第3話

 佐久間さんが言うには、僕は極度の心配性らしい。


「私は心理療法士でもカウンセラーでもないので断言はできないですが……。あなたはどうもピンチや大事な場面に弱いようです」


 自分でも薄々分かっていた事だが、やはりそうか。

 大きな局面に限った話ではない。例えば仕事で大きなミスをした後輩を叱る時や、社内会議でのプレゼン。そういった決めないといけない場面に僕は弱いのだ。

 足がガクガクして頭が真っ白になる。もし言葉に詰まったらどうしよう、言い間違えたらどうしよう、そう考えると言葉が出なくなる。

 何を大げさな、と他の人は言うだろう。だが、他の人から見れば些細な事でも、僕にとってはその全てが一世一代の大勝負に思えて仕方がないのだ。


「そうですね……。ではこれなどはどうでしょうか」


 佐久間さんが取り出したのは薄汚れた腕時計だった。いわゆるアンティーク、という奴だろうか?


「ご安心を。見た目こそボロボロですが、実際はつい最近作られたものです」


 ささ、どうぞ、と佐久間さんに勧められるまま、僕はその時計を手に取った。

 パッと見た感じは何の変哲もないただの時計だ。文字盤も実にシンプルで、時刻を示す12本の黒い線の上を、白い長針と短針がゆっくり動いている。

 昨今のごちゃごちゃした時計が嫌いな僕にとっては、かなり好みの一品だ。しかし、僕はこんな物のためにここまで来たわけではない。


「腕に巻いてみてください」


 私の失望を素早く察知した佐久間さんが促す。

 

「おお……っ」


 それが肌に触れた瞬間、僕は思わず感嘆の声を上げてしまった。仄かに温かい。それはまさしく人の温もりだ。


「これはまさか?」


 僕の言葉に佐久間さんが笑顔で頷く。


「この時計のテーマは日常です。普通に生活していて目立たない事と、お客様の嗜好の両立を目指しました」


 ここにあるつまみを捻っていただけますか? その言葉に従って僕は少し黄ばんだつまみを捻る。すると、文字盤が外れ、中が見えるようになった。


「あなたは、ここでミスをしたら自分が積み上げてきたものが崩れるかもしれないという不安を抱えているはずです。でも大丈夫。あなたが全てを失っても、これはあなたの側にいる。あなたがどんな失敗をしても、決して見捨てる事はありません」


 僕を見つめる目がそれを肯定するように瞬きした……気がした。

 

「それでは次の商品を……」


「いえ、これに決めました。いくらですか?」


 購入を渋る理由はない。佐久間さんは僕の即決に少し驚いたようだったが、すぐに笑顔を取り戻すと値段を告げた。


「それにしても凄いですね。どうやって熱を保っているんですか?」


「いえ、そのような加工はしておりませんよ。もしあなたがこの時計に温かみを感じたとしても、それは気のせいでしょう」


 時計の梱包をしていた佐久間さんが答える。

 しかし、それではどうにも納得できない。あの温もりは、気のせいなどではなかったと断言できる。普通ではない、佐久間さんにしか出来ない何かがそこにはあるはずなのだ。


「美徳というのは目には見えません。しかし確かにそこに存在していて彼らを内から輝かせる。私は、彼らに自分を思い出させる事でその輝きを保たせているだけです」


 答えになっていなかった。だが不思議と納得できた。それと同時に、友人が佐久間さんを自分に薦めた理由も何となく分かった。これからも佐久間さんにはお世話になりそうだ。






「この部屋ですか? えぇ、全て私が作ったものです。……すみません、これは非売品なんです。私の、大切なコレクションなので」


 部屋を出る前に、もう1度、佐久間さんの顔を見る。彼は変わらず、柔和な笑顔を浮かべて僕に頭を下げてくれた。

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