第21話 救出

「うわああああっ!」


 奥の方から悲鳴が聞こえた。

 男の子の声である。


「今!」

「ああ、急ごう!」


 叫び声を聞きつけたエルウィンが希望たちを振り返り、シルヴァが強く頷く。

 走る速度を上げ、角を曲がった先に――いた!


 男の子が一人、魔物に囲まれている。えらくデカい……蚊? だろうか。それが三、四……六体。

 ともあれまずは彼が無事であることを喜びつつ、こう言わせてほしい。


「なにあれキモい」


 想像してみてほしい。

 推定全長一メートルの蚊が、プイィィィィィンと耳障りな羽音を立てて飛んでいる様を。


 ちょっと、いやはっきり言ってかなりクるキモさである。

 あのやたらデカい複眼といいわさわさ毛が生え揃った触角といい鋭いかえしのついた口吻こうふんといい、紛れもなく蚊の特徴であり、顕微鏡でもないのにそれをどアップで見せつけられるエグさはなかなか形容しがたい。


 ともかく、昆虫がダメな人はそのまま失神してもおかしくないだろう。

 せめて蜂……蜂なら「あ、ちょっとカッコいい!」みたいな感想があったかもしれない。


 ……いや、やっぱキモいだろうな、うん。


「ザンザーラ……!」


 エルウィンが言う。察するに、あの蚊の魔物の名前だろう。

 なぜ名前の響きだけちょっとカッコいいのか。

 ともあれここは例によってどうのつるぎさんの出番である。


 ザンザーラ。魔力の溜まった水場で生まれたことで突然変異した蚊の魔物。

 生物としての蚊と異なり、生命維持のための食料を他生物の体液に依存しており、獲物を集団で襲い体液を吸う。

 吸い取る体液は血液のみに留まらず、細胞内の水分、魔力ごと根こそぎ吸い尽くしていく。

 反面飛行能力は高くなく、身体を形成する甲殻も脆いため、単体での脅威はそれほど高くない。

 魔物のランクとしてはDランク相当である。


 やっぱり蚊か。

 普通の蚊は産卵時期に栄養補給のため血を吸うようだが、この連中は普段食として血――というか体液を吸うらしい。それも根こそぎ。


 それはそうだろう。だってあの口吻デカいもの。ほぼ杭だもの。

 あんなものぶっ刺されて血を吸われたら、水分も根こそぎ吸い尽くされようというものだ。


「ふんっ!」


 とか言ってるうちに、シルヴァがワンパンでザンザーラを一体吹っ飛ばす。一撃でバラバラだ。

 体液っぽいなにかが飛び散っているが見ないことにして、あとでシルヴァッティを洗ってあげよう。


 残る五体のザンザーラはシルヴァを脅威と見なしたか逃げようとするが、なるほど遅い。

 ホバリングに近い三次元機動は滑らかな飛行であるが、速度という点では遅いと言わざるを得ない。いや、希望の全力疾走くらいの速さではあるのだが、その程度の速度でシルヴァから逃げられるわけもなく。


