎さんが足を止める。そして弓崎さんはうつむいてしまう。


「……ど、どうしたの?」


 何かまずいことを言ったのかな。気に障るようなことを。弓崎さんはオズの魔法使いが嫌いだったとか? いや、もっと違う理由?


「ファンタジーがファンタジーなのは今しかないよ。沢山読んでね」

「は、はい」


 思わず敬語になる。

 ファンタジーがファンタジーなのは今しかない。

 少し詩的な表現に感じてしまうけれど意味は分からない。


「辰水君は」


 再び弓崎さんが質問しようとして、会話の主導権は必然的に移る。

 僕はまるで首輪に繋がれている犬だった。


「悩みとかは、有る?」


 ……何か、勧誘みたいな怪しい質問が出たぞ。


「特にないかな。お金がないことぐらい」


 流石にここで弱みを見せるほど迂闊じゃないので、適当に誤魔化すことにした。

 本当に悩みという悩みも無いし……。


「……そう。それなら良いの。それなら、やっていける」


 安心した様な弓崎さん。意味深な発言が続く。


「弓崎さんは、悩みとかあるの?」

「あ、……ない」


 一瞬有るって言おうとしたみたいだけど、止める弓崎さん。

 まあ、無理して言う必要も無いか。


「そっか、それなら良かった」


 僕は優しくそう声を掛けてみる。弓崎さんはあんまり反応してくれなかったけど、少なくとも悪くは思って無さそうなのが分かった。

 そんなこんなで駅に着く。改札の電光掲示板が示しているのは、五分後の急行。


「弓崎さんはどっち方面?」


 ICカードを改札にタッチしながら訊く。弓崎さんも同じ物を使っているところをみて、そんな些細なことなのに安心してしまう僕がいる。


「鳴町方面」

「そっか、それじゃあここでお別れだね」


 鳴町方面、二番ホームに向かう登りエスカレーターの前で、僕は立ち止まる。


「うん。じゃあね、辰水君……」


 弓崎さんは言い掛けてエスカレーターに乗ろうとするけれど、またこっちに戻って来る。


「……ごめん」


 見れば弓崎さんは、かたかた震えていて……。


「だ、大丈夫、弓崎さん?」


 本当に具合が悪そうだ。まさか……急病?


「平気。平気平気平気……これぐらい」


 と、言いながら弓崎さんは全然平気じゃなさそうに、柱に寄り掛かった。


「いや、ちょっと休んだ方が……」


 何だか弓崎さんの顔が青いし、体温も下がっている様に見える。

 もしかしたら、救急車が必要……??


「……良いの。だけど怖い。やっぱり怖い」


 弓崎さんが、自分に言い聞かせる様に呟く。

 そのまま僕は何も言えずに数分間弓崎さんの様子を隣で見守っていると、ようやく呼吸が落ち着いてきた。


「……一人で、帰れそう? 学校に連絡したりとか……」

「いいの。……辰水君、聞いて」


 本日二回目の『聞いて』に、緩んでいた僕の気分が一気に緊張する。


「龍の世界は優しい。ずっと優しい、だけど最初は、最初だけは……寂しいから」


 龍の世界。その単語が出てきて一気に僕は混乱する。


「……助けて、いつか」


 ぎゅっと、弓崎さんに手を握られる。


「え、う、うん」


 僕は突然の弓崎さんの行動に面喰いながら、何とか返事をしていると……。

 ガタン、ガタガタガタガタガタ……!!

 と建物が揺れて、騒音がして電車が来たことが分かる。


「……じゃあね」


 そう言うと弓崎さんは、電車に乗るためにダッシュで階段を上がって行ってしまった。

 取り残される僕。

 ……?

