その6

「おーいっおーいっ」

 図書委員の仕事を終えて帰ろうとしていた僕、妖乃森春人(あやのもりはると)と、彼女、石動冬子(いするぎとうこ)さんは、中庭に生えている大きな欅の木の下で、小さい女の子がぴょんこぴょんこと跳ねているのを見つけました。

 袖が思いっきり余っている制服の袖を振り回し、どうやら僕たちを呼んでいる様子。

「どうしたの? 鷹魅(たかみ)ちゃん?」

 石動さんが近づいていきます。僕も着いて行きます。

「いいところにきてくれたいしどー」

 この高校生らしからぬおチビさんさんは、宇宙野鷹魅(うつのたかみ)さんと言います。見た目は完全に小学生なんですけど、僕たちの通う国立国立(こくりつくにたち)高等学校は、応急修理実習用という名目で校庭の隅に、大戦中にヨーロッパの地を駆け巡っていた重戦車がひっそりと置いてあるような高校ですんで、こんなぶかぶかな制服を纏ったチビっこ女子高生がいたとしても誰も不思議がりません。

「わたしのなまえはいするぎですぅーっ」

 石動さんは、またしても自分の名前を言い間違えている宇宙野さんの頭をコツンと軽く叩きます。長身の石動さんがおチビさんの宇宙野さんを叩いている姿は折檻しているようにしか見えませんが、お互い同い年(確か誕生日は宇宙野さんの方が早いはず)なので、二人にとっては全然気にならない様子。

「あてっ」

 そんな宇宙野さんは高校生にもなっていまだに「石動」を読めないらしいです。そしてそれを毎回訂正するのが石動さんの日課みたいになっていたのですが

「あーすまんすまん、おまえのことはばんちょーってよぶことにしたんだったな」

「そうですよ」

「『ばんちょー』って、『番長』のことだよね……良いの石動さん?」

 僕は驚いた顔を石動さんの方に向けますが、彼女は「あははは」と困った笑いを見せるだけでした。

「アタシもいしどーっていうたんびにぼこぼこにされるのはこまるから、アタシなりのだきょーあんをていじしたまでだ。アタシがいしどーをぶったおすまではいしどーがばんちょーだから、あたしもそれまではばんちょーってよぶことにしたんだ!」

 宇宙野さんは、石動さんがこの学校最強の番長だと思い込んでいて、何度も石動さんに勝負を挑んでいるのですが、その度に返り討ちにあっているのです。

 石動さんは背は大きいのですけど(178センチあります)中身は普通におしとやかな女の子ですので、「番長」なんて言われるのは困るのでしょうけど、本人も毎回名前を間違われて、その度に訂正を入れるのに疲れたらしく、名前を間違え続けられるくらいなら……と、そのあだ名を受けいれたっぽいです。

 でも、我を忘れると素手で岩石を破壊するパワーは充分番長の素質充分だと思うんですけど、それは石動さんには黙っておきます。

「で、どうしたの鷹魅ちゃん?」

「おーそうだそうだ、ばんちょー、アタシのことをかたぐるましてくれ!」

「肩車?」

「あれだー!」

 宇宙野さんは短い腕を思いっきり伸ばすと、欅の木を指差しました。長く伸びた枝の一本に「にーにー」と小声で鳴きながら必死に掴まっている子猫がいるのが見えます。

「あそこにえだからおりれなくなったこねこがいるんだ! アイツをたすけるのにおまえのちからをかしてくれ!」

「あ、そういうことですか。お安い御用ですよ」

 石動さんは、宇宙野さんが大きく開いた股の間に頭を突っ込むと、ひょいっと肩の上に載せてしまいました。宇宙野さんは身長に比例して、体重も激軽の様子。

「む~、まだとどかないかぁ~」

 宇宙野さんが思いっきり腕を伸ばします。石動さんも踵を精一杯上げているのですが、ぷるぷると震える宇宙野さんの指先はまだ全然届かないです。宇宙野さんと石動さんが無敵合体をしても、子猫はそれをはるかに超える高みにいるのでした。