 次々とワンパンで粉砕され、六体の蚊は綺麗に退治されてしまった。

 飛行能力が低くて甲殻も脆い、と。練達した冒険者や兵士であれば、確かに脅威度は低いかもしれない。


「ロラン!」

「エ、エルおねーちゃん」


 シルヴァが蚊を叩いてる間に、エルウィンは男の子を保護していた。

 眼鏡をかけた少し気弱そうな男の子で、半べそをかいている。

 どこかで転んだのか膝をすりむいているが、それ以外に目立った外傷はなさそうだ。


「怪我はない? もう、なんでこんな無茶をするの!」

「ごめ、ごめんなさい」


 しゃくりあげながら、ロランくんとやらはそう言った。

 だが、確か地下水路に入り込んだ子供は男の子二人だったはずだ。もう一人はどうしたのだろうか。


「あなたが無事でよかった。それで、クルトは?」


 もう一人の男の子の名前を聞いて、ロランはバッと顔を上げ、屈み込んだエルウィンの肩を掴んだ。


「そうだ、クルト! エルおねーちゃん、クルトを助けて!」

「……なにがあったの?」

「ゴーレムが、ゴーレムが奥にいるんだ!」


 曰く、二人で地下水路に入り込んだはいいものの、道に迷ってしまったとのこと。

 そのまま奥まったところに入ってしまったらしく、とても広い部屋に着いたらしい。そして、部屋に足を踏み入れた途端、


「ゴーレムがいきなり出て来たんだ」


 察するにトラップかボス部屋といったところだろう。どちらにせよ運が悪い。

 それで入ってきた道を塞がれ、他に逃げ道もなく、もう一人の――クルトがゴーレムの気を引いた隙にロランが逃げたのだという。


「あいつ、誰か呼んで来いって……俺はお前より体力あるから大丈夫だって……」


 それしか方法が思いつかなかったのだろうが、それにしたって無謀がすぎる。

 運良くここまで逃げて合流できたが、ロランだっていつ死んでもおかしくなかったのだ。

 彼らが別れてからどれくらい経過しているのかわからないが、今も一人でいるであろうクルトが無事である保証はない。


「それがどの方角か、覚えているか?」


 シルヴァがかがみ、ロランに尋ねる。

 ロランはふるふると首を横に振った。


「わ、わかんない……ずっと必死で逃げてたから……」

「そうか。それは怖かったろう。もう大丈夫だ」


 わからないというのは問題だが、それを責めるのも酷というものだろう。

 シルヴァは強く頷き、ロランの頭を撫で――ようとしてやめた。そうだね、さっきの蚊の体液付いてるもんね。あとで洗ったげよう。


「ゼクス。あなたの力でもう一人の子の位置がわからないだろうか」


 そのまま、今度はゼクスに視線が移る。

 謎の空間認識能力を持っている彼女であれば、クルトの位置を把握できるかもしれない。

 というか、この子だけ「フィールドマップ」みたいなもの持ってても驚かないぞわたしは。


「位置はわかるわ。ここから二区画先。道なりに真っ直ぐ。子供だもの、あまり大きく移動できていなかったのが幸いね」


 薄暗い地下道を魔物から逃げて走れば、方向感覚も時間の感覚も狂って然りだ。

 件の場所が近くてなによりである。しかし、だ。

 それはつまり、アレでは?


「希望。出番よ」

「あ、やっぱり?」


 まさかこの短時間で再び空間を飛ぶハメになるとは――!


「俺ではいけないだろうか。ノゾミを危険な目には遭わせたくない」


 そこへシルヴァが名乗りを上げる。ありがとうシルヴァッティ!

 だが、友達を危険な目に遭わせたくないのは希望も同じ。「ヤバい、これ死ぬ」みたいな目に遭ってもまず死なないとわかってしまった以上、なおさらだ。

 過信はできないが、おそらく希望が行くのが一番いい。


「守るだけなら、たぶんわたしが行った方がいい」

「だが」

「ええい黙れ。シルヴァが行ったら、ゼッちゃんだけで三人守らなきゃならないでしょ」

「む――」


 まあ、ゼクスの場合やろうと思えばできるだろうし、エルウィンも自分の身は自分で守れるだろうが、それはそれ。

 仮に希望が残ったとして、攻撃手段皆無の希望ではなんの役にも立たない。


 それならシルヴァがロランを担いで、道中の魔物を蹴散らしながら突破してもらう方がよっぽど効率がいいのだ。

 希望が先行して行うことは、あくまでもう一人の――ええとそう、クルトの安全確保と時間稼ぎである。


「というわけで、わたし時間稼ぐ。シルヴァ全力でおっかける。OK?」

「お、おー、けー?」


 有無を言わさずぐいぐい行くと、シルヴァはこくこくと頷いた。

 なんだかんだ聞きなれないであろう希望の現代語を勢いで繰り返すあたり、やはり彼は素直である。


「ゼッちゃん」

「はいはい。まあ、大丈夫だと思うけれど、気をつけなさいな」


 珍しく心配してくれた。

 その、なんかのフラグなんじゃないかって思わず勘ぐっちゃうあたり、希望も大概毒されてきている気がする。

 だいたいあのクソ神様のせいだ。そういうことにしておこう。


「え、なんですか? え、空間転移!? そんなの机上の空論だと言われて――」


 若干話に着いてこれないエルウィンがすっとんきょうな声を挙げるが、うん。わかる。

 でもね、「ああ、この子ならやるな」って思っとけばだいたいまちがってない。

 そして「対象は希望」って思っとけばこれもだいたいあってる。


 ……泣かないもん。わたしつよいこ。


「じゃあ、いってらっしゃい」

「俺たちもすぐに追う」


 ゼクスとシルヴァの言葉に見送られ、とん、という衝撃と共に一瞬の浮遊感を味わう。

 視界が暗転し、開ける。

 本当に一瞬だ。周囲の景色が切り替わるのを確認――しようとして、強烈な風を感じた。


「いッ――」


 目の前には、迫り来る巨大な石壁があった。




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