 今、学校の昇降口から駅のコンコースまでに起こったことがにわかに信じられない。 


 弓崎さん。あんな子だったなんて思いも寄らなかった。

 龍の世界。龍。ドラゴン。

 さっぱり分からないし……きっと僕の様な凡人には理解してはいけない領域なんだろう。

 手をつないでいるのに、突き放されている様な握手だった。


 とにかく全部ひっくるめて、今の話は誰にも言わない……それこそ一生心の中でしまっておくレベルの話だったことには間違いない。

 明日弓崎さんと教室で有ったらどんな顔しよう。

 他の人にも同じことをして来たのかな? 何て色々考えてもやっぱり何も分からない。


 ただ、駅のホームから見える、学校からよりも大きな東京スカイツリーは変わらず静かにそびえ立っていた。

 僕は電車に乗って家までの道を歩いている間に考えるのを止めた。

 だけど家に帰ったら、部屋の隅に置いていた、昔読んだ児童文学を何となく手に取って、そのまま一気に読み終えてしまった。

 

 ◆ ◆ ◆


 次の日から弓崎さんは学校に来なくなった。

 かれこれもう二週間は来ていない。


 先生が言うには、体調不良とのことらしかったけど……とにかく。

 二週間もすれば、弓崎さんの噂話をクラスメイトの女の子達はし始めた。何か怖かったよねあの子っていう意見が大勢だった。

 だけど皆あまり関わってすらいなかったから、具体的な悪口はあまり出てきていないみたいだった。

 だからそんな話も、時間が経つにつれて消えていった。


 ◆ ◆ ◆


 ――そして。

 それから更に二週間が経ったある日。


 四時間目の地理の授業中だった。  


 ガタン、ガタガタガタガタガタ……!!

 床。天井。机。僕の周りの物、全てが揺れ始めた。

 最初はただの地震かと思った。だけど揺れは何時まで経っても引かなくて、これは大地震が来たんだと震えた。

 でも、クラスメイトがスマホで調べても、地震の情報はどこにも書いてなくて、もしかして古びた校舎が自壊しているんじゃないかって疑ったけど、窓の外の建物が全部揺れていたからそれは違った。


 でも、窓の外に答えは有った。

 いつも見えるはずの東京スカイツリーが無かったのだ。

 代わりに地面からは、水晶でできている様な透明な塔が、スカイツリーよりも高く、どこまでも、どこまでも上がっていった。


 十分以上経っても収まらない揺れの中で、教室の僕達は興味半分恐怖半分でその様子を眺めていた。窓際の席の僕は押されて大変だった。

 そして、女の子の鋭い悲鳴が上がった。

 パニックになる教室。

 何かと思えば、みんな、僕を見ていた。

 え? ……え?


「いたっ……」


 頭痛がする。

 頭を触ると、角が生えていた。

 叫ぶ間もなく、僕のお腹が柔らかい蛇腹に膨れて、鱗がびしっと背中に生えた。

 体の中を引っ掻きまわされる様な吐き気に襲われる。

 痛い。痛い。嫌だ、僕は、僕の体は、こんなのじゃ……。

 抵抗しても無駄だった。体が大きくなったから、必然的に視界は高くなる。

 口の中がもごもごして気持ち悪くて、ここで負けたらお終いだと思ったけど結局耐えきれなくて、がぼっ、と長い舌をべろんとさせた。

 むずがゆかった腰の辺りからは……太いしっぽがにゅるるる!っと一気にできた。

 鱗は青だった。


 僕だけじゃなかった。

 そうこうしている内に、一人二人三人四人と、次々と体が、いろんな色のドラゴンに変身していった。

 色は様々で、形は洋風和風どっちも有ったけど、皆ドラゴンになっていった。

 パニックになる教室。逃げ出そうとした人達もドラゴンになっているし、校庭に避難した生徒たちも先生たちも皆、皆ドラゴンになっていた。きっと町の人もそうなんだろう。


 日本中の、いや、世界中の人がドラゴンになっているんだと思った。

 龍の世界。龍。龍。龍。龍。龍。龍。龍。


 ドン!


 僕の痛みが引くと同時に、教室の壁が壊されてぽっかりと大きな穴が開いて、凄い力で僕の手が引かれる。

 有り得ない方法で四階の教室から出て、普通なら落下するところなのに、いつの間にか生えていた背中の翼に助けられた。

 手をつないでいた。ピンク色のドラゴンと……。


「……こっちが助ける側だったね」


 と、そのドラゴンは笑った。面影の有る表情で――。


「あ、えっ…………助ける……?」

「ううん。無理して話さなくていいよ。辰水君。今は、ね」


 と言ってドラゴンは照れ隠しの様に、振り向いて僕の方を見るのを止めて、前を向いて。


「新しい世界でも、どうかよろしくね」


 そんな風に言うなり、僕を連れて水晶の塔に向かって羽ばたきだした。

 手をつなぎながら。

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