「ねこーっ、うけとめてやるからアタシのあたまのうえにとんでこーいっ」

 宇宙野さんは腕をぶんぶん振り回しながら3分間ほど呼び続けていましたが、子猫は「にーにー」と怖がるように鳴き続けるだけです。

「むーしょうがない。これぐらいのたかさならアタシがおもいっきりじゃんぷすればとどくか?」

「鷹魅ちゃん……なにをする気?」

「ばんちょー、おまえのあたまとかたをかりるぞぉ!」

「え? あ、は、はい!?」

 宇宙野さんは石動さんの頭の上に両手を置くと、思いっきり押し込むようにして、反動で石動さんの肩の上に飛び乗りました。更にその勢いのまま、枝に向かって飛び出します。

「とりゃーっ!」

 宇宙野さんの決死のジャンプは、猫の待つ枝にギリギリ届き、小さい右手を何とか掴まらせました。

「おらーねこーっ、ちょっとがまんしろーっ」

 宇宙野さんは左手で猫を捕まえるとそこで力尽きたのか、枝を掴んでいた手がずるっと外れてしまいます。宇宙野さんは、気合いはいつも120パーセント全開な女の子ですが、腕力の方は見た目どおり非力です。

「ばんちょーあとはたのむーっ!」

 宇宙野さんの体が猫を抱えるようにして丸くなったまま落下してきます。さすが石動さんを倒して番長の座を狙う女だけあって、弱きを助けるためには体を張る覚悟。

 しかしそんな自傷を厭わない彼女の下には、好敵手の姿が

「鷹魅ちゃん!」

 宇宙野さんに踏み台にされて軽くよろけてしまった石動さんですが、すぐに体制を立て直すと丸まって落ちてくる宇宙野さんを空中で捕まえるようにジャンプ、そのまま優しく抱えて膝を大きく曲げながら着地し、無事にキャッチしました。まるで野球選手並みの捕球能力です。やっぱりいざって時の石動さんは凄い!

「もう、危ないじゃない鷹魅ちゃん」

 宇宙野さんを抱きかかえたまま立ち上がって、危険な行動に出た彼女を叱ります。

「ばんちょーならアタシごとねこをたすけてくれるとおもったから、むりをしたまでだ」

「……もぅ」

 それは相手に対して心からの信頼を置いている証。二人は一応敵対者ということになっているのですが、今は戦いの果てに得た友情で結ばれているのでしょうね。石動さんの困ったような微笑が全てを表しています。

「にーっ! にーっ!」

 しかし急に自分のいる状況が変わってしまった子猫は、自分が助かったのも理解できずに、宇宙野さんの腕の中でじたばたしています。

「うぉーそんなあばれるなってばーっ、しゃてー2ごー、おまえちょっとてをかせ!」

 舎弟二号? ああ、僕のことか。いつも石動さんと一緒にいる僕は、石動さんの舎弟ということになってるみたいです。

 宇宙野さんが手を離すと、子猫がその中からぴょんっと飛び出し、僕の胸に飛びついてきました。僕の下に来た子猫は、腕の中で震えています。よっぽど怖かったのでしょう。

「よし、ばんちょーのおかげでたすかったぜ! おれいになんかおごるからすきなものをいえ!」

「えーそうですか? じゃあわたしGGKO(ガリガリ君オレンジ味)が食べたいです」

「おーじゃあそれにしよう! これからじーじーけーおーでしゅくはいだーっ!」

「わーい」

 というわけで石動さんは宇宙野さんを姫抱っこにしたまますたすたと歩いていってしまいました。宇宙野さんも今は自分の小柄な体がぬいぐるみ扱いされるのは気にならないみたいです。

「……?」

 ふと自分の胸を見ると、二人に助けてもらった子猫は、僕の胸に爪を立てて必死にしがみ付いています。野良猫が人になつくのは珍しいですが、それほどまでに怖かったということですかね。

「キミもしばらくは一人になりたくないのかな?」

 僕は腕の中の子猫を慰めながら、楽しそうに歩いていく二人の女の子を追いかけるのでした。


 ――FIN――

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